05館長の朗読日記(戦後71年/西暦2016年)

館長の朗読日記1940/大晦日

館長の朗読日記1940  (戦後71年12月31日 新規)



○大晦日(1)

 今年(戦後71年/西暦2016年)もついに大晦日となった。この1年も忘れがたい色々な出来事があった。朗読を指導していると、朗読に関して、毎年、未知だった人との新たな邂逅があり、また、既知だった人との新たな別離がある。新たな邂逅には今後への期待のみがあるが、新たな別離には喜怒哀楽愛憎等の心情が伴なう。

 私は、基本的に「来る者は拒まず、去る者は追わず」の原則を堅持しているから、比較的さっぱりした心情を保持し得ている。しかし、そうはいっても、新たな別離に関して、常に色々な意味での心情の起伏はつきまとう。朗読を指導する年月が長くなればなるほど、様々な心情の起伏が積み重なっていく。それを、面白いとも思う。

 来年は、どのような心情の起伏が新たに積み重ねられるのだろうか。このブログの「館長の朗読日記」には、その心情の起伏が幾分かはこもっていると思う。なるべく「怒・哀・憎」の表現は控えるようにしているが。私はかつて、心情の積み重なりを「心塚」と個人日記に記したことがある。来年は「心塚」にどんな心が積まれるか。



○大晦日(2)

今年の朗読活動において、最も私の印象に残り、ありがたく思った出来事は、私が朗読指導している朗読サークルの会員50数名が朗読サークルの枠を超えて11月29日に私の「古希お祝い会」を開催し、祝ってくれたことである。実は、朗読サークルの会員が個々の朗読サークルの枠組を超えて多数集まったのはこれが2度目である。

 戦後68年(西暦2013年)5月29日(水)に、八千代市東南公共センター・5階ホールで「『感動をつくる朗読』をめざす朗読サークル/全サークル会員総会」を開催したのだ。これは私が主催したが、約60名の会員が集まった。この総会を機に、私は「小さな朗読館」を自分の主宰で定期開催することを決意したのである。

 今回の「古希お祝い会」は、千葉朗読サークル「風」と品川朗読サークル「あやの会」の会員有志が、今年の「小さな朗読館」に参加する際に食事会を催し、その席上で盛り上がって発案されたものだそうである。3年前の会員総会と今回の「古希お祝い会」の間には、今年の「小さな朗読館」を介してある因縁があったという訳である。



○大晦日(3)

 私的なことを記すと、昨年から今年にかけての2年間は、私の実姉(3姉)の転居に多大な時間と精力を注いだといえると思う。実姉(3姉)も高齢になっての転居はきつかったと思うが、新居新築ための宅地購入から新居建築、さらには旧居処分のための宅地&旧居売却までを総て手伝った他の実姉(4姉)と私も相当にきつかった。

 さらに、転居後の荷物類の整理整頓と新たな日常生活スタイルの確立にも時間と精力がかかった。昨年は転居そのものに、今年は転居後の生活を整えるために、各々1年間を要したのである。それらが一段落したのは、今年の10月頃、全体でほぼ2年が経過していた。実姉2人と私の3人が、本来の仕事に復帰したのは今年末である。

 そういう訳で、ようやく来年から本来のライフワークと朗読活動を本格的に再開できるようになった。朗読活動に関しては、特に『朗読の上達法』『芥川龍之介の文学的軌跡』『太宰治の文学的航跡』の原稿執筆に注力する。それに、新年早々に増刷する予定の『朗読の理論』を合わせれば、日本の朗読文化にいくらか貢献できると思う。






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館長の朗読日記1939/『朗読の上達法』と『芥川龍之介の文学的軌跡』の構想について

館長の朗読日記1939  (戦後71年12月30日 新規)




○『朗読の上達法』と『芥川龍之介の文学的軌跡』の構想について(1)

