館長の朗読日記1975/千葉「風」の朗読レッスン

館長の朗読日記1975  (戦後72年03月19日 新規)



○千葉朗読サークル「風」の朗読レッスン(1)

 昨日(3月18日)の午前9時30分から、千葉朗読サークル「風」の朗読レッスンを行なった。今回は、第3期・朗読ステップ1のレッスンの8回目。今回は、今年6月に開催する朗読会に向けた台本のレッスンの3回目である。会員の半数は共通レッスン台本を読み継ぎ形式で、他の半数の会員は1人1作品形式で朗読上演する。

 このサークルには、昨年の9月、第2期の最末期に入会してきた会員がいる。これは、ほとんど3期生と見なしてよい会員である。しかし、入会前の朗読歴は長く、とても上手な朗読をする。ただし、日本の従来の朗読界で主流のスタイル、いわゆる「朗読調」の語り口である。今は私流の「語りかける語り口」を修得してもらっている。

 最近はかなり「語りかける語り口」になってきたが、今回もところどころの文節が従来の語り癖で下に下がってしまっていた。そこで、いくつかの例を再現してみせたのだが、本人は下に下げた自覚がない。無意識にやってしまっているらしい。ただし「語り口」自体は上手だから、それはそれなりの朗読表現になっているのである。



○千葉朗読サークル「風」の朗読レッスン(2)

 そこで、私も慎重に、私の指導する「語りかける口」は従来の日本の朗読界では異端であり、その会員の「語り口」の方が主流であることを念押しした上で、改めて「語りかける語り口」の音声言語的な意義を説明した。ところが、複数の会員から、私のいう「語りかける語り口」は近年では決して異端ではないという意見が出た。

 それらの会員は、ラジオの朗読番組を熱心に聴いているらしい。そこでなされる朗読を聴いていると、数年前から放送アナウンサーが朗読する場合でも、その「語り口」が「語りかける語り口」にはっきりと変わってきた、という。そして、私の『朗読の理論』やブログ「感動をつくる・日本朗読館」の影響ではないかと冗談めかしていう。

 私は、出不精で他の朗読会などはほとんど聴きに行かないだけでなく、マスコミ無精でもあるからラジオやテレビの朗読番組などはほとんど聴いたことがない。そこで、近年のそういう傾向はまったく知らなかった。私の影響か否かはともかく、日本の朗読界の「語り口」の主流が「語りかける語り口」になっていくのは嬉しい話しである。




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館長の朗読日記1974/船橋「はなみずき」と習志野「茜」の朗読レッスン

館長の朗読日記1974  (戦後72年03月17日 新規)



○船橋朗読サークル「はなみずき」の朗読レッスン(1)

 昨日(3月16日)の午後3時00分から、船橋朗読サークル「はなみずき」の朗読レッスンを行なった。会場はいつもの船橋市海神公民館である。今回は第2期・朗読ステップ5の第19回目。本来なら4月に開催すべき朗読発表会を2ヶ月先の6月に延期したが、その朗読発表会に向けた3回目の朗読レッスンである。

 朗読発表会は長い作品を会員全員が少しづつ読み継ぐ形式で上演するが、前半と後半を別々の作品を上演することにしている。つまり2本立て公演である。今回は前半に上演する作品のレッスンをした。この前半に上演する作品も、サークルの全員が順々に読み継いでいく。最初の方はレッスン歴が数年の2期生に当てた。

 この作品は、冒頭に通路を歩く多数の人間に主人公が呼びかけるセリフから始まる。相手が多数だから、呼びかける相手は広い範囲にいるし、距離も遠い。こういう多数の相手に呼びかけるセリフ表現は、語りかける語り口の典型的な事例であり、その基本形である。語りかける語り口を修得するための最適な教材である。



○船橋朗読サークル「はなみずき」の朗読レッスン(2)

 作品の前半から中央の部分はレッスン歴の比較的長い2期生に当てた。この部分を分担する2期生は、語り口という点ではほとんど注意する必要はない。重点的に指導したのは《間》と《メリハリ》のつけ方である。訊いてみると、本人は《間》をとったつもりらしい。この《間》に関する主観と客観の喰い違いは重要である。

 この問題は、自分の朗読を聴き手の立場で客観的に聴くことができるかどうかにかかってくる。朗読を耳で聴く認識力の問題である。これは、朗読ステップ6の主テーマである。まだ、このステップ6を通過していない2期生が、この認識力を修得していないのはやむを得ない。通過しても必ずしも修得できるとは限らないが。

 作品の最後の方は1期生に当てた。まだ《間》と《メリハリ》の辺りで苦労している1期生もいれば、作品の流れを意識してその流れを構成的にどのように語り分けていくかに苦労している1期生もいる。1期生になると朗読を聴く耳も肥えてくる。昔の自分の朗読の録音を聴き返してあまり下手なのでゲンナリすることもある。



○習志野朗読サークル「茜」の朗読レッスン(1)

 昨日(3月16日)の午後6時10分から、習志野朗読サークル「茜」のレッスンを行なった。今回は第2期・朗読ステップ3の15回目、今回は、今年6月に開催するこのサークルの朗読発表会に向けたレッスンの3回目である。このサークルの上演形式は1人1作品を原則にしている。ただし3人の会員が1つの作品を読み継ぐ場合もある。

 1人1作品形式の朗読は、当然ながら、1つの作品を1人の朗読者が最初から最後まで1人で読み切らなければならない。気持が入ってくればくるほど、いわゆる独りよがりの朗読になりやすい。レッスン歴の短い2期生の場合には、気持が入ってくると、下に下げて朗読しがちである。主観的に、その方が気持が入った表現に思えるからである。

 そういう会員に、言葉の1つ1つ(文節)をハンガーを吊り上げるように上げながら、気持を込めて表現するように指導するのは、本当にむずかしい。主観的に自分の朗読が良いと思っているし、現在の日本の朗読界においてはそういう朗読スタイルが一般的だからである。私が提唱する朗読スタイル(語り口)は、現時点では異端である。



○習志野朗読サークル「茜」の朗読レッスン(2)

 このサークルは会員数が少ない上に、今回は欠席者が複数あった。そのため1人1人の朗読レッスンもかなり短時間で終わってしまった。そこで余った時間を利用して、芥川龍之介原作「杜子春」に対する私の解読を説明した。この「杜子春」は約2年前のレッスン台本として使ったのだが、その時点では私の解読はできていなかった。

 いつか、この「杜子春」の解読をしたいという話しをしたところ、この6月の朗読発表会でこのサークルの会員3人が「杜子春」を読み継ぐので改めてレッスンして欲しいと頼まれた。その再レッスンの際に、時間を見て私の解読を説明することになっていたのである。今日は時間が余ったので、その説明をする良い機会だと思ったのである。

 会員の皆さんは熱心に私の説明を聴いていた。ただし、私の解読内容を十分に納得したかどうかは分からない。私の「杜子春」解読の内容は、数年前の「東百道・講演と朗読の会」で講演した内容と密接に関連している。その講演を聴いていない会員には、突然そういう話しを聴かされても急には理解できないと思われるからである。







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特別なお知らせ135/第8回「小さな朗読」開催のお知らせ

特別なお知らせ135    (戦後72年3月15日 新規)




ようやく寒さがなごみ梅の花が咲く時期になりました!

