05館長の朗読日記(戦後66年/西暦2011年)

館長の朗読日記 790

館長の朗読日記 790   (戦後66年12月31日 新規)




○今年はいろいろとあった(1)

 個人的には、1月に次姉が急逝した。社会的には、3月に東日本大震災という天災と、福島原発事故という人災が発生した。次姉の逝去は未だに現実のものとして受け入れがたいのだが、その想いを込めて6月に小泉八雲原作「きみ子」を朗読した。東日本大震災と福島原発事故については、まだ何もできていない。これからだ。



○今年はいろいろとあった(2)

 朗読サークルの指導は大過なく継続中である。各サークルの朗読発表会も大過なく継続中であるが、上演形式は1人1作品形式を採用するグループが増えて3サークルとなった。他の5サークルは、今年も長編を全員で読み継ぐ形式の上演をした。ちなみに、来年は1人1作品形式が5サークル、読み継ぐ形式が3サークルとなる。

 朗読研究に関しては、拙著『朗読の理論』の姉妹編である『朗読の上達法』の執筆&出版は来年に持ち越した。そのかわり「朗読のための文学作品論」シリーズの第1作『宮澤賢治の視点と方法』の執筆&出版に傾注した。しかし、これも最終原稿は一応仕上げたが、出版は来春に持ち越しとなった。なかなか計画どおりには行かない。

 朗読公演に関しては、6月に第4回「東百道の朗読館」を、12月に第4回「東百道・講演と朗読の会」を何とか開催することができた。いずれも、関係&協力してくださった皆さんのお蔭である。他には、7月に山梨県(甲府市)で芸術文化講習会に、8月に富里市立七栄小学校の校内朗読研修会に、それぞれ講師を依頼された。

 これまでの私の朗読公演や講演公演は、自分で企画&準備&運営&出演するという自作自演のものがほとんどであったが、最近は少しづつ外部から依頼されての公演が出てきた。ありがたいことだし、私が提唱する「感動をつくる朗読」の普及&展開のためにも望ましいことだが、それに振り回されることだけは避けたいと思っている。



○今年はいろいろとあった(3)

 私が「朗読協力・朗読原案」者として参画している朗読漫画『花もて語れ』(片山ユキヲ作)の単行本の第2巻(3月末)と第3巻(9月末)が出版された。この朗読漫画は評判が良く、昨年の東京新聞に続いて、今年は朝日新聞の全国版(4月)の文化欄に大きく記事が掲載され、ラジオやテレビや雑誌類にもとり上げられた。

 出版社(小学館)は、年末に、連載を月刊誌から週刊誌に移籍することを決定&公表した。来春から、小学館の看板漫画雑誌の一つ『週刊 BIG COMIC スピリッツ』に連載されることになった。漫画家の片山ユキヲさんや、担当編集者の高島雅さんほどではないが、私も仕事量が増えそうである。それに振り回されないようにしたい。



○今年はいろいろとあった(4)

 朗読を通していろいろな人と知り合ったり、関係を深め合ったりすることが、私にはもっとも心嬉しい。新たな出会いや親交の機会がもっとも多いのは、何といっても朗読サークルを通じてのものである。思い返せば、多くの会員の方々との出会いがあったし、そういう皆さんとのおつき合いも長くなった。これは永く続けていきたい。

 また、今年も、朗読会や講習会を通じて知り合ったり、改めて関係を深め合ったりした方々が何人もいた。山梨県、千葉県、東京都、遠くは高知県などである。その他の未知の方々も大勢いる。たとえば、私のブログを見に来てくださっている方々は、ほぼ全国にわたっている。拙著や朗読漫画を介した未知の方々もいるはずである。

 さらに、朗読会のチラシやプログラムにイラストを提供してくださった池田憲昭さんや、そのチラシを印刷してくださった精神障害者小規模作業所「すずらん」の方々。また、網膜色素変性症という難病と闘っている池田さんを支援しているボランティアの方々との関係も、私なりに継続させてもらっている。ありがたいことである。



○今年はいろいろとあった(5)

 日頃、私が最も気になるのは、私から別れて離れていった方々のことである。特に、心ならずもやむを得ない事情があって別れていった方々のことは忘れがたい。たとえば、ご自身や身内の方の体調が思わしくなく、あるいは、転居や仕事などの事情があって、仕方なく朗読サークルを退会していった方々がいる。そういう方々は気になる。

 あるいは、私やサークルあるいは「感動をつくる朗読」に何らかの意味で反発して、自ら退会していった方々。場合によっては、私が腹に据えかねて、実質的に退会してもらった方々もいないとはいえない。そのなかには、お互いに誤解しただけの場合もあるかも知れない。そういう方々も気になる。誤解の可能性がある場合は、特に。

