館長の朗読日記1041/今年もついに最後の大晦日になった
館長の朗読日記1041 (戦後67年12月31日 新規)
○今年もついに最後の大晦日になった
私はもともと儀礼的な催しが好きではなかったし、苦手でもあった。特に、年末に行なわれる「忘年会」というものが気に入らなかった。特に「忘年」という言葉や考え方が嫌いであった。生業(会社勤務)に従事していた間は、そういう催しにも参加せざるを得ない。しかし、現在はその「忘年会」に参加しなくて済む。
私は、宮澤賢治の生き方や文学作品が好きであり、とても高く評価している。私が宮澤賢治の文学作品を高く評価する理由は多岐にわたるが、その一つに有名な「雨ニモマケズ」の内容がある。この「雨ニモマケズ」の内容を高く評価する理由も多岐にわたるが、その一つに宮澤賢治が次の一節を記している事実がある。
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
特に最後の「ソシテワスレズ」が素晴らしい。私が特に忘れてはならないと思うのは、自分の利得のために、他人を悲惨な目に陥れた者たちの所業や責任である。先の大戦における彼らの所業や責任を決して忘れてはならない、近年の福島原発大人災における彼らの所業や責任を決して忘れてはならない、と私は思う。
宮澤賢治は「ソシテワスレズ」の前に「アラユルコトヲ/ジブンヲカンジョウニ入レズニ/ヨクミキキシワカリ」と記している。この言葉も素晴らしい。あらゆることを、自分を勘定に入れずに、良く見聞きし分かり、そして忘れず。宮澤賢治は、その後に初めて、自分が希求する実践について記していくのである。
野原ノ松ノ林ノノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
そして、そういう自分の希求が叶うように、彼が信仰する仏たちに一心に祈願するのである。
南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩
私自身は、あらゆる宗教に対し一線を画している。しかし、宮澤賢治のこの「雨ニモマケズ」という一種の祈願文を読むと、心に大きな感動を覚えることも、また事実なのである。私の家でも、大晦日の除夜の鐘の音がかすかに聴こえる。今夜は、その鐘の音を聴きながら、この「雨ニモマケズ」を口ずさむこととするか。
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