その早春に第8回「小さな朗読館」を開催いたします!

感動をつくる朗読をめざした朗読会にお出かけ下さい!

今回は当初お知らせした演目を大幅に変更いたします!

最初のチラシをお持ちの方は下記の演目をご覧下さい!




第8回「小さな朗読〜感動をつくる朗読をめざして〜」

〔日時〕戦後72年(西暦2017年)3月22日(水)
     開場13時00分 開演13時30分

〔会場〕船橋市民文化創造館(きららホール)

〔プログラム〕

1「秋」芥川龍之介原作                     畑野欸子
2「煙管」芥川龍之介原作                   植本眞弓
3「天の町やなぎ通り」あまんきみこ原作          馬場圭介変更!
         <休 憩> 
4「ゆき女聞き書き」石牟礼道子原作『苦海浄土』より  吉田光子
5「鮨」岡本かの子原作                     東 百道

〔司会進行〕飯野由貴子

〔企画・構成・主宰〕 東 百道(ひがし・ももじ)

〔主催〕感動をつくる・日本朗読館「小さな朗読館」きららホール実行委員会

〔参加〕入場料1000円(会場受付/全席自由)

〔申込〕当日券もありますが満席になりしだい消防法のために締め切りとなります
     出来るだけ事前にお電話でお申し込みください
     047−487−3721(東/ひがし)

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館長の朗読日記1973/第8回「小さな朗読館」の本番がほぼ1週間後に迫って来た

館長の朗読日記1973  (戦後72年03月14日 新規)




○第8回「小さな朗読館」の本番がほぼ1週間後に迫って来た(1)

 第8回「小さな朗読館」を2017年3月22日(水)に船橋市民文化創造館(きららホール)で開催する。その本番まで、ほぼ1週間に迫って来た。ゲスト出演する4人の皆さんは、すでにかなりの練習を重ねていると思う。もちろん、私も練習を重ねているが、その練習以外にも、いろいろとやらなければならない準備がある。

 第8回「小さな朗読館」そのものに関する準備は、当日配布するプログラム(事前に配布するチラシと同じもの)や当日用のチケット、および、当日の会場付近に掲出するA3判ポスターなどの用意もすでにできている。むしろ、第8回「小さな朗読館」の会場で配布する第9回「小さな朗読館」のチラシの準備がまだなのである。

 また、第8回「小さな朗読館」の会場で販売すべき第9回「小さな朗読館」のチケット、および、そのチケット販売のための管理表なども用意しなければならない。それらの実務的な準備を遅滞なく遺漏なくおこなうっていくのは、けっこう神経も使うし時間も使うのである。マネージャー役を兼ねている家人の協力が不可欠となる。



○第8回「小さな朗読館」の本番がほぼ1週間後に迫って来た(2)

 加えて、今回は、やむを得ざる事情で第8回「小さな朗読館」のプログラムを大幅に変更した。朗読する5作品のうち3作品を変更したのである。朗読作品を急きょ変更することになったゲスト出演者の2人は大変だったと思うが、頑張って本番に備えていただきたい。私も、以前に1度朗読したものに、朗読作品を急きょ変更した。

 今回のやむを得ざる事情は、次回の第9回「小さな朗読館」までは波及する。次回の第9回「小さな朗読館」においては、今回の轍を踏まぬように、ゲスト出演者を予定している4人の皆さんに、慎重に朗読作品を選考してもらった。ただし、次々回の第10回「小さな朗読館」には、今回の事情は波及しない。否、波及させない。

 世間はどのように評価するか知らないが、私は、この「小さな朗読館〜感動をつくる朗読をめざして〜」は、日本の朗読文化に大きく寄与するものだと考えている。それを非営利で、否、手弁当の持出しで、主宰している。チケット代の千円は、来場してくださった方々に、その実経費の一部をご負担いただいていると解している。








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館長の朗読日記1972/来年3月に開催する第11回「小さな朗読館」の会場予約

館長の朗読日記1972  (戦後72年03月13日 新規)




○来年3月に開催する第11回「小さな朗読館」の会場予約(1)

 一昨日(3月11日)の午後の13時30分から、八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスンを行なったのだが、その日の午前中の9時30分からは、船橋市民文化創造館(きららホール)において来年(2018年)3月の会場予約の抽選と予約手続が行われた。この会場予約が、最近になって急激に混み合うようになった。

 私が会場予約すべき「小さな朗読館」は、毎回、第4水曜日ということにしている。月末の水曜日というのは、コンサートとか発表会の日取りとしては不向きであるらしく、今まで予約申し込みが他の団体と重なることがなかった。従って、抽選をしたこともなく、いわば無競争の状態で会場予約ができて、ただ手続きするだけだった。

 しかし、今回は驚いたことに競合する団体が1つあったのである。なぜ最近になって会場予約が混み合うようになったかというと、社交ダンスの団体が練習場として申し込むようになったからだという。近年の日本は社交ダンスブームであるらしく、社交ダンスのグループの数もかなり増えているという。それはそれで結構なことである。



○来年3月に開催する第11回「小さな朗読館」の会場予約(2)

 しかし、社交ダンスをするためには、社交ダンスを練習する必要があり、当然、そのための会場も必要になる。しかし、そのための会場となる施設は意外に少ないらしく、使えそうな会場を鵜の目鷹の目で探しているらしい。最近、きららホールも、その鵜の目鷹の目の眼にとまったらしいのである。その情報が急速に拡散したらしい。

 社交ダンスも、もちろん立派な文化には違いない。しかし、そのダンスパーティーやダンス大会ならともかく、練習場として多く使われるというのでは「文化創造館」の目的にふさわしくないような気がする。そのために、他の音楽演奏会や朗読会やその他の文化的な活動の場がかなり失われてしまうのは、いかがなものかと思われる。

 東京では、社交ダンスの練習場として公的施設を使用する場合に、一定の歯止めをかけたという話しも聴いた。あまりにも、その使用回数が多くなったため、他の文化団体から苦情が多数よせられたためらしい。船橋市民文化創造館(きららホール)は交通の便が良いため、色々な文化団体の使用希望が多くなる事情はよくわかるのだが。






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館長の朗読日記1971/八千代「新・みちの会」の朗読レッスン

館長の朗読日記1971  (戦後72年03月12日 新規)



○八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスン(1)

