05館長の朗読日記(戦後72年/西暦2017年)

館長の朗読日記2106/大晦日のご挨拶

館長の朗読日記2106  (戦後72年12月31日 新規)



○大晦日のご挨拶(1)

 今日(戦後72年12月31日)は、いよいよ今年の大晦日である。今回は、今年の最後の「館長の朗読日記」ということになるので、このブログをご覧いただいている皆さんに、大晦日のご挨拶を申し上げることにした。そうはいっても、どんな方々がどのくらいこのブログをご覧いただいているのか分からないままなのだが。

 しかし、とにかく、今年、このブログ「感動をつくる・日本朗読館」をご覧いただいたことに、心より御礼申し上げたい。これまで繰り返し記してきたように、私の朗読活動は、つぎの3要素からなっている。すなわち、①朗読の研究、②朗読の指導、③朗読の実技(実演)の3要素である。この3要素は互いに密接に関連している。

 私自身は、そのような私の朗読活動をほぼリアルタイムで記録することを、このブログ「感動をつくる・日本朗読館」のもっとも基軸的な目的と考えている。もちろん、このブログを私の朗読観を表現したものとしてとらえ、その内容に対して異論や反論あるいは賛同の意見を寄せていただくことも、当然のことであるが歓迎している。



○大晦日のご挨拶(2)

 このブログを読んで、朗読について学んだり、いろいろと摂取している方々もいるということも目や耳に入ってくる。それが本当なら、私としては真に嬉しい話しである。私が朗読指導している朗読サークルの会員の幾人かもこのブログを熱心に読んでくれているようである。それでサークルでのレッスンの参考になっているなら嬉しい。

 朗読サークルの会員はレッスンの参考にするだけでなく、ブログの書き誤まりや書き洩らしを指摘してくれる。これは大変にありがたい。第1に、記録に誤まりや洩らしがあっては困るからである。そればかりではない。ブログの「最新の朗読イベント情報(朗読会などのご案内)」に間違いがあっては、他人様に多大な迷惑をかける。

 私は、自分がネット上で批判されたり、悪口を言われたり、偽りを書かれたりした場合には、相手が誰であれ正面から厳密に対応することにしている。しかし、自分から先に他人を批判したり、悪口を言ったりすることはしないようにしている。とまれ、今年もこのブログに沢山の記事を書いてきた。読者の皆さんには深謝している。







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館長の朗読日記2105/正月飾りについて

館長の朗読日記2105  (戦後72年12月30日 新規)



○正月飾りについて(1)

 私がまだ小さかった頃、日本全体が貧しかった。私の家もご多分にもれず貧しかった。従って、正月飾りも門松として小さな松の小枝2本を門の柱にくくり付け、輪飾りを各部屋の隅に下げるだけであった。玄関に飾る注連飾りや鏡餅などはなかったような気がする。屋外の松の小枝と屋内の輪飾りだけという、簡素なものであった。

 今は日本全体がそう貧しくはなくなった。私の家もけっして豊かではないが世間並みにあまり貧しくはない暮らしをしている。千葉県ではかなり以前から自然保護という謳い文句で門松シールが各家に2枚1対で配布される。真っ赤な太陽を背景に立派な門松を描いた縦長の紙片である。それを門松替わりに門の両側に貼り付ける。

 門の両側に真っ赤な太陽が2つ並ぶというのは理屈に合わないが、明るく華やかで、しかも、手軽で安上がり(何しろ無料なのである)なので、それが配布されるようになって以来、私の実家では愛用していた。その他に各部屋に輪飾りを吊り下げる。姉の話しでは、母は紙垂(しで)のみで裏白なしの輪飾りを飾っていたという。



○正月飾りについて(2)

 今の私の家の輪飾りは裏白をつけている。また、玄関に飾る注連飾りや鏡餅も飾っている。玄関に飾る注連飾りは、最寄のホームセンターで販売している中で中位の値段のものである。もっともらしく海老やら盛り沢山の飾りが付いているが、もちろん模造品である。ただし、裏白と橙だけは本物を飾っているものを選んでいる。

