館長の朗読日記2437 (戦後74年/西暦2019年12月06日 新規)
○船橋朗読サークル「はなみずき」の朗読レッスン(1)
昨日(12月05日)の15時から、船橋朗読サークル「はなみずき」のレッスンをおこなった。今回は第3期・朗読ステップ2の第12回目、今回は来年4月に開催する朗読発表会「地獄変」に向けた2回目のレッスンである。台本は、芥川龍之介原作「地獄変」である。朗読発表会はこの台本を前半後半の2部に分けるが、今回はその後半の1回目である。
今回は後半の初読である。この作品は、言葉がむずかしい上に、内容もなかなかむずかしい。そういう作品を会員が全員で読み継ぐ場合には、登場人物の人物設定や事件が発生する場面の設定が、たとえ大まかであっても統一させておく必要がある。この作品の大まかな人物設定や場面の設定は前回のレッスンで済ませたから、今回は表現に多少は踏み込んだ。
一歩この作品の作品世界に踏み込んだ朗読レッスンを始めると、その内容の凄まじさとその表現のむずかしさに、私は思わず困惑の声を上げてしまった。この「地獄変」の朗読はむずかしい。前回の朗読発表会で取り上げた菊池寛原作「恩讐の彼方に」もむずかしかったが、この「地獄変」に比べるとまだましであった。この作品の朗読には相当の覚悟がいる。
○船橋朗読サークル「はなみずき」の朗読レッスン(2)
特に、今回のレッスンで取り組んだこの作品の後半部分がむずかしい。強烈な場面や出来事が次々に出来するが、それをやたらに激しく速く意気込んで朗読しただけでは十分ではない。作品世界の解読とイメージづくりはもちろん、視点づくりとその転換、心情づくりとその転換、これらを的確におこなわなければ、この作品の文字言語の表現に追いつけない。
こういう強烈でむずかしい作品を朗読で読み継ぐ場合、会員1人1人の朗読の合わせ方(統一性の保ち方)をどの程度考慮すべきか、という質問を受けた。朗読表現における大まかな統一性は考えなければならないが、当面は自分が受け持った部分を1つの作品とみなして、自分なりの朗読表現を精一杯仕上げていって欲しいと返答した。なかなかむずかしい。
今回は2人の欠席者が出た。その2人とも、転んで骨折したという。骨折以外に異常はないということなので、来年4月末の朗読発表会までには十分に間に合う。その2人とも出演してもらうことを前提に、レッスンと準備を進める。これは、他の会員にも起こりうるアクシデントである。もちろん、私にも起こりうる。慎重で十分な非常対策が必要であろう。
○習志野朗読サークル「茜」の朗読レッスン(1)
昨日(12月05日)の18時30分から、習志野朗読サークル「茜」の朗読レッスンをおこなった。今回は第2期・朗読ステップ6の第10回目、レッスン台本・藤沢周平原作「川の音」の4回目である。レッスン前に、サークルの代表から、来年6月に開催を予定している朗読発表会を習志野市東習志野図書館主催でおこなう件について現状報告があった。
朗読発表会とリハーサルと立ち稽古の会場も確保できたという。私からは、先日の第16回「小さな朗読館」が無事に開催できた報告と来場のお礼をいった。それからレッスン台本・藤沢周平原作「川の音」のレッスンに入った。例のごとく、会員1人1人に順々に各パートを朗読してもらい、その朗読表現について私からいろいろと具体的に指導していった。
このサークルは現在の会員数が6人と少ない上に、今回は風邪をひいたという会員が1人欠席したので、レッスンに参加した会員は5人であった。人数は少ないが、全員が「語りかける語り口」を身につけつつある。ただし、そのうちの1人の会員は、放っておくといつまでも助詞を下げた「読むような語り口」で朗読してしまう。注意すると、直るのである。
○習志野朗読サークル「茜」の朗読レッスン(2)
また他の1人は、ときどき述語部分の「の」や「で」を変に上げる癖が抜けない。注意しても、何回かは直らない。何回目かで直った頃を見計らって、直らないときと直ったときの本人の自覚の違いを訊いてみたが、明確な回答が得られなかった。無自覚にやってしまう癖がついているようだ。他の部分の朗読はかなり良くなってきているだけに、実に惜しい。
他の1人は、言葉の1語1語を丁寧にはっきりと発声すれば、かなりの心情&イメージ表現になるのに、途中で我慢ができなくなって早口で端折るような朗読表現になってしまう。今回、ある事情で、詩を朗読してもらったところ、1語1語を丁寧に発生したのでなかなか良い朗読になった。この会員には詩の朗読が向いているという、新たな事実を発見した。
他の2人の会員は「語りかける語り口」の面では、ほとんど問題がない。レッスン歴がまだ1年強の1人は、とても飲み込みが良い。しかし、まだ声出しが安定していない。これはレッスン歴からいって、今はまだ無理もない。レッスン歴がより長い会員は、上手なのだが、声出しに力がない。本人の心情とイメージがまだ十分にこもっていない声なのである。
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