 私は、そういう場合は、とても気になるが、無理に引き止めたり、追いかけたりすることはしない。そういう場合の私のモットーは「来る者は拒まず、去る者は追わず」である。このモットーのなかの「来る者は拒まず」は、いったん「去る」ことになった者が、事情が変わって、再び「来る」場合にも、当然、当てはまるのである。

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館長の朗読日記 789

館長の朗読日記 789   (戦後66年12月30日 新規)



○今日は12月30日である

 今年も残り2日となった。私の年末始のレッスン休みも、すでに半分近くが過ぎてしまった。慌てないうちに、朗読に関して、残りのレッスン休み中にやるべきこと、手がけ始めておきたいことを整理しておこう。明日の大晦日は、静かにゆったりと過したいので、細々しい実務的なことは今日の内に考えておきたいのである。


○年末始のレッスン休みにおける残りの仕事(1)

 朗読レッスンについては、特には何もない。朗読発表会や朗読会については、いろいろとある。まず、台本であるが、7月に朗読発表会を開催する「茜」の台本は作成した。あとは最終校正と朗読分担の詰めを行なうだけである。9月に朗読発表会を開催する「新・みちの会」は、1月中旬に原作を決定することになっている。

 来年の前期に開催を予定している朗読サークルの朗読公演は、2月の千葉「わかば」の朗読発表会、3月の千葉「風」の第2回「小さな朗読館・ちば」と八千代「花ことば」の朗読発表会、4月の船橋「はなみずき」の朗読発表会、5月の品川「あやの会」の朗読発表会、6月の八千代「こちの会」の朗読発表会である。

 そのうち、船橋「はなみずき」の会場だけは、来年の1月4日にならなければ決らない。会場を予定している船橋市宮本公民館「三百人劇場」が、会場使用の3ヵ月前でなければ予約できないからである。いやしくも劇場というからには、せめて6ヵ月前から予約を受けなければ、公演者に迷惑をかけることを知るべきである。

 そういうわけで、船橋「はなみずき」のチラシは、1月4日以降でなければ制作にかかれない。他の朗読サークルは、すでに公演する会場や日時が決っているので、それぞれのスケジュールに合わせてチラシの制作準備に入っている。船橋「はなみずき」だけが、会場と日時の欄を空欄にしたままの準備をしなければならない。

 来年の5月品川「あやの会」と7月習志野「茜」と9月八千代「新・みちの会」の朗読発表会は、長編を全員で読み継ぐ形式で行なう。その場合は、バック音楽(とホリゾント照明)をつけなければならない。また、3月の第5回「ふなばし東老朗読会」も、中編を1期生が読み継ぐ形式で行なうので、バック音楽をつける。

 このバック音楽(とホリゾント照明)の構想も、年末始のレッスン休みからとりかからなければならない。また、会場スタッフと打合せるタイミングに合わせて、各朗読発表会のタイムスケジュールを作成するが、2〜3月に開催するものは、年末始のレッスン休みには作成にとりかからなければならない。


○年末始のレッスン休みにおける残りの仕事(2)

 単行本『宮澤賢治の視点と心象』の最終ゲラ校正は、ついに年を越すことになってしまった。しかし、このレッスン休み中には何としても終了しなければならない。また、出版に伴なう様々な作業も、この休み中にできるだけやってしまわなければならない。さらに『朗読の上達法』の執筆も再開しなければならない。

 私が出演する6月「東百道の朗読館」と12月「東百道・講演と朗読の会」の構想も、この年末始のレッスン休みから手がけていかなければ間に合わない。特に、12月11日に開催を予定している第5回「東百道・講演と朗読の会」は、その講演内容は全くのオリジナルだから、事前準備は入念にしておかなければならない。

 来年の1月27日には、富里市立七栄小学校で朗読に関する講演をする予定である。講演時間が60分と短いので、内容はやりなれた斎藤隆介原作「花咲き山」の朗読的な解読の仕方にした。しかし、それに関する準備も多少はしなければならない。



○年末始のレッスン休みにおける残りの仕事(3)

 来年1月の4日と25日には、朗読漫画『花もて語れ』のレクチャーを予定している。今後の朗読作品の候補作について、朗読のポイントをレクチャーし、作品選びと漫画のストリー展開の参考にするのである。その下準備も、この年末始のレッスン休みにしなかればならない。週刊化のために、少し集中的に行なうのである。



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館長の朗読日記 788

館長の朗読日記 788   (戦後66年12月29日 新規)



○朗読漫画『花もて語れ』の「トロッコ」篇が完結した

 昨日(12月28日)の午前に、12月27日に発売された『月刊!スピリッツ』が届いた。それには朗読漫画『花もて語れ』の第19話「トロッコ」(4)が掲載されていた。今回で、芥川龍之介原作「トロッコ」を朗読する話は完結する。第15話(「花咲き山」⑦)〜第19話で単行本(第4巻)となる筈である。