 執筆する執筆すると言いながら、なかなか手につかなかった『朗読の上達法』だが、新年からはいよいよ本格的に執筆を開始する。なかなか手につかなかった、といっても、第1章くらいはすでに書いていることを付記しておく。また、全体的な構想づくりもおこなっている。その一端を記すと、この本は2部構成にするつもりである。

 第1部は、朗読の理論を踏まえての、朗読の上達論といった趣の内容である。朗読の演技の特徴とはなにか。その朗読の演技の上達とはなにか。その上達の構造はどのようなものか。それぞれの内容と相互の関連はどういうものか。そういう問題を、語り口と朗読のステップ1〜6の内容を組み合わせ体系的に説明しながら展開していく。

 第2部は、そういう朗読の上達法(=朗読の指導法)を、朗読のステップ1〜6を軸に、実際の文学作品を教材にして具体的に説明していく。当初、私は、この『朗読の上達法』とは別に『朗読の教則本』を書くことを考えていた。しかし、今は『朗読の上達法』の第2部を、この『朗読の教則本』の代わりにしようと考え直している。



○『朗読の上達法』と『芥川龍之介の文学的軌跡』の構想について(2)

 また『芥川龍之介の文学的軌跡』も、新年から本格的に執筆を開始しようと決意している。こちらの構想は、すでに4回の「東百道・講演と朗読の会」で公演した「芥川龍之介の文学とその軌跡」シリーズで大体はできている。ところが、今年の末頃になって、芥川龍之介原作「杜子春」の解読に新たに重要な発見と進展があった。

 この「杜子春」は、私が指導する朗読サークルにおける第3期・朗読ステップ1の1本目のレッスン台本に採用した作品である。イメージづくりに適した作品と思い採用したのだが、本格的な作品解読はレッスンと併行して行なったといって過言ではない。当初は疑問だらけでさっぱり分からなかったが、最近ようやく氷解してきた。

 今は、この「杜子春」は、芥川龍之介の文学的な想いを込めたきわめて重要な作品だと考えている。私は、芥川龍之介の「杜子春」は、太宰治の「走れメロス」に相当する作品と見ている。私が構想する『芥川龍之介の文学的軌跡』には不可欠な作品である。これを書き終わる前に、この作品の解読が間に合って良かったと思っている。





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館長の朗読日記1938/千葉「わかば」の朗読レッスン

館長の朗読日記1938  (戦後71年12月29日 新規)



○千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスン(1)

 先日(12月22日)の13時30分から、千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスンを行なった。今回は第2期・朗読ステップ5の18回目、第15回「小さな朗読館・ちば」に向けたレッスンの5回目である。会員の半数は三浦哲郎原作「じねんじょ」を読み継ぎ形式で、他の半数は各自が選んだ短編を1人1作品形式で朗読する。

 前半は、半数の会員に対して1人1作品形式の朗読レッスンをした。1つの作品の朗読時間を15分以内に制限しているが、1回毎に作品の3分の1づつをレッスンする。今回は5回目だが、一つの台本も5回目のレッスンともなると、会員の皆さんはかなりに仕上げてくる。自宅練習を通して、会員なりの作品世界を掴んでくる。

 ある会員は、明らかに読む語り口だったので途中で注意した。注意すると、かなり語る語り口で朗読できる。この会員くらいのレッスン歴になると、結局、語ろうという気持の有無の問題なのだ。自然な語り口ができてきた会員は、それがますますできてきた。声までしっかりしてきた。どうやら、朗読のコツを一つ掴んだようである。



○千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスン(2)

 後半は、半数の会員が三浦哲郎原作「じねんじょ」を読み継ぎ形式で朗読するレッスンをした。こちらの台本もかなり仕上がってきた。今回は読み継ぎのメンバーが2人欠席したので、欠席した会員の前後を分担している会員に、欠席した会員の分担部分を半分づつ受け持ってもらい、とにかく作品全体を読み継ぎで通し読みしてもらった。