 昨日(3月11日)の13時30分から、八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスンを行なった。今回は第3期・朗読ステップ2の第9回目、レッスン台本・宮澤賢治原作「雁の童子」の3回目である。宮澤賢治の作品は色々と分からない点が多くある。そういう点は解読の有力な糸口だから大切に扱うように注意した。

 前回のレッスンでも同じようなことを注意したのだが、会員の皆さんの反応をみていると必ずしも私が期待しているようなものではなかった。やはりこういうことは、その対象に正面から立ち向かって考察を重ねその対象が含む謎を実際に解いた経験がない人に、口で言っただけではなかなか理解してもらえないもののようである。

 拙著『朗読の理論』を読んで面白く感じた読者は、そういう謎解きの面白さを理解した方々なのだろう。私の朗読レッスンを面白く感じて続けてくれているサークル会員も、恐らくそういう謎解きの面白さを理解してくれているのだろう。ただ、その謎解きの面白さを自分で体験できる人は、そのなかの一部ということなのだと思う。



○八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスン(2)

 今回は、ある最古参の会員との朗読的なやり取りに大いに感じたことがあった。その会員に、朗読しているときにどのくらいイメージを先行させているのかを訊いてみた。その会員は、朗読している箇所の前あるいはその前の段落で表現されていたことを踏まえて、それを受けてどのように朗読するかをイメージしている、と答えた。

 朗読するときに先行的にイメージする内容は、幾層にも分かれて重なっている。最も基本的なイメージは、1つ1つの言葉(文節)のイメージである。しかし、そればかりイメージしていたのでは、ブツブツと途切れた朗読になってしまう。その言葉のイメージを踏まえて、複数の言葉(文節)をまとめた文としてのイメージとなる。

 そのつぎにイメージしなければならないのは、いくつかの文をとおして表現されている文章としての意味の流れである。すなわち文章の構成としてのイメージである。この会員がイメージしたものは、この構成的なイメージだったのである。その場合には1つ1つの言葉(文節)や文の内容をイメージすることは無意識化されている。





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館長の朗読日記1970/千葉「わかば」の朗読レッスン

館長の朗読日記1970  (戦後72年03月10日 新規)



○千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスン(1)

 昨日(3月09日)の13時30分から、千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスンを行なった。今回から第2期の最後の段階、朗読ステップ6に突入する。今回は、その第1回目、最初のレッスン台本は宮澤賢治原作「なめとこ山の熊」である。この宮澤賢治の作品は、一筋縄では解読できない素晴らしい内容をもっている。

 そのレッスンに入る前に、まず3月22日(水)に開催する、第8回「小さな朗読館」のプログラムを変更した理由と、新しいプログラムの概要を説明した。そして、知人友人をこの朗読会に誘ってくれた会員には、その知人友人の皆さんにも、この変更内容を周知してもらうよう依頼した。他に広報の有効な手段がないのである。

 また、宮澤賢治原作「なめとこ山の熊」の朗読レッスンの前に、朗読ステップ6全体の目的と意義と内容を大まかに説明した。朗読ステップ6は、朗読者が自分の朗読をしながら、その自分の朗読を観客の立場から客観的に聴き取るための技を、身につけるべく修練することを主目的とする段階である。これは、最後の段階である。



○千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスン(2)

 宮澤賢治原作「なめとこ山の熊」の今回の朗読レッスンは、第1に、地の文における表現主体の「視点の転換」を明確に認識するよう指導した。空間的「視点の転換」、時間的「視点の転換」、主体的「視点の転換」、内面的「視点の転換」。今回は、特に、空間的「視点の転換」と主体的「視点の転換」を重点的に説明した。

 第2に、宮澤賢治原作「なめとこ山の熊」に多々みられる、不可解なこと、不思議なこと、何か変だなと心と頭にひっかかること、を見つけ出し、それらの点を大切に心と頭に保持しつづけることの大切さを説明した。それらの点を、あまり安直に納得してやり過ごさないように注意した。より深い解読の糸口になる可能性が高い。

 芥川龍之介の「杜子春」「羅生門」「玄鶴山房」、太宰治の「走れメロス」「富嶽百景」「黄金風景」、宮澤賢治の「おきなぐさ」「春と修羅」「セロ弾きのゴーシュ」などの文学作品の私の解読は、すべてそのような糸口から手繰っていったものである。そして、解読の結果その糸口に疑問が氷解したときの喜びは非常に大きい。





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館長の朗読日記1969/品川「あやの会」の朗読レッスン

館長の朗読日記1969  (戦後72年03月08日 新規)



○品川朗読サークル「あやの会」の朗読レッスン(1)

 昨日(3月07日)に、品川朗読サークル「あやの会」の第2期・朗読ステップ5の16回目のレッスンを行なった。今回は5月に開催する朗読発表会に向けたレッスンの4回目である。今回はその第2部を全員に順々に朗読してもらった。読み継ぎ形式の朗読は、1つの作品を出演者の数だけ細かく輪切りにしてつなげていく。

 読み継ぎ形式の場合には、特別な課題が出てくる。代表例が、登場人物のセリフ表現の統一性をどうするかである。今回の朗読作品「阿弥陀堂だより」の場合には、この作品に特有な課題もある。ポイントポイントで挿入される広報紙のコラム記事「阿弥陀堂だより」の表現的な統一性をどのようにもたせるか、もその1つである。

 このサークルは皆さん熱心で、何回も自主練習会を重ねていく。前回のレッスン後には、その一環として映画「阿弥陀堂だより」の鑑賞会を催した。その結果、参考になった点も多々あったが、朗読と映画の違いも再認識したという。コラム記事「阿弥陀堂だより」の朗読表現の仕方もそのひとつで、今後の研究課題であるという。



○品川朗読サークル「あやの会」の朗読レッスン(2)

 今回は、私からも新たな課題を提起した。それは、他のサークルにも横並びで提起しているものだが、地の文とセリフの表現についての基本的な課題である。地の文とセリフには、それぞれ2通りの種類がある。地の文の場合は、原作者としての表現と登場人物としての表現の2通りである。それをどう語り分けるかが課題である。

 セリフの場合は、作品世界に登場する他の登場人物に語りかけるセリフと、セリフを表現している登場人物が独り言ないしは自問自答するセリフ、の2通りである。それをどう語り分けるかが課題となる。今回の「阿弥陀堂だより」には、そのいずれの表現のケースも存在している。それぞれをはっきりと語り分けるよう注文した。

 今回は、体調不良でしばらく休んでいた会員が久しぶりにレッスンに復帰した。久しぶりに聴いたその会員の朗読は、とても素晴らしかった。また、他の会員であまり丈夫でない方の朗読も、着実に良くなってきていた。それぞれに体調に不安を抱えている会員の皆さんが、それぞれのペースで頑張っていることに敬意を表したい。









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館長の朗読日記1968/千葉「風」の朗読レッスン

館長の朗読日記1968  (戦後72年03月05日 新規)



○千葉朗読サークル「風」の朗読レッスン(1)