○朗読漫画『花もて語れ』が『週刊BIG COMIC スピリッツ』に移籍する

 今回の第19話「トロッコ」の末尾に、次のような特報が記されていた。「特報! 『花もて語れ』は大好評につき、週刊スピリッツに移籍します!! 週刊連載開始は2012年春頃。乞う御期待!!!」 私自身は、かなり前にこのことを知らされていたが、対外公表は控えることを要請されていたのである。

 したがって、来春の週刊化に備えて、この年末始に集中的なレクチャーを依頼された理由も、曖昧に「事情があって」というようにしか書けなかった。今回、この「特報」が公表されたことをもって、ようやく公然と週刊化のことが書けるようになった。もっとも、レクチャーの内容は依然として公表できないが。



○朗読漫画『花もて語れ』の週刊化の準備は大変らしい

 いろいろ話しを訊いてみると、週刊化のための準備は大変らしい。週刊化といっても、従来の『月刊!スピリッツ』の連載を読んでいない『週刊BIG COMIC スピリッツ』の読者にとっては新連載と同じである。したがって、主要な登場人物やこれまでの物語や朗読についての経緯も新連載風に表現しなければならない。

 その反面、従来の『月刊!スピリッツ』の連載を読んでいた読者や、従来の単行本の読者には、これまでの内容が続いているように継続風に表現しなければならない。それらの新連載風と継続風を両立させる形で、ストーリーと朗読の上達過程の両方を表現しなければならない。これはけっこうむずかしい課題である。

 また、月刊と週刊では回転の速度が全く違う。その上、朗読漫画『花もて語れ』は普通の漫画と違って薄墨を多用しているが、薄墨で描かれたものを印刷するには余分に日数がかかる。そのために、作画から印刷までのスケジュールが普通の漫画とは全く違ってくる。その分、多くの工夫と労力を要するわけである。

 漫画家の片山さんと担当編集者の高島さんとライターの安井さんは、週刊化が開始される来春をめざして年末始の休み抜きで頑張っている。当然、私も朗読協力&朗読原案の面でその一翼を担わざるをえない。たまたま私は喪中であるから、正月はない。来年の1月3日にレクチャーをやるのもこうした理由である。



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館長の朗読日記 787

館長の朗読日記 787   (戦後66年12月28日 新規)



○宇野功芳による佐藤久成のヴァイオン演奏の批評

 佐藤久成(ヴァイオリニスト)のホームページを覗いたら、宇野功芳が『レコード芸術』(音楽之友社)に掲載した佐藤久成のヴァイオン演奏に対する批評の記事が、ページごとスキャナーされた形で再掲されていた。2011年2月号と同年7月号に掲載された「楽に寄す」の第50回と第55回である。

 私が予想していた以上に、とても高い評価をしていた。たとえば、第50回の「楽に寄す」において、佐藤久成のマスネ「タイスの瞑想曲」の演奏を、宇野功芳は次のように書いている。

「そしてアンコールはなんと〈タイスの瞑想曲〉。前橋汀子の十八番で何回泣かされたか数え切れないこの曲を、佐藤は超スロー・テンポと多用される再弱音(「最弱音」の誤植ではないか?……館長)やルパートを駆使して最後まで持たせてしまった。濃艶な節まわしを誇る前橋がオーソドックスに感じられるほどの超個性的な〈タイス〉。あえて前橋と双璧といっておこう。これからは佐藤久成のコンサートは全部行くぞー。1月22日、2月13日、5月4日、全部だ、全部」

【注】ルパート(テンポ・ルパート):《盗まれたテンポの意》音楽で、楽曲の基本的テンポは崩さずに個々の音符の長さを変化させて演奏すること

 私も前橋汀子の〈タイスの瞑想曲〉が入ったCDをもっていて、大変気に入っている。また、先日の「佐藤久成/ヴァイオリン・コンサート」でも、佐藤久成の「タイスの瞑想曲」を生で聴いて大変気に入った。私はクラシック音楽の素人だが、前橋汀子と佐藤久成の〈タイスの瞑想曲〉に関する評価には同意できる。

 ただし「これからは佐藤久成のコンサートは全部行くぞー」と記しているにもかかわらず、先日のコンサートには宇野功芳は来ていなかった。宇野功芳ファンの長男は、ひょっとしたら彼が聴きに来るのを期待して「昼の部」と「夜の部」を通しで聴いたのではないだろうか。この記事を読んで、フッとそう思った。



○宇野功芳の評価には朗読に通じるものがある

 まあ、それはともかく、第55回の「楽に寄す」には次のようなことが書いてあった。これは、私がイメージする朗読表現にも通じるものがある。佐藤久成の演奏が、宇野功芳がここで書いているとおりであるかどうかは、クラシック音楽に門外漢の私には定かには分からないけれども。

