館長の朗読日記2906 (戦後78年11月06日 新規)
○私が朗読を始めてからの30数年の歩み(1)
――私の朗読というもののとらえ方、取り組み方、その成果――
私が初めて朗読を習ったのは山梨県に在住していた30数年前のことである。それまでに世界観、認識論、言語論などを独学していた私は、朗読というものを知って直ちにこれは素晴らしい芸術だと判断することができた。そして、この朗読を本格的に研究しようと決心した。同時に、私のように朗読が素晴らしい芸術だと判断する人間は今の日本には多分いないだろうとも考えていた。
私が朗読のことを素晴らしい芸術だと判断した理由を、先ず簡単に記しておこう。朗読は、文字言語で表現された文学作品(朗読の台本)を朗読者の肉声に基づく話声言語(=音声言語)で再表現する芸術である。文字言語と話声言語(=音声言語)は、人間が発明し駆使しているもっとも高度で豊富で重要な表現手段である言語の、もっとも重要な二つの形態である。
また、朗読が表現する文学作品(朗読の台本)は、人間が創作する芸術作品の中で、もっとも高度で豊富で重要な内容を含み得る創作物である。そして、朗読は、そのような文字言語と話声言語(=音声言語)および文学作品(朗読の台本)に直接関係しそれらを緊密に結びつける芸術である。そういう朗読が、最も高度で豊富で重要な芸術だということは当然であろう。
○私が朗読を始めてからの30数年の歩み(2)
――私の朗読というもののとらえ方、取り組み方、その成果――
ところが、従来の朗読は、一般の人たちからはもちろん、朗読に多く関係している人たちからさえ、そのように最も高度で豊富で重要な芸術だとは認識されていなかった。視覚障碍者のために新聞記事や文学作品を音読(音訳)するボランティアの朗読者はもちろん、一般的にプロの朗読家と見なされていた朗読者でさえ、朗読がそのように素晴らしい芸術だとは認識していなかった。
従って、朗読がそういう素晴らしい芸術であると認識した上で、それを本格的に研究する人間もいなかった。しかし、私は、朗読が素晴らしい芸術だとは認識した段階で、直ちにこの朗読を全面的に研究しようと決心した。私はそう決心して研究を始めた当初から、自分がこれまで全く手つかずのまま放置されていた素晴らしいテーマに初めて本格的に取り組んでいることを自覚していた。
私が取り組んだのは以下の三点である。先ず第一点目が、朗読そのものを理論的に解明すること。次に第二点目が、私自身を実験台にして朗読の実技の上達法を研究すること。最後の第三点目が、前の二点を踏まえて朗読の体系的な指導法を確立すること。私は、これまで朗読の研究に取り組んだ30数年間にそれらの三点それぞれに私なりの成果を上げたと確信している。
○私が朗読を始めてからの30数年の歩み(3)
――私の朗読というもののとらえ方、取り組み方、その成果――
第一点目の朗読そのものの理論的な解明については、今から15年前にその成果を『朗読の理論』(木鶏社/2008年)として発行することができた。この本は、数年後、朗読をテーマにした漫画を企画&構想していた片山ユキヲ氏(漫画家)と高島雅氏(小学館編集者)から、朗読原案&朗読協力者として漫画の創作に参画を依頼されるという嬉しい事態につながった。
この朗読をテーマにした漫画は、拙著『朗読の理論』をベースとした朗読漫画『花もて語れ』全13巻(片山ユキヲ&東百道共著/小学館)として結実する。ちなみに、この事実が拙著『朗読の理論』の独自性をよく現わしている。何故なら、この朗読漫画の創作を企画&構想して以来、片山ユキヲ氏と高島雅氏は様々な朗読家の朗読観や朗読関係の資料を徹底的に調査した。
しかし、いくら当時の有名な朗読家にインタビューしても、また、いくら当時の朗読関係の資料を調べても、朗読漫画を創作するための参考になるような内容は得られなかった、という。そして、最終的に拙著『朗読の理論』に到達し、初めて「これで朗読漫画が描ける」と実感できる本に行き着いたということであった。この事情を聴いて、私は拙著『朗読の理論』の独自性を確信したのである。
○私が朗読を始めてからの30数年の歩み(4)
――私の朗読というもののとらえ方、取り組み方、その成果――
次に第二点目の私自身を実験台にしての朗読の実技の上達法の研究については、朗読すべき文学作品の作品世界をイメージする方法を向上&深化させ、朗読する場合の「語りかける語り口」の表現方法を向上&深化させるという成果をあげることができた。その結果、ただ「読んでいる語り口」の朗読表現に比べ、聴き手にイメージ&心情や感動を喚起する訴求力が全く違ってきた。
最後の三点目が前の二点を踏まえて朗読の指導法を確立することについても、かなりの向上&深化と実績づくりができた。私が朗読指導を本格的に始めてから、今年(西暦2023年)で約20年になる。現在、私が朗読指導している朗読サークルは5サークル、サークル会員は約60人である。サークル会員は、古い会員もいるが、退会した会員も、新規入会の会員もいる。
私の指導により、文学作品の作品世界をイメージすることと、朗読で「語りかける語り口」を表現することとが、一応、修得できるようになるのは、朗読ステップ1~6を一通りたどったサークル会員である。そういうサークル会員の朗読的な実力は、ただ「読んでいる語り口」の世間一般の朗読者に比べて格段に優れている。そういう会員が現時点で全会員約60人の約半数に達している。
○私が朗読を始めてからの30数年の歩み(5)
――私の朗読というもののとらえ方、取り組み方、その成果――
残りの約半数の会員たちも、着々とそういう実力を身につけるべく努力している。いずれにしても、約30人あるいは約60人におよぶ朗読の実力者集団が現に形成されつつある。私はそのことを確信している。この事実は、今の日本の朗読界にとって、非常に大きなことであると確信している。そして、この事実こそ、私の30数年にわたる朗読への取り組みの最大の成果だと思っている。
その他にも私が目指している重要なことがある。それは「感動をつくる朗読」を指導できる朗読指導者を育成することである。この「感動をつくる朗読」の指導は、誰でもできるというわけではない。朗読の理論を深く理解し、朗読の実技のレベルが高く、朗読の指導法を修得している必要がある。以上の三点を満たしているなら、年齢はさほど問題ではない。朗読的実力が最も重要である。
現在の五つの朗読サークルにおいても、私が「超一流」と評価しているサークル会員が何人かは存在している。それら「超一流」のサークル会員は、すでに、それぞれが所属している朗読サークルにおける「自主練習会」の場で後輩たちに朗読の指導を行なっている。そして、その指導ぶりは、私が朗読指導者用のレッスンなど特にしていないにもかかわらず、私より評判が良いほどなのである。
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