 昨日(3月04日)の午前9時30分から、千葉朗読サークル「風」の朗読レッスンを行なった。今回は、第3期・朗読ステップ1のレッスンの7回目。今回は、今年6月に開催する朗読会に向けた台本のレッスンの2回目である。会員の半数は共通レッスン台本を読み継ぎ形式で、他の半数の会員は1人1作品形式で朗読上演する。

 このサークルも、1期生と2期生の混在である。そろそろ3期生も登場して来た。だいたいは、レッスン歴の長さに比例して朗読の上達度が上がっている。しかし、レッスン歴は短くとも、入会する前に朗読を経験してきた会員や朗読は初めてでも声優やアナウンサーの訓練を経験してきた会員は、当然、朗読の上達度が高くて速い。

 近年は、どの朗読サークルにおいても、会員の朗読的な上達具合がそういう複雑な状況になってきている。そういう複雑な状況を見据えながら、会員1人1人の上達の経緯と現状を判定し、その場その場でもっとも的確と思われる朗読指導を試みている。その指導が的確でないと、会員の納得が得られない。まさに真剣勝負である。



○千葉朗読サークル「風」の朗読レッスン(2)

 ただし、場合によっては、全員に同じ大きな課題を提起し、レッスンを通してその課題を追究することもある。その課題に対して、さまざまな上達具合にある会員たちがどのように取り組み、どのように解決するか。これは一種の実験にもなるのである。最近、私が取り組んでいる課題は、地の文とセリフの語り分けについてである。

 地の文は、表現する主体は原則として原作者(=朗読の場合は朗読者)である。しかし、さらに読み込んでいくと原作者ないしは朗読者が直接に読者ないしは聴き手に語りかる部分の他に、登場人物に「視点の転換」をして登場人物として直接に読者ないしは聴き手に語りかける部分もある。その2つを明確に語り分けるという課題。

 他方、セリフは、表現する主体はいうまでもなく作品世界に登場する登場人物である。しかし、これも2種類ある。1つは、作品世界の中で登場人物同士で語り合う部分。2つは、自分の内面で独白ないしは自問自答する部分。その2つのセリフを明確に語り分けるという課題。当面、この課題に意識的に取り組んでいくことにする。






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館長の朗読日記1967/船橋「はなみずき」と習志野「茜」の朗読レッスン

館長の朗読日記1967  (戦後72年03月03日 新規)



○船橋朗読サークル「はなみずき」の朗読レッスン(1)

 昨日(3月02日)の午後3時00分から、船橋朗読サークル「はなみずき」の朗読レッスンを行なった。会場は船橋市海神公民館ではなく船橋市中央公民館である。今回は第2期・朗読ステップ5の第18回目。本来なら4月に開催すべき朗読発表会を2ヶ月先の6月に延期したが、その朗読勉強会に向けた2回目の朗読レッスンである。

 このサークルの朗読発表会は、長い作品を会員全員が少しづつ読み継ぐ形式で上演する。今回は、前半と後半に別々の作品を上演することにしている。いわば2本立て公演である。今回は、後半に上演する作品のレッスンをした。今回は、特に、文学作品の表現主体が誰に向って表現しているのか(語りかけているのか)とを問題にした。

 文学作品の表現主体は2種類しかない。作品世界の中に登場してセリフを表現する登場人物。そして、原作者(作品によっては原作者の分身である登場人物の1人)として地の文を表現する原作者。この2種類である。登場人物が表現するセリフには2種類ある。他の登場人物に語りかけるセリフと、自分自身に語りかける独り言である。



○船橋朗読サークル「はなみずき」の朗読レッスン(2)

 原作者が表現する地の文にも2種類ある。1つは、原作者が観客に直に語りかける地の文である。他の1つは、原作者が登場人物の1人に視点(心情)を転換し、あたかも登場人物自身であるかのように観客に語りかける地の文である。今回レッスンした作品は、その4種類の表現が明確に区別されて表現されている。その事実を指摘した。

 したがって、朗読する方も、その各々を明確に語り分けて表現することに今回のレッスンの重点を置くことを提案した。このサークルの会員たちは、それぞれかなり上達してきている。それに加えて、この4種類の語り分けが明確に出来れば、その朗読表現はかなり立体的になって、聴き手をひきつけることができるると考えたわけである。

 しかし、これはなかなかむずかしい。セリフにしても、地の文にしても、朗読者が自分の言葉として、自分の心情として、自分のイメージとして、朗読表現できなければ、この4種類の語り分けが明確にできないからである。当然、これに《間》の問題もからんでくる。今回はレッスン歴10年を超すベテラン会員でもかなり苦労していた。



○習志野朗読サークル「茜」の朗読レッスン(1)

 昨日(3月02日)の午後6時10分から、習志野朗読サークル「茜」のレッスンを行なった。今回は第2期・朗読ステップ3の14回目、今回は、今年6月に開催するこのサークルの朗読発表会に向けたレッスンの2回目である。このサークルの上演形式は1人1作品を原則にしている。ただし3人の会員が1つの作品を読み継ぐ場合もある。

 このサークルは、もっとも新しいサークルである。それでも、現在は第2期の朗読ステップ3である。最古参の1期生はレッスン歴が9年目に入っている。2期生のレッスン歴はまだ3年目だが、新しく入った会員のレッスン歴はさらに短い。したがって、各文節、特に始めの文節(主語)や終りの文節(述語)が下がり気味の会員もまだいる。

 最古参の1期生でも、私がいつも指導している「語りかける語り口」の重要性を本当に理解していない会員は、ときどきこれらの文節(主語や述語)の部分が下がってしまう。あるいは、下げずに上げる場合でも、不自然な上げ方をしてしまう場合がある。指導しても、結局は本人が本当にその気にならなければ身につけることができない。



○習志野朗読サークル「茜」の朗読レッスン(2)

 1人1作品形式の朗読は、朗読者の個性と作品の個性が絡み合い、ぶつかり合い、相互反映し合うものである。そこに語り口や解読の仕方がからんでくるから、なかなか一筋縄ではいかない。作品によってさほど神経質になる必要のない場合もあるが、反対にものすごく繊細に試行錯誤して最適解を探っていかなければならない場合もある。

 この問題は、朗読者の上達レベルにも深く関係している。初心者の場合やレッスン歴がさほど長くない会員の場合は、それほど神経も使わない。神経を使って試行錯誤しながら指導しても、それが朗読表現に反映される度合いが少ないからである。レッスン歴が長いベテラン会員の場合には、こちらの試行錯誤的な指導もいささか気合が入る。

 ただ、相手が自分の言葉で「語りかける語り口」を修得できている場合には、この試行錯誤的な指導もかなり効果があるのだが、それを修得できていない場合には、こちらの独り相撲に終わってしまうことが無きにしもあらずということになる。相手が、こちらの試行錯誤について来れないという状況になりかねないからである。むずかしい。