 読み継ぎの会員は、自分の分担分はだいたい仕上がってきていた。欠席した自分の前後の会員の分担分も、かなり仕上がってきていた。本番でも突然欠演者が出る危険がある。そういう場合に備えておく必要がある。この分は、もう一息の仕上げが必要である。普段から、自分の前後の会員の分担部分は練習しておくように指導している。

 朗読が上手で声も綺麗だが力のない声で朗読する会員が、最近、声に力がはいってきた。前回もそうだったが、今回も元に戻りそうな声出しで朗読を始めた。改めて、広くて遠い客席の観客に向かって直接語りかけるつもりで朗読するように指導した。そうすると見違えるような声になる。この会員は、まだ十分には納得していないようだ。






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館長の朗読日記1936/今年も年賀状を投函した

館長の朗読日記1936  (戦後71年12月25日 新規)



○今年も年賀状を投函した(1)

 新年元旦に宛先に年賀状が届くべく、今日(12月26日)の夕飯前に、最寄の郵便局前に設置されている郵便ポストに投函した。年賀状そのものは、昨日(12月25日)中に書き上げた。今日の朝から夕方までは、実姉の新居に車で出かけ、色々な家の用事その他の仕事を手伝った。その間、年賀状を投函する暇がなかった。

 ともあれ、今年も年賀状を投函し終わった。今、ホッとして、この記事を書いている。今回、年賀状に本格的に取りかかったのは、確か12月14日(水)からだったから、延べで12日かかったことになる。もちろん、12日間も年賀状を書くことだけにかかりきりだったわけではない。他の仕事と併行して行なったのである。

 私の年賀状は3種類からなるが、各々の作成は2段構えである。第1段階は、2種類の年賀状は、種類ごとに2種類の共通文章を考えて、ワープロソフトに投入しプリントアウトする。また、もう1種類の年賀状は、ゴム版の文字を版画刷りする。ここまでが第1段階である。第2段階は、宛先ごとに短文を手書きする段階である。



○今年も年賀状を投函した(2)

 今回は、第1段階を12月14日(水)から12月22日(木)までに断続的に行なった。この期間には、朗読レッスンが2日、朗読会が1日、実姉の新居での手伝いが2日あったので、なかなか集中的にできない。第2段階は、12月23日(金)から12月25日(日)の3日間で集中的に行なった。これに最も神経を使った。

 第2段階は23日(金)〜25日(日)を次のよう分けて行なった。12月23日(金)には1種目の朗読サークル会員宛の年賀状を仕上げた。12月24日(土)には第2種目の朗読サークル会員以外の朗読関係者宛の年賀状を仕上げた。12月25日(日)には第3種目の朗読関係以外の知人友人親戚宛の年賀状を仕上げた。

 年賀状の短い文章を手書する作業は、かなり神経を使う。とても長時間を続けてはできない。特に、年齢を重ねた昨今は、途中で頻繁に休みを入れる必要がある。私の発送する年賀状は大した数ではない。しかし、このくらいの時間と手間をかけている。もっとも、私は、年賀状をこうして作成していく作業が必ずしも嫌いではない。









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館長の朗読日記1935/年賀状を書いている

館長の朗読日記1935  (戦後71年12月22日 新規)



○年賀状を書いている(1)

 私は毎年12月になるとすぐに年賀状に取りかかる。しかし、今年はそれが大幅に遅れてしまった。年賀状に本格的に取りかかったのは12月14日(水)からだった。私の年賀状は3種類からなる。1種目は朗読サークルの会員宛のもの。2種目は会員以外の朗読関係者宛のもの。3種目は朗読関係以外の知人友人親戚宛のもの。

 朗読サークルの会員宛の年賀状は、会員全員宛の文章をワープロソフトで作成しプリントアウトし、余白に会員1人1人の個人宛の短い文章を手書きする。会員以外の朗読関係者宛の年賀状は、昨年の朗読活動と今年の朗読目標を箇条書きしたものをワープロソフトで作成しプリントアウトし、余白に短い個人的文章を手書きする。