「それは実際に耳にしないとわからないのだが、ヴァイオリンという楽器の音がいっさいせず、すべて心の動き、その明暗だけを伝えるのである。まるで全部の音にポルタメントがかかっているような濃厚さ、濃密さ、音色の極端、多彩な変化」

【注】ポルタメント:声楽や弦鳴楽器演奏などで、ある音から次の音への移行を、途中にある音を経過させながら滑らかに行う技法

 この「ヴァイオリンという楽器の音がいっさいせず、すべて心の動き、その明暗だけを伝える」という部分を「音声という肉声の音がいっさいせず、すべて心情とイメージだけを伝える」というように言い換えれば、それが私のイメージする朗読表現ということになる。これは、やはり、異色の考えのようである。

 おそらく、多くの音楽演奏家は、宇野功芳とは違って「楽器の音」をもっとも気にしているのではないだろうか。朗読家といわれている人たちも、その多くは「肉声の音」をもっとも気にしているようである。どれが良いとか悪いとかいうわけではない。しかし、タイプが違う、ということだけは確実に言えると思う。

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館長の朗読日記 786

館長の朗読日記 786   (戦後66年12月27日 新規)



○閑散とした年の瀬であり年の初めである

 今日は12月27日である。数えてみると、今年はあと5日しかない。本当に年の瀬になってしまった。私の携帯手帳の手造りカレンダーを見ても、今年のスケジュールは、今日の午後に来客があること以外は何もない。来年の1月も朗読レッスンが始まる12日以前は、3日の朗読漫画のレクチャー以外は何もない。

 私のところが喪中であるせいもあるが、まことに閑散とした年の瀬であり年の初めである。朗読というのはマイナーな世界だから、よほど有名な朗読家でないかぎり、プロダクション組織をつくったり、常任のマネージャーをつけるほど多用ではない。特に私のようにほとんど自作自演の者においてはなおさらである。

 もっとも、私の場合には、家人がかなりマネージャーの役割を果たしてくれている。会計事務やスケジュール管理、電話番や朗読会における舞台裏の雑務や連絡や接客などの仕事を一手に引き受けてくれている。まあ、考えようによっては、準常任のマネージャーが1人ついていてくれているようなものかも知れない。


○閑散とした中での仕事あれこれ

 昨日(12月26日)は、ようやく少し『宮澤賢治の視点と心象』の最終ゲラ校正を進めることができた。最終ゲラ校正といっても、部分的な書き直しである。最終段階に来ての書き直しは、精神的にかなりキツい。まさに山頂付近になったときの胸突き八丁と同じで、1歩1歩のキツさがそれまでとは全く違っている。

 キツいので、すぐ気分転換をしたくなる。まあ、精神的な弱さと言われればその通りなのだが、比較的楽な仕事の方にすぐいってしまう。例えば、習志野朗読サークル「茜」が来年の朗読発表会で読み継ぐことになっている神坂次郎原作『今日われ生きてあり』の朗読分担を決める作業などがそれである。

 昨夜、その作業をやり、大体の構想はでき上がった。今後は、それをジックリと点検し、修正していく。併行して、台本の校正を行なっていく。来年3月1日のレッスンのときに、台本を配布し、朗読分担を告知するから、全体的に、まだ余裕がある。キツい仕事の気分転換には、こういう余裕のある仕事が向いている。



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館長の朗読日記 785

館長の朗読日記 785   (戦後66年12月26日 新規)



○小さなヴァイオリン・コンサート(1)

 昨日(12月25日)の朝、荻窪まで「佐藤久成/ヴァイオリン・コンサート」を聴きに行った。クラシック音楽好きの長男がめずらしく私を誘ったので、ついて行ったのである。最近『宮澤賢治の視点と心象』のゲラ校正に立ち往生気味だったので、家人が気分転換に聴きに行くことを強く勧めたせいでもあった。

 会場はJR荻窪駅から徒歩7分の「かん芸館」で、客席数は約50席と小さい。チケット代も「昼の部」と「夜の部」が各々2500円、両方を通しで聴くと4000円という安さである。しかも、佐藤久成は、まだそれほど知られていないが、そのヴァイオリン演奏は宇野功芳(音楽評論家)の折り紙付きだという。

 コンサート当日のことなので、チケットの有無を電話で確かめてみた。まだチケットがあるという。こういうチャンスは滅多にあるものではない。出不精の私も、こう条件が揃っていては出かけないわけにはいかない。外に出てみると、雲一つない良い天気であった。ちょっと寒いけれど、まあまあ絶好の外出日和であった。


○小さなヴァイオリン・コンサート(2)

 佐藤久成のヴァイオリン演奏(ピアノ伴奏は田中良茂)は素晴らしかった。私はクラシック音楽の門外漢だから確たることは言えないが、日頃からクラシック音楽にうるさい長男も密度が濃いと感心していた。会場のチラシによれば、宇野功芳が『レコード芸術誌』で「この世のものとは思えない雰囲気と色」と絶賛している。