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館長の朗読日記1966/朗読についての準備いろいろ

館長の朗読日記1966  (戦後72年03月01日 新規)



○朗読についての準備いろいろ(1)

 昨日(2月28日)の11時00分から、船橋市きららホールにおいて3月22日(水)に開催する第8回「小さな朗読館〜感動をつくる朗読をめざして〜」に向けた会場スタッフ打合せを行なった。こちらは私とマネージャー役の家人の2人が出席し、あちらは照明担当スタッフの1人が出席し、3人で坦々と打ち合わせた。

 基本的には昨年10月に開催した第7回「小さな朗読館」と同じやり方をそのまま踏襲するわけだから、会場スタッフが持参した前回の実施記録をベースに打合せは順調に進行する。こちらからは、当日のタイムテーブルと朗読台本を持参した。特に、朗読台本は、上演中にホリゾント照明を操作してもらうために不可欠なのである。

 約1時間で打合せを終えた後、船橋駅に近いデパートの地下に行き、本番当日の昼食に提供する弁当の予約注文をした。こちらも、毎回、同じ店で予約注文するものだから、家人などはすっかり顔と名前を覚えられており、予約注文の手続きもスムーズにいった。こういう点においても、継続は何かと力になっているようである。



○朗読についての準備いろいろ(2)

 来月の4月04日(火)の14時00分から、東京都大田区で朗読サークルを立ち上げるか否かを相談する会を催す。今年1月に「大田文化の森」で行なった「朗読入門講座」の受講生を中心に、大田朗読サークルを立ち上げようかという流れになっているのである。立ち上げるか否かは、発足時に何人ぐらい参加するかで決まる。

 今回は、品川朗読サークル「あやの会」の大田区在住の会員が、ほぼ独力で動いてくれた。今回の相談会を催すに当たっても、会場の予約や相談会のポスターやチラシを「大田文化の森」に配備するための手続きを、すべてその会員が手配してくれた。この会員の努力に報いるためにも、4月の相談会がうまくいくよう願っている。

 朗読についての準備といえば、本番まであと20日ほどになった第8回「小さな朗読館〜感動をつくる朗読をめざして〜」に私が朗読する予定の岡本かの子原作「鮨」の練習も、徐々に本腰を入れなければならない。この作品は、かなり前からいつか舞台で朗読したいと思っていた。むずかしいが、やり甲斐のある良い作品である。






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館長の朗読日記1965/映画『熊野から ロマネスク』『ニュートン・ナイト 自由の旗をかかげた男』を観に行った

館長の朗読日記1965  (戦後72年02月27日 新規)



○映画『熊野から ロマネスク』『ニュートン・ナイト 自由の旗をかかげた男』を観に行った(1)

 昨日(2月26日)の11時10分から上映する映画『熊野から ロマネスク』を観に行った。映画館は「渋谷 シアター・イメージフォーラム」である。私はもともと出不精なので、日曜日の午前中にわざわざ東京の渋谷まで映画を観に行くようなことは先ずしないのだが、今回は品川「あやの会」の会員たちに連れられていった。

 なぜなら、この映画の中で折口信夫『死者の書』の朗読が挿入されるのだが、品川朗読サークル「あやの会」の会員である中村洋子さんがその朗読をするのである。中村洋子さんは、本職は茶道家なのだが、永年、謡を修行しており、ご縁があって2年少し前から品川朗読サークル「あやの会」に入会して朗読の修練を継続している。

 中村洋子さんが、この映画の製作・脚本・監督をしている田中千世子さんとは旧友ということもあって、折口信夫『死者の書』の朗読を依頼された、という。ちなみに、この映画のパンフレット造りも田中さんや中村さんの元学友が協力しているという。この映画は、学生時代の仲良しグループが協力し合って制作されたものである。



○映画『熊野から ロマネスク』『ニュートン・ナイト 自由の旗をかかげた男』を観に行った(2)

 映画はとても良かったし、中村洋子さんの『死者の書』の朗読もとても良かった。上映後のトークに出演した中村洋子さんは、短い朗読と謡を披露していた。また、拙著『朗読の理論』にも触れて高く評価してくれた。私は逆に、中村洋子さんは『朗読の理論』の内容が読めるばかりでなく、その価値が分かる人なんだと再認識した。

 映画の後、中村洋子さんに紹介されて田中千世子さんにもご挨拶した。その後、品川「あやの会」の会員の皆さんと近くのレストランで会食した。話題は、映画や朗読の話しが中心だったが、けっしてそればかりではなかった。色々なことが話題になったが、そのどれも楽しかった。約2時間ほどがアッという間に経ってしまった。

 散会した後、久しぶりに新宿紀伊國屋に行き本を買った。それから新宿武蔵野館に回り、映画『ニュートン・ナイト 自由の旗をかかげた男』を観た。アメリカの南北戦争の最中、南部ミシシッピー州ジョーンズ郡において、零細農民と奴隷と共に闘い「ジョーンズ自由州」の独立を宣言した人間の史実を忠実に再現した映画である。







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館長の朗読日記1964/八千代「新・みちの会」の朗読レッスン

館長の朗読日記1964  (戦後72年02月26日 新規)



○八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスン(1)

 昨日(2月25日)の13時30分から、八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスンを行なった。今回は第3期・朗読ステップ2の第8回目、レッスン台本・宮澤賢治原作「雁の童子」の2回目である。宮澤賢治の作品は、どの作品もなかなか一筋縄にはいかない。特に主人公の童子のセリフには色々と分からない点が多い。

 一体に、宮澤賢治の作品を初め太宰治や芥川龍之介の作品には色々と分からない点が多くある。いわゆる、何かひっかかってくるところがアチコチとあるのである。私の経験では、そういうところは彼らの作品を深く解読するためのヒントになったり糸口である場合が多い。あまり安直に解釈して分かった積もりにならない方が良い。

 今回のレッスンでも、私から色々と分からない点やひっかってくる点を指摘した。しかし、その場で表面的な解釈をすることなく、しばらくは分からないこと、ひっかってくることを、胸のなかに抱えこんで温めておくように助言した。それらの疑問点が、あるとき一挙に分かってくる瞬間が会員たちに訪れないとも限らないからである。



○八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスン(2)

 それらのことは、私自身が体験した事実に依っている。いわゆる体験智なのである。最近の芥川龍之介「杜子春」がそうであった。数年前の、太宰治「走れメロス」「富嶽百景」「黄金風景」や芥川龍之介「玄鶴山房」や宮澤賢治「おきなぐさ」がそうであった。さらに遡れば宮澤賢治の「セロ弾きのゴーシュ」がそうであった。

 それらの諸作品における私の解読は、本質をついた画期的なものと私は自負している。それらの解読は、私自身が永年胸に抱いていた分からなかった部分やひっかかっていた部分を糸口にして考察を重ねたものである。同時に、その解読の結果、それらの疑問点はすべて氷解したのである。氷解した瞬間の喜びは、今でも忘れがたい。