 朗読関係以外の知人友人親戚宛の年賀状は、亡き母に書いてもらった「謹賀新年」と「元旦」の文字をかなり前にゴム版化し、絵具でゴム版刷りにして作成している。その余白に各個人宛の文章を手書きするわけだ。私の年賀状の枚数はそう多くはないが、これら3種類の年賀状を作成するためにはかなりの日数を要するのである。



○年賀状を書いている(2)

 全体的に見て、年賀状書きはまだ半分も終わっていない。今日(12月22日)の午後に、千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスンをやったのだが、これが今年最後のレッスンである。朗読レッスンが全部終わると、やはりホッとする。これから12月26日(月)の投函を目指し、数日間は年賀状の作成に本腰を入れていく。

 毎年、年賀状の作成と併行して、喪中の葉書が郵送されてくる。今年は気のせいか喪中の葉書が少ない。今のところ9通しかない。事前に喪中の葉書を郵送してくれた相手には、もちろん年賀状は書かない。その後、年賀状の作成から投函までの間に喪中の葉書を郵送してくれた相手にも、すでに書いた年賀状を破棄し投函しない。

 問題は、年賀状を投函してしまってから喪中の葉書を郵送された場合である。一旦投函した年賀状は、もう取り戻すことができない。いろいろな事情で喪中の葉書を出す時期を逸してしまう場合はある。私にも、年末に親戚が急死したために、どうしようもなかったことがある。正月に届いた年賀状を、憮然と眺めるしかなかった。



○年賀状を書いている(3)

 それやこれやで、毎年、年賀状書きには時間と神経を使う。しかし、一年を通して滅多に会うこともなく、手紙を書くことも少なくなった昔からの知人友人親戚に、年に1度くらい年賀状に短い文章を書くことを、私はどちらかといえば好いている。年賀状でもなければ、なかなか旧交をあたためるきっかけが掴めないからである。

 朗読サークル会員以外の朗読関係者宛の年賀状の場合は、旧交をあたため直すために出す相手も確かにある。しかし、年間を通してかなり頻繁に交流を続けている相手もある。いずれの相手も、話題は「朗読」という共通したものになるから、手書きの短文は書きやすい。私も気持ち良く、楽しみながら書いているところがある。

 朗読サークルの会員宛の年賀状の場合は、これは朗読レッスンに関する年1回の通知表のような役割もある。昨年1年間のその会員の朗読の上達ぶりや成果、あるいは、当面の課題などを短い文章にまとめなければならない。最も神経を使う年賀状である。ただ、毎回のレッスンで指導している内容でもあるし、楽しく書いている。
















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館長の朗読日記1934/習志野「茜」発表会を聴きに行った

館長の朗読日記1934  (戦後71年12月18日 新規)



○習志野朗読サークル「茜」発表会を聴きに行った(1)

 昨日(12月17日)の13時00分開場・13時30分開演ということで、習志野朗読サークル「茜」発表会が東習志野コミュニティを会場にして開催された。この朗読会は、習志野朗読サークル「茜」が完全に自主・自立的に主催・開催したもので、その企画・準備・朗読練習・演出・運営その他に私はまったく関与していない。

 今回は、菅生澄子さんのピアノ演奏とのコラボレーションという上演形式であった。これがとても良かった。彼女のピアノ演奏によって、1人1作品の朗読はかなり助けられていた。観客数は約50人、会場はほぼ満席であった。私は、最後発のこのサークルが、このような朗読会を主催できるようになった事実に感無量であった。

 1人1作品形式の朗読上演の出来栄は、正直いって良し悪しが混在していた。それぞれの会員としては、基本的に良くなっているのだが、まだまだという点も多々あった。こういう場合には、本来はニコニコして余計なことは言わない方が良いのは分かっているが、つい正直に自分の感想と意見を言ってしまうのが私の欠点である。