 私が驚いたのは、ヴァイオリンがときどき尺八のような音色で鳴ることだった。特に、その弱音部分が尺八が出す音のように息づいて聴こえたことである。それがとても良い感じだった。ただし、私はヴァイオリンの生演奏は数回しか聴いていないし、こんな間近(2〜3m)で聴いたのは初めだから、当てにはならない。

 とにかく、私と長男は「昼の部」と「夜の部」を通しで聴いてしまった。14時〜16時と18時〜20時の計4時間でヴァイオリン演奏を30曲まとめて聴いたのである。中間の時間帯(16時〜18時)には、遅い昼食として中華料理屋でチャーシュー麺を食べ、さらに喫茶店に入って紅茶とケーキを食べて時間を潰した。


○小さなヴァイオリン・コンサート(3)

 演奏された30曲の曲目は次の通りである。どの曲も、いわゆる小曲といわれているものばかりだが、すぐ目と鼻の先で実演されると重量感がある。ヴァイオリンの演奏は、演奏動作自体がかなりダイナミックであるし、ピアノ伴奏も男性であったのでなかなか力強い。二人の男が間近で目一杯の演奏をすると迫力がある。

「昼の部」前半:①ワーグナー『さまよえるオランダ人』より「序曲」②エルガー「愛の挨拶」③シュレティアン「理想」④バルチモン「小さなポエム」⑤ワーグナー『ローエングリン』より「前奏曲」⑥パラディス「シチリアーノ」⑦ワーグナー「天使」⑧ヴィエニアフスキ「華麗なるポロネーズ第1番」

「昼の部」後半:⑨アウリン「即興曲」⑩サン=サーンス「白鳥」⑪ワーグナー『ワルキューレ』より「死の宣告」⑫ワーグナー『神々の黄昏』より「葬送行進曲」⑬ボーム「カヴァンティーナ」⑭ポンセ「エストレリータ」⑮モンティ「チャールダッシュ」/アンコール曲:ボーム「カンツォーナ」

「夜の部」前半:①ワーグナー『ニュルンベルグのマイスタージンガー』より「前奏曲」②シモネッティ「マドリガル」③マリー「金婚式」④ペトリ「トロイメライ」⑤ワーグナー『ラインの黄金』より「ラインの娘たち」⑥ワーグナー『ジークフリート』より「鳥は鳴いた」⑦マスネ「タイスの瞑想曲」⑧ヴィエニアフスキ「スケルツォ・タランテラ」

「夜の部」後半:⑨ワーグナー『パルジファル』より「前奏曲」⑩ウィルヘルミ「アルバムの綴り」⑪ワーグナー「夢」⑫プロコフィエフ「マーチ」⑬ベディンガー「愛の叙情詩」⑭ボーム「カンツォーナ」⑮サラサーテ「ツィゴイネルワイゼン」/アンコール曲:ボーム「カヴァンティーナ」、ヴィエニアフスキ「スケルツォ・タランテラ」


○小さなヴァイオリン・コンサートを聴きに行った(4)

 会場の雰囲気も良かった。会場の平面は単純な長方形ではなく、2つの長方形が組み合わさったような形をしている。それが、小さいながらも、狭っ苦しさを感じさせない、良い効果を生んでいた。床や壁や天井もきれいで洒落ていた。防音対策も支障のない程度には施されており、小さな朗読会にも最適の会場である。

 会場のオーナーらしい人に訊いてみたが、ここは朗読の会場としても使われているらしい。ただし、マイクの使用は遠慮してもらっているという。この会場なら、マイクなしでも声は通るから、無理に使う必要はないかもしれない。使用料も平日4時間で1万円くらいと、かなり安い。JR荻窪駅から徒歩7分と近いのも良い。

 ただし、私は杉並区とか荻窪の近辺にはほとんどご縁がない。特に、朗読の関係では何もない。新橋駅近くの内幸町ホールのように地理的条件が良いというわけでもない。杉並区あたりに、朗読サークルでも立ち上げれば別だが、今のところその予定もない。良い会場ではあるが、残念ながら、今後も使用する機会はないと思う。


○小さなヴァイオリン・コンサートを聴きに行った(5)

 今回は、小さいけれども感じの良い会場で、安いチケット代で、上等なクラシック演奏を聴くことができる、という事実を実感し、確認した。逆に、大きくて豪華な会場で、高いチケット代であっても、必ずしも上等なクラシック演奏を聴けるとは限らないことも、すでに何回か実感し、確認している。朗読の場合もこれと全く同じである。

 それにしても、日本のあちこちで、小さいけれども感じの良い会場で、安いチケット代で、このように上等なクラシック演奏を聴くことができる、というのは幸せである。私も、朗読においても、そういう公演をめざしたいと思っている。しかし、当面は、毎年、6月の「朗読館」と12月の「講演と朗読の会」の2回しか公演する機会がない。