 今回の宮澤賢治原作「雁の童子」について、上記の諸作品と同じような解読ができるか否かは分からない。今のところ、私自身も、この作品に対して、今後、作品の本質をついた画期的な解読ができるかどうか全く分からない。しかし、今後しばらくは、この作品の色々な疑問点や不可思議な点を大切に抱え込んでいくつもりである。




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館長の朗読日記1963/千葉「わかば」の第15回「小さな朗読館・ちば」の開催

館長の朗読日記1963  (戦後72年02月24日 新規)



○千葉朗読サークル「わかば」の第15回「小さな朗読館・ちば」の開催(1)

 昨日(2月23日)は、千葉朗読サークル「わかば」の朗読会、第15回「小さな朗読館・ちば」を開催した。会場は千葉市生涯学習センターの小ホール(地下1階)。朗読会は開場が13時0分0で開演は13時30分だが、私は9時30分に会場に到着するようにした。サークルの会員の皆さんはすでに準備を進めていた。

 この千葉朗読サークル「わかば」も、この手の朗読(発表)会を1期生は10数回、2期生でも10回近くは経験しているから、やり方は十分に心得ている。役員と1期生を中心に自立的に準備を進めている。従って、そういう事前準備はもちろん、午前におこなった本番直前のリハーサルも会員たちがテキパキと進めていった。

 私はほとんど口を出すこともなくただ立ち合っているという具合だった。最後の昼食休憩のときに、ワンポイント的なコメントをしただけである。朗読(発表)会における、このようなサークルの自立的な企画・準備・運営は、私が従来からイメージしていた理想のあり方である。近年はどのサークルもその理想形になってきた。



○千葉朗読サークル「わかば」の第15回「小さな朗読館・ちば」の開催(2)

 本番当日は午前中にかなり雨が降ったので、来場者の数はさほど多くなかった。定員が80名のところ来場者数は50〜60名くらいであったろうか。午前中の天候にしては、多くの観客に来ていただいた方だと思う。会員たちの朗読は、どれもなかなか聴き応えがあった。1期生はもちろん2期生もいつの間にか上達したものだ。

 今回は事情があって、かなり本番間近の段階で3人の会員が朗読作品を変更した。1人は2年前の朗読会で朗読した布施明原作「この手のひらほどの幸せ」を再演した。1人はかなり前にレッスンで取り上げた芥川龍之介原作「蜜柑」を舞台にかけた。1人は実母の語った民話を自ら「再話」した「国本ノ観音サマ」を朗読した。

 当初のプログラム通りの作品を朗読した会員も、よく上達したものだと実感した。しかし、2年前の作品を再演した会員や、以前にレッスンでやった作品を舞台で朗読した会員は、以前と今回の比較ができた分、余計、その上達ぶりがはっきりと分かった。また、自分で「再話」した作品を朗読した会員は一段と上達して聴こえた。



○千葉朗読サークル「わかば」の第15回「小さな朗読館・ちば」の開催(3)

 来場者を出入口で見送ったさいの彼らの反応も一段と良かった。終演後、同じ会場で1時間ほどの講評会を行なった。私から一通りの講評を行なった後、会員たちにお互いの講評をしてもらった。さすがに2期生は遠慮して自分の朗読について話していたが、1期生は自分だけでなく全員の朗読について堂々と意見を述べていた。

 自分の朗読だけでなく、他人の朗読についても的確な講評ができるようになることが大切である。それは、朗読者として自立することであり、また、朗読指導者として他人の朗読を指導する場合にも不可欠である。このサークルだけでなく他の朗読サークルも、自主勉強会を通して互いの朗読を聴く耳を鍛えているのは頼もしい。

 講評会の後、場所を変えて打上会を行なった。ここでは、朗読の話しも出たが、さらに幅の広い話題もあった。健康状況、家庭の諸事情、このサークルに入会するまでの経緯、自分が生まれ育った昔の千葉県の田舎の様子、今回の朗読会に来場していたちょっと得体の知れない来場者の正体の推察、などなど話題は尽きなかった。









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館長の朗読日記1962/品川「あやの会」の朗読レッスン

館長の朗読日記1962  (戦後72年02月22日 新規)



○品川朗読サークル「あやの会」の朗読レッスン(1)

 昨日(2月21日)に、品川朗読サークル「あやの会」の第2期・朗読ステップ5の15回目のレッスンを行なった。今回は5月に開催する朗読発表会に向けたレッスンの3回目である。今回はその第1部を全員に順々に朗読してもらった。読み継ぎ形式の朗読は、一つの作品を出演者の数だけ細かく輪切りのように切ってつなげていく。

 したがって、作品を通して登場する主要な登場人物のセリフも、細かく別々の出演者が分担分けして朗読していく。今回の作品「阿弥陀堂だより」にはかなり個性的な登場人物が終始登場する。したがって、会員の皆さんは、そのセリフ表現をかなり工夫しなければならない。自分だけでなく、他の会員のセリフ表現との統一性も大切になる。

 そこで、今回のレッスンの後、サークル会員の自主勉強会の一環として、映画「阿弥陀堂だより」をレッスン会場で鑑賞するという。私は用事があったのでお先に失礼したが、会員の皆さんの熱心さには頭が下がった。次回のレッスンのときに、今回の映画鑑賞がどのように活かされるか、大いに楽しみである。ぜひ頑張って欲しいと思う。



○品川朗読サークル「あやの会」の朗読レッスン(2)

 このサークルの会員の1人が、田中千世子監督作品『熊野から ロマネスク』に「死者の書」の朗読で出演している。新聞の文化欄でも紹介されている記事を見た。東京都渋谷の「シアターイメージフォーラム」で上映中であり、2月26日(日)には朗読した会員がトークショーに出演するので「あやの会」の会員たちが大挙して観に行くという。

 私は本来が出不精であり、風邪が治ったばかりなので大いに迷ったが、朗読出演した本人から映画のチケットをプレゼントされてもいたので、品川「あやの会」の皆さんに同行することにした。正直にいうと、映画館の場所がよく分からないので、連れて行ってもらうわけである。映画で朗読がどのように活かされているのかにも興味がある。

 とまれ、朗読という芸術分野が少しづつ発展&普及していき、その活動分野が映画その他いろいろな芸術分野にさらに広がっていって欲しいものである。そして、それが日本の学校教育の場にも広がっていき、日本語の認識&表現のための基本が学問的なキチンとした理論に基づいて子供たちに指導されるようになることを心から望んでいる。






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館長の朗読日記1961/千葉「風」の朗読レッスン

館長の朗読日記1961  (戦後72年02月20日 新規)




○千葉朗読サークル「風」の朗読レッスン(1)