 

○習志野朗読サークル「茜」発表会を聴きに行った(2)

 前半の部は、童話が4作品つづいた。私の席の斜め前に小学生らしい女の子が2人座って聴いていた。初めは真面目かつ熱心に聴いていたのだが、途中から明らかに舞台に対する集中力が落ちていた。子供は正直である。朗読は、台本の選定とカットの仕方、心を込めた語りかけ、そしてマイクの使い方が大切だと改めて痛感した。

 後半の部は、大人向けの内容の作品がつづいた。大人向けの作品になると、朗読する人間の個性がより前面に出てくる。朗読者1人1人の朗読の良し悪しもより露出してくる。もちろん、その点は童話の朗読の場合も基本的には同じではあるのだが。来年からのこのサークルの朗読指導に、今回で気がついた点を反映させていこう。

 私が指導&演出するいつもの朗読(発表)会の場合は、私自身がどうしても身びいきになって、客観的に良し悪しの判定ができない懸念がある。しかし、今回のようにほぼ完全に1人の観客の立場で聴くと、かなり客観的な判定と要改善点やそのための改善方法が判然とするような気がした。私の指導&演出力もまだまだだと思う。



○習志野朗読サークル「茜」発表会を聴きに行った(3)

 上演の最中に、サークルの代表が、私に気をつかってか、マイクの使い方や音量について、客席の私のところにたびたび相談に来た。私は、マイクの音量について迷った場合には、大きくした方が良い、とアドバイスした。特にピアノ演奏がある場合は、朗読の声は大きめの方が良い。サークル代表は、たびたびマイクを調整していた。

 最後の舞台挨拶のときに、司会進行役のサークル代表が客席にいた私を朗読講師として紹介してくれた。そのばかりか、挨拶するように促された。今回は挨拶は徹底的に遠慮すべきであったが、促されたからにはやはり言わなければならない。挨拶で、私は大まかに次のように述べた。①今回は完全に自立的な自主公演であったこと。

 ②このような自主公演ができるようになった事実に対して、朗読指導者の立場からするときわめて感慨深いものがあること。③同じく朗読指導者の立場からすると、今回の朗読は正直いって良し悪しがあったこと。④それにもかかわらず長時間聴いて下さったことに感謝していること。⑤特にピアノの菅生澄子さんにはお礼を言った。








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館長の朗読日記1933/船橋「はなみずき」の朗読レッスン

館長の朗読日記1933  (戦後71年12月17日 新規)



○船橋朗読サークル「はなみずき」の朗読レッスン(1)

 一昨日(12月15日)の午後3時00分から、船橋朗読サークル「はなみずき」の朗読レッスンを行なった。本来なら、今回は第2期・朗読ステップ6の第2回目。来年4月に開催する朗読発表会に向けたレッスンを行なうはずである。しかし、4月の会場が混みあっていて予約できなかったため、朗読発表会を2ヶ月先の6月に延期した。

 そこで、2ヶ月延期した分の4回のレッスンを、第2期・朗読ステップ6のための最初のレッスン台本・宮澤賢治原作「なめとこ山の熊」を前倒しでやることになった。今回はその第2回目、すなわち第2期・朗読ステップ6の2回目のレッスンである。前回は初回ということで、作品解読に重点を置き、会員の朗読に直接の指導はしなかった。

 従って、実質的な朗読指導は今回が初めてである。初めてだといっても、私のダメ出しとコメントはあまりそういう斟酌はしない。もっとも、まだ作品解読が十分でないところもあるので、指導の合間にそういう作品解読の不足分を補わなければならない。宮澤賢治の「なめとこ山の熊」という作品は、いくら解読しても解読し足りない深さがある。



○船橋朗読サークル「はなみずき」の朗読レッスン(2)