 私の場合は、当面は、時間的にも、実務的にも、また、興行的にも、この年2回以上の公演はできそうもない。しかし、いずれ朗読関係の執筆活動などが一段落した暁には、小さいけれども感じの良い会場で、安いチケット代で、上等な朗読を上演できるように努力していきたいと思っている。まあ、何年後になるか分からないが。


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館長の朗読日記 784

館長の朗読日記 784   (戦後66年12月24日 新規)



○来年の朗読発表会について

 現在、私は8つの朗読サークルを指導しているが、その中で1期目のグループは各年1回の朗読発表会を開催し、2期目のグループは年2回の「小さな朗読館」を開催することになっている。ただし、2期目のグループの中で、1期と同じように年1回の朗読発表会を希望する場合には、その希望に添うようにしている。

 来年は、1サークルが「小さな朗読館」を、7サークルが朗読発表会を開催する。「小さな朗読館」は必ず1人1作品の形式で上演するが、朗読発表会の場合は1人1作品の形式と全員で読み継ぐ形式との2通りがある。来年は、4サークルが1人1作品の形式で、3サークルが全員で読み継ぐ形式で上演する。

 1人1作品の形式で上演する場合は、台本の選択&作成は会員にやってもらうし、進行&司会のやり方はサークルの総意で自主的にやってもらう。バック音楽やホリゾント照明は原則としてつけないが、どうしてもつけたい場合には自主的にやってもらう。私は朗読指導と基本的な演出だけをやるから楽である。

 全員で読み継ぐ形式で上演する場合は、台本の選択は会員にやってもらうが、その作成は私がやらなければならない。進行&司会のやり方はサークルの総意で自主的にやってもらうが、バック音楽やホリゾント照明のやり方は私が担当しなければならないし、朗読指導はもちろん全体的な演出も私がやっている。



○全員で読み継ぐ形式の朗読発表会の準備状況

 来年は、5月に品川朗読サークル「あやの会」が、7月に習志野朗読サークル「茜」が、9月に八千代朗読サークル「新・みちの会」が、全員で読み継ぐ形式の朗読発表会を上演する。「あやの会」は『「ヴィヨンの妻」幻影』を、「茜」は『今日われ生きてあり』を上演する。「新・みちの会」はまだ未定である。

 「あやの会」の『「ヴィヨンの妻」幻影』は、すでに台本が出来上り、会員に配布済みである。「茜」の『今日われ生きてあり』は、ボツボツと台本化をすすめていたのだが、昨日(12月23日)にそれがほぼ仕上がった。この台本で、上演時間は130分くらいに抑えられると思う。これでいささかホッとした。

 「新・みちの会」の原作選びはかなり煮詰まってきているのだが、まだ絞り切るところまでにはいっていない。来年の1月早々に新年会を開き、そこで最終的に絞り込むことになっている。このグループの朗読発表会は来年の9月だから、まだまだ十分に時間がある。全体的には、順調な準備状況といえるであろう。



○『今日われ生きてあり』と『ホタル帰る』の台本について

 「茜」は1期目の朗読ステップ4の段階であるから、原作は先の大戦の悲劇をあつかった作品の中から選んでもらった。さらに、今後も、中学校や高等学校などで朗読してもらいたいので、短い挿話を集めた作品を選択した。中学校や高等学校などの授業時間に合わせて、大幅な時間調整を可能にするためである。

 この『今日われ生きてあり』の台本は、原作から7つの挿話を抜き出した。いくつかの挿話を集めた台本は、この他に『ホタル帰る』がある。この2つの台本は、上演時間が自在に調整できるので、他の朗読サークルも、是非、中学校や高等学校などで上演する機会をつくって欲しい。いずれも良い内容である。

 ただ、この二つの台本は、どちらも特攻隊の悲劇をあつかったものである。先の大戦の悲劇は、特攻隊だけではない。今後、機会をみつけて、そういう悲劇の短い挿話を集めた作品を台本化していこうと思っている。先の大戦の悲劇をあつかった長編の台本は、かなりストックできているが、学校で上演する機会がない。


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館長の朗読日記 783

館長の朗読日記 783   (戦後66年12月22日 新規)



○年末始に行なう朗読漫画『花もて語れ』のための集中的なレクチャー

 朗読漫画『花もて語れ』のレクチャーは、これまでは朗読する作品が変るごとに、事前に次の作品について行なってきた。今回は、事情があって、少し作品のストックをしておきたい、という要望があった。この年末始に2〜3回かけて、複数の作品を集中的にレクチャーして欲しいというのである。

 昨日(12月21日)の午後、朗読漫画『花もて語れ』の年末始における集中的なレクチャーの2回目を行なった。その1回目は3日前の12月18日に行なったばかりである。今回も片山ユキヲさん(漫画家)と高島雅さん(担当編集者)と安井洋子さん(ライター/補助役)の3人が自宅にみえた。