 一昨日(2月18日)の午前9時30分から、千葉朗読サークル「風」の朗読レッスンを行なった。今回は、第3期・朗読ステップ1のレッスンの6回目、前回で芥川龍之介原作「杜子春」のレッスンを終了し、今回から新しい台本に入る。今回から、6月に開催する朗読会に向けた台本のレッスンに入る。会員によって台本はそれぞれ違う。

 向田邦子さんの「父の詫び状」という作品の中に印象深い箇所があった。若い邦子さんが玄関で来客の靴を揃えている場面である。邦子さんがうっかり、お客様の人数を父親にたずねたところ、父親から、靴の数を数えれば来客の人数が分かるではないか、片足のお客様がいると思うのか、来客の人数を訊く前に靴の数を数えろ、と叱られる。

 昔の日本には、このように他人に答えを訊く前に自分の頭で考えろ、という指導を家庭で行なう気風が確かにあったように思う。それにひきかえ、現代の朗読サークルの会員は、指導者の話をロクに訊かずに、指導者が直前に話した内容を平気で質問したり、自分でロクに考えずに安直に回答を求めて質問をしたりする、と皮肉った。



○千葉朗読サークル「風」の朗読レッスン(2)

 ところが、このサークルの会員たちはそんなことでは恐れ入らない。私たちがそういう雰囲気だから、先生も言いたいことを言えるんじゃないですか、というのである。まあ、それも当たらずといえども遠からずというところもある。しかし、そのために、同じことを数年間は言い続けなければならないので、疲れることは大いに疲れるが。

 今回は、地の文における「視点の転換」に特化して朗読指導した。今回は初読であったから、大半は平板な朗読をしていた。もちろん、初読ながら立体的な朗読表現をしている会員もいた。一流になると、たとえ初読であっても「視点の転換」を意識せずには朗読できないくらい、その技量が身についてしまっているものである。

 逆に、レッスン歴が10年を越している会員のなかにも、この「視点の転換」のことをすっかり失念していたと白状する会員もいる。レッスンに向けた日々の自宅練習において、この「視点の転換」を意識して地の文を朗読するかしないかという、この積み重ねの威力と格差はものすごい。私の「朗読の理論」の真理性は日々実証されている。







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館長の朗読日記1960/船橋「はなみずき」と習志野「茜」の朗読レッスン

館長の朗読日記1960  (戦後72年02月17日 新規)



○船橋朗読サークル「はなみずき」の朗読レッスン(1)

 昨日(2月16日)の午後3時00分から、船橋朗読サークル「はなみずき」の朗読レッスンを行なった。今回は第2期・朗読ステップ5の第17回目。本来なら4月に開催すべき朗読勉強会を2ヶ月先の6月に延期していたが、いよいよ今回からその朗読勉強会に向けた朗読レッスンに入って行く。このレッスンは、演出とはちがう。

 このサークルには1期生と2期生が混在している。やはり1期生は、それなりの朗読をする。朗読の基本である「語りかける語り口」は基本的に修得している。したがって、レッスンの内容は朗読作品を全体としてどのように表現していくか、という側面が中心となる。作品世界をどのような朗読表現で構成していくかという側面である。

 2期生は、先発組と後発組に大別される。先発組はかなり「語りかける語り口」が身についてきている。したがって「語りかける語り口」の手直しよりも、作品構成的な朗読表現の指導が主になる。逆に後発組は「語りかける語り口」の手直しや声出しの指導の方が主となる。たぶん、レッスン歴が3年を越すとちがってくると思う。



○船橋朗読サークル「はなみずき」の朗読レッスン(2)

 この船橋朗読サークル「はなみずき」に対して、船橋市西部公民館からこの公民館が主催する寿大学の来年度のカリキュラムに朗読会を組み入れたいので出演して欲しい、という依頼があった。持ち時間は90分、受講者は60歳〜80歳の年齢層の方々が80人〜90人くらいという。こういう依頼は、嬉しいし、大歓迎である。

 このサークルは、船橋市東老人福祉センターが主催する「ふなばし東老朗読会」を5年以上も続けている。こちらは年6回の朗読会を上演する。このような実績が少しづつ認められて、あちこちから依頼が来るようになると非常に嬉しい。そういう依頼が刺激になって、サークル会員の朗読の上達につながっていけば、なおさら良い。

 私が朗読指導している6つの朗読サークルは、それぞれ少しづつだが、そういう依頼が来るようになっている。その依頼先や依頼内容はさまざまであるが、どの朗読サークルも一所懸命にそういう依頼に応えようと努力している。そういう朗読会が、サークル会員の皆さんの生き甲斐にもなっているからである。会員の意気込みも嬉しい。



○習志野朗読サークル「茜」の朗読レッスン(1)

 昨日(2月16日)の午後6時10分から、習志野朗読サークル「茜」のレッスンを行なった。今回は第2期・朗読ステップ3の13回目、今回から、今年6月に開催するこのサークルの朗読発表会に向けたレッスンに入っていく。今回の上演形式は1人1作品を原則としている。ただし3人の会員が1つの作品を読み継ぐケースもある。

 レッスン歴がまだ短い会員が、各文節の助詞を下げて朗読していた。そこで、まだ冒頭の部分だったが、その点を注意した。そうすると、驚いたことにその後の大部分は、見事に各文節の助詞を下げずに、それに続く文節につなげる意識で朗読していた。指摘すれば、即応できる実力が身についていたのである。これは嬉しかった。

 別の会員は、以前は言葉の1つ1つが明確でなかったが、最近は見違えるように明確になってきた。そこで、今後は、言葉を明確に発声する意識は保ちつつも、むしろ、心情表現やイメージ表現のために大きく演技する方に意識の主力を向けるように指導した。そう指導しながら、このような指導をする段階になったことが嬉しかった。



○習志野朗読サークル「茜」の朗読レッスン(2)

 このサークルは会員数が10人を切っている。しかも、今回は欠席した会員が2人もいたので、レッスンはいささか寂寥たるものになった。サークルの会員数が少なくなると、会員1人当りのレッスン時間が長くなるから、密度の高いレッスン内容になるなどと考えるのは、大きな間違いである。むしろ、その反対になってしまう。

 朗読する当人はなかなか自分の朗読の良し悪しが分からない。従って、私からの指導内容も本当のところはなかなか分からない。しかし、他人の朗読についてはその良し悪しがよく分かる。従って、他人の朗読に対する私の指導内容も良く理解できる。他人が自分と同じ指導を受けていると、自分もそうなのかと分かってくるのである。

 今年6月の朗読会までの間に、会員数を増やす方策を立て、その実行プログラムを煮詰めていかなければならないと考えている。このサークルは、レッスン時間が平日の夜である点がネックになっている。発足時の事情でそういう時間帯になったのだが、今はそのゆおうな事情も解消されている。いろいろな点で見直していく必要がある。








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館長の朗読日記1959/第8回「小さな朗読館」のリハーサル

館長の朗読日記1959  (戦後72年02月15日 新規)