 このサークルは、会員数が多い方に属する。従って2期生も多いのだが、もっともレッスン歴の短い会員でもすでに2年半くらいにはなる。基本的な「語りかける語り口」も、十分ではないが、かなり身についてきた。助詞を極端に上げたり、心情を込めた言葉を無意識に下げるなどという癖のあった会員も、かなり自然な語り口になってきた。

 そういう会員には、そろそろ、イメージ表現や心情表現に重点を置いた指導に移行している。レッスン歴が比較的長くなった2期生は、かなり「語りかける語り口」が身についてきた。そうなると、逆に、心情表現とイメージ表現の過不足や深浅がはっきりと朗読に露出してくる。語り口が良くなれば、それだけ表現する内容が問われてくる。

 今や古参となった1期生の場合には、心情表現とイメージ表現だけでなく、台本の作品世界をどのように理解し、受けとめ、それぞれの場面をどのような構成で表現するか、などが問われてくる。そういう朗読ができる会員は、皆無ではないがまだ少数である。1期生は先輩がいなかった分、2期生に比べて苦労も多かったと察している。



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館長の朗読日記1932/年末を間近にひかえて仕事が詰まってきた

館長の朗読日記1932  (戦後71年12月14日 新規)



○年末を間近にひかえて仕事が詰まってきた(1)

 毎年、年末始の月(1月と12月)とお盆月(8月)は、定例の朗読レッスンを1回にしている。今月(12月)も、定例の朗読レッスンはすでにすべて終了した。ただし、事情により今月にスライドさせた朗読レッスンが2つ残っている。今週の船橋朗読サークル「はなみずき」、来週の千葉朗読サークル「わかば」のレッスンである。

 朗読関係ではその他に、今週の土曜日(17日)に習志野朗読サークル「茜」の朗読会がある。これはサークルが自主的に開催するもので、私は企画・準備・指導演出・運営のどれにもかかわっていない。従って、公演当日も観客の1人として聴きに行くだけである。会場も歩いて行ける距離だから、短い時間を割くだけで聴きに行ける。

 それ以外は、来年1月の後半に定例の朗読レッスンが再開されるまで、しばらく朗読レッスンから解放される。しかし、その他にも年末までに片付けなければならない仕事、年末までに片付けておきたい仕事が山積している。まず、拙著『朗読の理論』の増刷の準備がある。在庫が残り少ないので、木鶏社は年内に増刷する意向である。



○年末を間近にひかえて仕事が詰まってきた(2)

 朗読レッスンにかかわる仕事もある。まず、第3期・朗読ステップ3の3本目のレッスン台本を準備しなければならない。次に、船橋朗読サークル「はなみずき」の朗読発表会のための台本を作成しなければならない。この朗読発表会用の台本は、原作の選定&カットからワープロ入力まで船橋「はなみずき」の会員に分担してもらった。

 私の仕事は、台本の最終的な版下制作と印刷だけなのだが、それらの作業もかなり精神と時間を使う。この朗読発表会用の台本といい、第3期・朗読ステップ3用のレッスン台本といい、必ずしも年末までに仕上げなければならないわけではない。来年の1月中にやれば良いのだが、こういう仕事は年越しせず、年内にスッキリさせたい。

 日本の朗読界とはほとんど無縁の私でも、朗読活動を10年も続けていれば、ごく少数であっても何人かの朗読関係者との交流が生じる。それらの方々に、私が何らかの関与をしている朗読会のチラシ類を定期的に郵送している。これなども年内に発送しなくてはならない。新年の「朗読入門講座」の資料も作成しておく必要がある。



○年末を間近にひかえて仕事が詰まってきた(3)

 年賀状を元旦に届けるためには12月25日までに投函する必要がある。例年は12月に入った段階で年賀状の準備を始めるのだが、今年はまだ始めていない。スタートが遅れてしまった大きな理由は2つある。1つは、何十年来の私の朗読以外のライフワークが最後の大詰めにきている。どうしてもそちらに精神と時間が行ってしまう。