 前回(1回目)は3作品やったが、今回(2回目)も3作品のレクチャーを行なった。来年の1月3日に3回目を行なう予定だが、そこでも3作品のレクチャーを行なう。さらに、今回、新たに4回目のレクチャー予定が追加された。1月25日に4回目をやる。内容的に、朗読ステップ5に突入する。



○来年の第5回「東百道・講演と朗読の会」についての構想あれこれ

 来年12月に開催する第5回「東百道・講演と朗読の会」について、そろそろ構想を開始した。次回も芥川龍之介を取り上げるとすれば、彼の中期の文学ということになる。あるいは、来春に刊行予定の『宮澤賢治の視点と心象』(木鶏社発行)の出版記念を兼ねて、宮澤賢治の文学をとり上げるか、である。

 芥川龍之介の場合は、最初に「私の出遇った出来事」(「蜜柑」と「沼地」)をとり上げる。最後は、やはり「トロッコ」である。中間では「作品世界A」「作品世界B」「作品世界C」の作品を順次とり上げていくが、特に「その他」に属する作品において、芥川龍之介がどのような模索をしたかに論及したい。

 宮澤賢治の場合は、例えば「宮澤賢治の視点・イメージ・祈願」という標題の下に、心象スケッチ「春と修羅」、創作「おきなぐさ」、そして、詩「雨ニモマケズ」をとり上げようかと考えている。まあ、1年前のこの時期に、あれこれ構想を練っているという今の段階がもっとも心楽しい、ということである。



○池田憲昭さんのイラスト付きカレンダー

 イラストレーターの池田憲昭さんは、この4年間ほど、私の朗読会あるいは私が朗読指導しているサークルの朗読発表会のチラシやプログラムにイラストを提供していただいている。その上、朗読と絵画のコラボレーションとして、当日の会場ロビーで絵画やポストカードの展示&販売をしていただいている。

 その池田さんが、毎年、年末に、その年に描いたイラストの中から選別した作品を使ってイラスト付きカレンダーを制作&販売している。今年は、販売するだけでなく、福祉施設や教育施設にそのカレンダーを寄付する試みも始めた。そこで、私も、朗読の関係者を通じて寄付ルートを仲介する手伝いをしている。

 これまでチラシを印刷してもらってきたことのある福祉施設や、老人福祉や民生委員や公民館活動をしているサークル会員たちを通して、100部くらいのカレンダーを寄付する仲介をした。その他、眼の不自由な池田さんをボランティアで支援してきた方々も、活発に動いている。こうして今年も暮れていくのである。

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館長の朗読日記 782

館長の朗読日記 782   (戦後66年12月20日 新規)



○年末始のレッスン休みに入ったものの・・・・・・

 先週の土曜日(12月17日)の朗読レッスンを最後に、今年のレッスンは総て終了した。来年の1月12日(木)のレッスンまで、年末始のレッスン休みに入る。この25日間はレッスンが休みになる。本来ならゆっくり休みたいのだが、この期間にやらなければならないこと、やりたいことが沢山ある。

 朗読漫画『花もて語れ』のレクチャーを2〜3回やらなければならない。『宮澤賢治の視点と心象』の最終的なゲラ校正をやらなければならない。発表会用台本『今日われ生きてあり』をつくらなければならない。3月の「ふなばし東老朗読会」に上演する「鼓くらべ」のバック音楽をつくらなければならない。

 6月の第5回「東百道の朗読館」と12月の第5回「東百道・公演と朗読の会」について構想しなければならない。その他にも、これまで、ついつい先延ばしにしてきたいろいろな仕事にも手をつけなければならない。当面やらなければならない課題を箇条書きにしているのだが、それを見るとため息が出てくる。



○朗読漫画『花もて語れ』のレクチャー

 朗読漫画『花もて語れ』のレクチャーは、これまでは朗読する作品が変るごとに、事前に次の作品について行なってきた。今回は、事情があって、少し作品のストックをしておきたい、という先方の要望があった。そこで、この年末始に2〜3回かけて、6作品くらいを一挙にレクチャーすることになった。

 先日(12月18日)、その1回目を行なった。従来は、片山ユキヲさんと高島雅さんの2人のコンビでレクチャーに参加し、その内容を高島さんが筆記していたのだが、今回は、ライターの安井洋子さんが補助役として新たに加わった。作品数が多いので、高島さん1人では手が回らないということであった。

 今年の12月末に発売される『月刊!スピリッツ』で「トロッコ」篇が終了する。この「トロッコ」篇は、地の文の朗読を中心とした朗読ステップ3の段階に相当する。そこで、次は朗読ステップ4に続くのだが、今回はそれにふさわしい作品を、ステップ4に対応する内容を中心にしてレクチャーしていった。