○第8回「小さな朗読館」のリハーサル(1)

 先月1月25日の13時00分〜16時00分に、今年3月に開催する第8回「小さな朗読館〜感動をつくる朗読をめざして〜」のリハーサルを行なった。会場は八千代市八千代台公民館・工作室。参加したのはゲスト出演者(畑野欸子、植本眞弓、小松里歌、吉田光子)の4人と、司会進行役(飯野由貴子)と私の6人である。

 まず、参加したメンバーに簡単な自己紹介をしてもらった。皆、互いの朗読(発表)会を見に行っているから、顔見知りである。次に、プログラムの順にゲスト出演者に朗読を披露してもらった。全員がかなり仕上げてきていて、さすがの朗読であった。私からは、文字通りのワンポイントに絞った短い確認、ダメ出し、指導をした。

 作品も、誰もが経験したはずの話、江戸時代の江戸城内での話、幼くして母を亡くした子供の話、水俣病に苦しむ漁師夫婦の話と、それぞれ聴きごたえがある上にバラエティに富んでいる。興味深く充実した朗読会になりそうである。ゲスト出演者全員のリハーサルがひと通り終わった段階で、お茶の時間とし、懇談・歓談をした。



○第8回「小さな朗読館」のリハーサル(2)

 その後、司会進行役から、朗読前の紹介の仕方について大筋の説明があった。また司会進行役からゲスト出演者にアンケート用紙が配られた。朗読前に紹介を希望する具体的な内容について記入してもらうためである。ゲスト出演者ごとに舞台のバック照明の希望色について台本に記入してもらった。会場スタッフとの打合せに提示する。

 4人のゲスト出演者が、それぞれの朗読台本についての想い入れを語ってくれた。その中で、水俣病に苦しむ素朴な漁師夫婦の話を朗読するゲスト出演者が、この作品に対する自分の想い入れを熱く語ってくれた。それを聴いていた司会進行役が、本番ではそのゲスト出演者が朗読する前に今の話しを語った方が良い、と提案してくれた。

 朗読者が自分の朗読前に、自己解説や自己紹介をする形式も、場合によっては良いかも知れない。改めて考えると、私が一昨年までやっていた「東百道・講演と朗読の会」も、いくぶんそれと似通ったところがあった。作品にもよるし、朗読者にもよるから、いちがいに良いとは言えない。しかし、今回試行してみる価値はあると思う。






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館長の朗読日記1958/八千代「新・みちの会」の朗読レッスン

館長の朗読日記1958  (戦後72年02月14日 新規)



○八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスン(1)

 今月2月11日の13時30分から、八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスンを行なった。今回は、第3期・朗読ステップ2の第7回目、新しいレッスン台本・宮澤賢治原作「雁の童子」に入る。今回は、その第1回目である。今回は、このレッスン台本のレッスンに入る前に、私からいろいろの話しや相談をした。

 そのひとつは、先月の末に「大田文化の森」でおこなった「朗読入門講座」の報告と、サークルの総意として希望があれば、その講義部分をレッスンの切りのよいところで再演しても良いが、と水を向けたものである。このサークルはこのようなとき、なかなかはっきりとした反応を示さない。面倒なので結論を先送りした。

 レッスン台本のレッスンが終わった後、今秋9月に開催する朗読発表会の原作について会員同士が相談をしていた。この相談には私も同席して、質問に答えたり、意見を述べたりした。昨年末から会員同士で相談をしているにもかかわらず、まだ結論が出ない。テキパキと早く結論を出すばかりが良いとはいえないが、歯がゆい。



○八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスン(2)

 新しいレッスン台本・宮澤賢治原作「雁の童子」は、老人の語りが主となる。その老人の語りのなかに、主人公の雁の童子やその父母のセリフがかなり入ってくる。また作品全体が、語りの文体から成っている。登場人物の立場からセリフ表現を主にレッスンする朗読ステップ2の台本に選んだ所以である。ただ少し複雑である。

 作品の本体部分を構成している老人の語りは、朗読の場合には朗読者自身が老人になり変わって語った方が良い部分である。その前後の老人の語りから、本体部分の朗読者自身の語り(本来は老人の語り)に、どのように推移させるかが、朗読者の腕の見せどころといって良い。その推移を聴き手に自然に感じてもらうために。

 今回は、体調がすぐれない会員が2人も欠席した。その他にも、事情で1年間の休会を余儀なくされた会員も1人いる。反面、今回から新規に入会した会員も1人いる。サークル全体としては、そろそろ会員の増加策を真剣に模索し、実施するべき時期にきている。焦る必要はないが、今年中になにか具体策を講じることにしたい。






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館長の朗読日記1957/千葉「わかば」の朗読レッスン

館長の朗読日記1957  (戦後72年02月11日 新規)



○千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスン(1)

 一昨日(2月09日)の9時30分〜16時00分に、千葉朗読サークル「わかば」が2月23日に開催する第15回「小さな朗読館・ちば」に向けた朗読リハーサルを行なった。今回は、朗読レッスンとしては、第2期・朗読ステップ5の20回目、第15回「小さな朗読館・ちば」に向けた朗読レッスンの7回目ということになる。

 通常のレッスンでは、時間の関係で1つの作品を3分割して、いわば細切れの形で朗読レッスンするのだが、今回はたっぷり時間があるので、1つ1つの作品を始めから終わりまでじっくりと朗読してもらい、私の方もかなり時間をかけてダメ出しとコメントをした。全体的な印象としては、会員の皆さんはそれぞれ上達した、と思った。

 第1期の最後には5〜6人まで減ってしまった会員数も、あれから6年経った現在は12人まで回復し安定している。結局、現在は1期生は4人しかいなくなってしまったが、その4人の1期生は結束して後輩の2期生をよくまとめリードし、自主練習会などのときにはかなり明確で的確なアドバイスをしてくれているようである。



○千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスン(2)

 途中の昼食は、レッスン会場の近くのレストランに行って、全員で会食をした。会食しながら、いろいろの話しをした。たとえば、今後の朗読(発表)会のあり方なども話題になった。近年は1人1作品形式の朗読会が続いているが、大作を全員で読み継ぐ形式の朗読発表会を再開したい、という意見もけっこう多かった。

 私が、江戸川乱歩のような作品はどうか、と水を向けたら、やってみたいという意見がけっこう多かった。私としては、へえっ、という感じだった。真面目な会員が多いと思っていたが、江戸川乱歩の作品ぐらいはそれほど抵抗感がないのかも知れない。ただし、なかには「人間椅子」は嫌だという意見もあったから作品によるのだろう。

 このサークルの会員にも、かなり内容的に突っ込んだ、あるいは、演出的な内容のダメ出しやコメントができるようになった。このような朗読指導は、相手の実力が上がってこないとなかなかできない。また、無理にしても意味ががない。ただし、そういう内容の指導を脇で聴いていれば、そのうち分かってくるということも考えられる。







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