 2つは、まったくプライベートなことなので内容には触れないが、あちこちに問い合わせたり、必要な書類をリストアップして取り寄せたり、関係者に説明や依頼の手紙を書いたり、協議書を作成して署名と印鑑をもらったり、いろいろとやらなければならない。私は、こういう実務処理は本当に苦手なので、人一倍に精神と時間を使う。

 もちろん、私の家も人並みに正月を迎える準備をする。正月飾りを買うなど、正月を準備するための買い物は家人につき合わねばならない場合もある。床屋に散髪に行かなければならない。狭くはあるが、否、狭いがゆえに、書斎や書庫の整理整頓もやらなければならない。昨年は省いた障子の張替えも、今年はやらなければならない。







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館長の朗読日記1931/千葉朗読サークル「わかば」が千葉市から表彰された

館長の朗読日記1931  (戦後71年12月12日 新規)



○千葉朗読サークル「わかば」が千葉市から表彰された(1)

 千葉朗読サークル「わかば」の12月08日の朗読レッスンの際に、このサークルが千葉市から「地域社会貢献者」として表彰されたという報告を受けた。私が指導する朗読サークルが自治体から表彰されたのは、これが初めてである。私個人は公的顕彰とは無縁の人間だが、指導する朗読サークルが表彰されることは大いに歓迎したい。

 私個人は、独りの自立した人間として、普通の市民以上の特権や利権とはまったく無縁な朗読活動をこれまで継続してきたし、これからも継続していくつもりである。しかし、私が指導する朗読サークルは、それぞれの地元でボランティア朗読など様々な社会活動をして、それぞれの地域で社会的な貢献をしている。私はそれが嬉しい。

 そして、それらの社会貢献がそれぞれの自治体から認められ、表彰されることは、それを大いに歓迎したいと思っている。もちろん、朗読サークルの会員の皆さんは、表彰されることを目標に社会活動をしているわけではない。しかし、自分たちの社会活動が認められ、表彰されることは、大きな励みになることも、また、事実と思う。



○千葉朗読サークル「わかば」が千葉市から表彰された(2)

 ちなみに、この表彰を報じた『ちば市政だより』(平成28年12月1日号)の記事を、以下に紹介する。

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「11月21日表彰 第98回 地域社会貢献者・寄附行為者32人・23団体」

 

11月21日、地域社会に貢献された方々や公共のために多大な寄附をされた方々に対し、市長から感謝状を贈り、その功績をたたえました。(順不同・敬称略)

地域社会貢献者

秋谷達郎 石井芳一 石川敏治 井藤亘 大岡百合 大西安子 小野一哉 軽部徳雄 君和田智久 桐生弘義 小林龍梢 佐藤有勇 長澤明夫 中野猛 中村利幸 中村久子 能條久子 堀越紀子 宮下和則 いけばな小原流千葉本町教室 インパチェンスの会 つくしの会 幕張地元学同好会 源四季の森を守る会 
朗読サークル(わかば) 若葉の森を育てる会 若松町北部自治会シニアクラブ

寄附行為者 (省略)







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館長の朗読日記1930/千葉「わかば」と八千代「新・みちの会」の朗読レッスン

館長の朗読日記1930  (戦後71年12月10日 新規)



○千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスン(1)

 先一昨日(12月08日)の13時30分から、千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスンを行なった。今回は第2期・朗読ステップ5の17回目、第15回「小さな朗読館・ちば」に向けたレッスンの4回目である。会員の半数は三浦哲郎原作「じねんじょ」を読み継ぎ形式で、他の半数は各自が選んだ短編を1人1作品形式で朗読する。

 前半は、半数の会員に対して1人1作品形式の朗読レッスンをした。1つの作品の朗読時間を15分以内に制限しているが、1回毎に作品の3分の1づつをレッスンする。今回は4回目だが、一つの台本も4回目のレッスンともなると、会員の皆さんはそれなりに仕上げてくる。自宅練習を通して、その会員なりの作品世界を掴んでくる。