○『宮澤賢治の視点と心象』の最終的なゲラ校正

 『宮澤賢治の視点と心象』の3回目のゲラ校正は、ここしばらくは手が着かない状態になっていた。もっとも大きい要因は、12月13日に開催した第4回「東百道・公演と朗読の会」の準備に集中しなければならなかったことである。しかし、内容的に修正すべきむずかしい問題を抱え込んでいた面もあった。

 私が1冊の本を書く場合に、最後の最後になって、どうしても修正すべき点が出てくることが多い。そして、その修正は、程度の差はあるにしても、全体の点検&修正をしなければならない問題に発展することがある。ジグゾーパズルの最後のピースがはまらずに、全体をやり直さなければならない状況に似ている。

 重要な要修正点は3つある。1つは基本的な用語(概念)に関するものである。2つはある章の結びの部分の追加である。3つは原文の解釈の誤りを修正するものである。全体に波及するのは、1つめの基本的な用語(概念)に関する問題である。この問題にもっとも悩まされた。まさに胸突き八丁であった。

 最終段階での本格的な修正は、出版社にも大きな迷惑をかける。この話を木鶏社に切り出すのも、正直、気が重かった。しかし、事情を話すと快諾してくれた。特に重要な1つめの問題は、もともと木鶏社の編集者が指摘してくれた問題であった。今回、何とかお互いにスッキリ納得できる結論に到達することができた。

 出版社の編集者は第1の読者であるとか、読者の代表とかよく言われるが、木鶏社の編集者は特に親身になって私の原稿を読み、率直な意見や感想を言ってくれる。なかなか厳しいが、とても優れた的確な内容である。私は、いつも、その意見や感想を尊重し、それに対して正面から対応することにしている。



○発表会用台本とバック音楽

 発表会用台本は、習志野朗読サークル「茜」が来年7月にやる『今日われ生きてあり』である。これはマネージャー役の家人がすでにパソコンに打ち込んである。私は、それを最終的な台本に仕上げるだけである。作業的には比較的楽な部類に属する。それに、まだ時間的な余裕があるから慌てる必要はない。

 バック音楽は、来年3月に第5回「ふなばし東老朗読会」で上演する「鼓くらべ」用のものである。今年度の「ふなばし東老朗読会」の最後を飾るため、船橋朗読サークル「はなみずき」の1期生が全員で読み継ぐ形式で上演する。そこで本格的にバック音楽をつけることにしたが、作業的には楽しい部類に属する。

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館長の朗読日記 781

館長の朗読日記 781   (戦後66年12月18日 新規)




○千葉朗読サークル「風」の朗読レッスン

 昨日(12月17日)の午前9時30分から、千葉朗読サークル「風」の朗読レッスンを行なった。今回は、第2期・朗読ステップ2の4回目、そのパート1の4回目でもある。このグループの場合は、若干変則で、パート1は、A班は自由課題を、B班は共通レッスン台本・太宰治原作「美少女」をレッスンする。

 このグループは、来年は「小さな朗読館・ちば」という名の朗読会を2回行なう(第2〜3回)。その1回目である第2回「小さな朗読館・ちば」を来年の3月4日に開催する。開催前に1回リハーサルを行なうが、それを除くとレッスンは後2回しかない。しかし、会員の皆さんは8年目の余裕か平然としている。

 レッスン中も笑いや冗談が絶えない。私が少々厳しいことを言っても、慣れてしまったせいか、巧みに私の矛先を外らす術を心得ている。そういう巧みな音声言語表現が、もう少し朗読の場に出てくれば良いのだが、と憎まれ口の一つも叩きたくなるくらいである。新規会員をさらに入れて、刺激を与える必要がある。



○八千代朗読サークル「こちの会」の朗読レッスン

 昨日(12月17日)の午後2時00分から、八千代朗読サークル「こちの会」の朗読レッスンを行なった。今回は、朗読ステップ6の12回目、レッスン台本・山本周五郎原作『鼓くらべ』の6回目、最後の仕上げの通し読みの日である。会員に全体の7分の1づつ読み継いでもらい、私が例のごとく講評をした。

 講評の後、いつになく会員の皆さんから活発な質問や意見表明があった。訳を訊いてみると、前回のレッスンの後にやった忘年会で、朗読談義に花が咲き、大いに盛りあがったという。つまり、そこで出た疑問や意見を、今回のレッスンで私にぶつけてきたという次第である。この質疑応答はなかなか面白かった。

 この忘年会は、私の第4回「東百道・講演と朗読の会」の直前だったので、私は準備に大わらわだったので参加しなかった。しかし、こんな面白い朗読談義があったのなら、出れば良かったと思ったくらいである。もっとも、私がいなかったからこそ、そういう面白い朗読談義が出て盛りあがったのかも知れないが。








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