05館長の朗読日記 85
館長の朗読日記 85 (戦後62年12月31日新規)
○朗読とフィギュアスケートにおける音楽(BGM)の違い
朗読と音楽(BGM)との関係と、フィギュアスケートと音楽(BGM)との関係とは、共通しているところももちろんあるが、違っているところもある。
もっとも本質的な違いは、朗読は音楽(BGM)なしでも成り立ち得るのに対し、フィギュアスケートは音楽(BGM)なしにはほとんど成り立ち得ない、というところにある。この本質的な違いは、朗読が言語表現の一種であるのに対して、フィギュアスケートはスケート技術に基礎づけられてはいるものの本質的には舞踊表現の一種である、というところに起因している。舞踊表現は言語表現に比べて、音楽(BGM)との関係性が格段に密接なのである。
○太田由希奈のフィギュアスケートと音楽(BGM)との関係
私は、昔からフィギュアスケートのファンであるが、それはもっぱらテレビ観戦するという程度のものでしかない。当然、スケート技術についてはまったくの門外漢である。しかし、そういう私でも、太田由希奈のフィギュアスケートの表現力が、他の選手たちと比べて飛び抜けていることくらいは分かるつもりである。
2006年のトリノ・オリンピックにおいて、荒川静香とサーシャ・コーエンとイリーナ・スルツカヤという3強の争いとなり、荒川静香が金メダルを獲得した。しかし、表現力という点においては、私はサーシャ・コーエンの演技にひきつけられ、眼を見張ったものであった。しかし、昨年の第75回全日本フィギュアスケート選手権大会において、太田由希奈がSPで踊った「スワン・レイク」の表現は、私にはいささか衝撃的であった。これだけの表現ができる選手が日本にもいたのか、という驚きである。このときの太田由希奈の表現は、トリノ・オリンピックにおけるサーシャ・コーエンのそれを質的に抜いていたように、私には思われた。
○太田由希奈と浅田真央と荒川静香に関する森雅章の優れた評論文
太田由希奈については「Excellent Spin」という非公式ファンサイトがある。そこの「Fan Board]欄への書き込みが面白くて、私は頻繁に見に行っている。過日、そこで森雅章という人が書いた「浅田真央と太田由希奈」という文章が紹介されていた。
http://homepage2.nifty.com/morimasa/mao.html
さっそく一読してみたのだが、まことに優れた内容だと感心してしまった。
たとえば、浅田真央のフィギュアスケートに関する次のような記述は見事なものである。
「昨シーズンから今シーズンにかけての四つの競技用プログラムにはいくつかの共通点がある。先ず、『オズの魔法使い』はミュージカル、『風変わりな店』と『カルメン』は歌劇、『くるみ割り人形』はバレエのために作られた音楽だ。皆物語性がある劇音楽なので演じ易いし、彼女もそれぞれの主人公の雰囲気をよく出している。次に、音楽が全て三部構成になっている。しかも『オズの魔法使い』以外は、真ん中にスパイラルに適したスローパートを持ってくるという、一番自然で盛り上がる構成になっている。その各パートのつなぎ目によく静止ポーズを入れるのも、彼女ならではの特徴だ。いずれの静止ポーズもよく考えられ、一瞬にして場面を転換する効果を持ち(僕が一番見事だと思うのはやはり『オズの魔法使い』に於ける嵐の後の静止)、他のスケーター達がどうしてこの技法を殆ど取り入れないのか不思議に思える。要するに、彼女の四つのプログラムは皆物語性を持ち、表現したいことが明確なので、観客は思わず感情移入しその世界に引き込まれてしまう。彼女の演技時間は勿論他のスケーターと同じだが、他のスケーターより短く感じられないだろうか。」
あるいは、フィギュアスケートの表現に関する次のような記述も、かなり優れたものである。
「フィギュアスケーターは表現力を身に付けなければいけない、とよく言われる。が、それでは表現力とは一体何なのか。表現する、とは一体何を表現することなのか。この点について、フィギュアスケーターがよく抱いてしまいがちな誤解が二つほどあると思う。一つは、殊更に笑顔や悲しげな表情を見せることが表現力だ、というもの。もう一つは、個人的な感情や体験を演技に反映させることが表現力だ、というもの。どちらも間違いであり、それらが間違いであることはバレエダンサーを思い浮かべればすぐに判ると思う。バレエダンサーは顔の表情を殊更強調したりしないし、情感はむしろ体全体の動きやポーズで表す。また、その身体的表現は個人的な感情や体験の反映ではない。役柄やストーリーによって、あるいは音楽の要請によって自然に形作られるものだ。浅田真央のプログラムは前者を、太田由希奈のプログラムは後者を重んじている。二人の共通点は共にバレエを習っていたことで、演技にもそれが十分に生かされているのだが、浅田真央の場合にはクラシックバレエ的、太田由希奈の場合にはモダンバレエ的と言えるだろう。」
また、太田由希奈と浅田真央の二人に相互啓発を期待している次の記述についても、私は大いに首肯してしまう。
「太田由希奈の演技には、これから徐々に少女期を脱していく浅田真央にとって、有益なヒントとなるものが数多く含まれていると思う。一方太田由希奈の方も、ジャンプテクニックや遊び心など浅田真央の演技から学ぶ所があると思う。二人が互いに刺激し合いながら成長し、他のスケーター達にも好影響を与えていくならば、今後の日本女子フィギュアスケート界の展望はとても明るいだろう。」
また、荒川静香のトリノ・オリンピックにおけるフリーの演技に、私が感動しつつも、今ひとつ不満であった理由も、この文章の末尾に書き足された「補足―荒川静香の完成」を読んで、私なりに納得することができたのであった。
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