 ある会員は、前回までに比べて格段に自然な語り口になっていた。何かきっかけがあったか訊いてみたが、何もないという。ただ、私の日頃の指導を身につけようと練習しているだけだと謙虚にいうだけである。しかし、何かあったに違いないと私は見ている。後半は、半数の会員に対して共通レッスン台本「じねんじょ」のレッスンをした。



○千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスン(2)

 こちらは、毎回、作品の全部を読み継ぎでレッスンする。こちらの台本もかなり仕上がってきた。今回は読み継ぎのメンバーが1人欠席したが、その欠席者の前後を読み継ぐ会員が、平然と、欠席者の朗読すべき部分をカバーして朗読していた。ある会員は、前から声が細くて小さい。朗読は上手だし、声も綺麗なだけに惜しいと思っていた。

 ところが、今回はセリフの部分の声出しが力の籠った朗読になっていた。セリフは、語る相手の登場人物がはっきりとイメージできる。地の文の朗読は、相変わらず声が細くて小さかったので、地の文を朗読するとき、自分自身を登場人物と見なし、客席の観客を語りかける相手としてイメージし、セリフのように語りかけるように指導した。

 その直後、セリフと同等以上の声出しで地の文を朗読したには驚いた。従来も同じような指導をしてきたはずなのだが、やはり、指導された技を身につけるには、そのための時期というものがあるようだ。当人にしか分からないその時期。今回はレッスンの冒頭に、先日開催してもらった「古希お祝いの会」に対し、改めて感謝の意を表した。



○八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスン(1)

 昨日(12月10日)の13時30分から、八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスンを行なった。今回は、第3期・朗読ステップ2の第5回目、レッスン台本・宮澤賢治原作「紫紺染について」の第5回目である。この「紫紺染について」は大変に面白いが、山男などが酔って演説する場面があるので、女性には難しいようだ。

 今回は欠席者が多かった上に、今回のレッスンを最後に退会する会員と長期に休会する会員が各1人づついた。それぞれに簡単な挨拶をしてもらったが、やはりこういう場合にはレッスンの意気があまり上がらない。その反面、レッスン見学者が1人いて、さっそく入会を希望してきた。こうして、少しづつ会員が入れ替わっていくのである。

 このサークルは昨年のレッスンで、芥川龍之介原作「杜子春」をやった。最近になって、その「杜子春」の解読に重要な進展があった。今後のレッスンではその内容を解説していくが、このサークルにはその機会がない。そこで、もしその解説が聴きたい場合には、他のサークルに解説するレッスン日に見学に来るように、と告知しておいた。



○八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスン(2)

 前回のレッスンで、語りかける語り口になりかかっている会員が、十分に語る寸前でまだ読んでしまっている旨を指摘した。その会員が、今回は見事に自分の言葉で語る朗読を披露してくれた。もともと実力のある会員だということは分かっていたが、こんなにすぐに出来るとは思わなかった。まあ、技を身につけるときはそういうものだが。

 朗読の演技は、他の分野の演技が参考になる場合がある。今回は、演歌を歌うときの歌手のジェスチャーの例を話した。演歌歌手は、ステージで歌いながら、過剰ともいえるジェスチャーをする。あれは、必ずしも観客のためだけにやるわけではない。自分が歌う際に、間を取り、心情を籠め、イメージをつくるためでもあるのだ、と話した。

 朗読で実際にあのような派手なジェスチャーをしたら、かえって聴き手のイメージづくりを邪魔してしまう。朗読の場合は心の中で、イメージとしてジェスチャーをするだけだが、効果があるのではないか。息づかいにも関係しているか。今回はレッスンの冒頭に、先日開催してもらった「古希お祝いの会」に対し、改めて感謝の意を表した。
















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