 その結果、値段は中位のものになる。鏡餅は、飾り一式が小さくまとめられたセットものである。かつて貧しかった時代と、現在のようにそれほど貧しくはなくなった時代と、私の家の正月飾りの違いは、輪飾りに裏白がついたこと、玄関に飾る注連飾りと鏡餅が増えたこと、くらいなものである。その違いをどう考えるべきか。

 今年の年末の正月飾りの飾りつけは、主に仕事休みの息子がおこない、私はもっぱらサポート役に徹した。今日は、小春日和、空はまさに日本晴れである。気温は季節並みだが、湿度は心地よい。門松シールを手製の飯糊で貼るのも、玄関に飾る注連飾りを取りつけるのも、各部屋に輪飾りを吊り下げるのも、そう辛くはなかった。



○正月飾りについて(3)

 正月飾りを飾りつけた後、ひと仕事してから、気分転換がてら私は自宅の近所を少し散歩して回る。我ながら余計なことと思うのだが、近所の家々の正月飾りの飾り具合を見て歩くのである。実は、これが毎年12月30日の私ひとりだけの恒例となっている。特に注目して見回るのが、門松ないしは門松シールの飾り具合である。

 私の家は、門扉の両側に迫っているブロック塀の端にキチンと左右そろえて飯糊で貼りつける。近所の家々の大半は門扉の両側の外枠に直に貼ってある。左右をキチンとそろえて貼ってある家もあるが、左右不ぞろいの家もある。門扉ではなく、玄関の両扉の外側の枠に貼ってある家も多い。なかにはガムテープで貼ってある家もある。

 私の家の周り一角は7〜8割が門松シールを貼っている。しかし、少し離れた家々の辺りは3〜4割しか貼っていない。居住している人間の考え方も地区ごとに違うようである。ある家の門には、門松の替わりに、門扉の中央部分に竹筒が吊り下げてあり、その竹筒に赤い花と葉のついた木の枝が指してあった。これは洒落ていた。










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館長の朗読日記2104/年末の仕事いろいろ

館長の朗読日記2104  (戦後72年12月28日 新規)


○年末の仕事いろいろ(1)

 庭の手入れは、もはや私の手に負えないので植木屋に頼んだ。和室の障子紙の貼り替えも、以前のように毎年はできない。昨年は休んだので、今年は是非ともやらなければなならない。しかし、これも私だけではもはやできない。家人は家事全般の年末仕事で手一杯である。息子の休日にタイミングを合わせて手伝わせるしかない。

 ただし、もともと狭くて間数の少ない家である。ご大層にいっているが、張り替えるべき障子は和室2部屋分の障子が全部で8枚、しかもフルサイズのものはわずか1組だけである。以前は、私が1人で1日でやっていた作業である。しかし、今年は2人で2日がかりである。昨日、古い障子紙をはがし、今日、新しい紙を貼った。

 明日(12月29日)は、実姉(三姉)の年末年始に向けた手伝いに行く。明後日(12月30日)は、正月飾りの飾付けである。門松替わりのシールの貼りつけ、玄関飾りと輪飾りの飾付けは私の分担である。門松替わりのシールは手製のご飯粒糊で貼り付ける。玄関飾りと輪飾りは、踏み台から転落しないように気をつけねば。


○年末の仕事いろいろ(2)

 私は、この「感動をつくる・日本朗読館」というブログを主宰&運営している。カテゴリーによっては、この「館長の朗読日記」のように、毎日あるいは数日おきに書いている。しかし、ほぼ1年に1回くらいしか書かないカテゴリーもある。この種のカテゴリーの記事は、年末の時期に更新するのが相応しい内容のものが多い。

 「『日本朗読館』の朗読活動メニュー」「館長の指導する朗読サークル」「館長の朗読プロフィール」「館長の朗読レパートリー 」は、この年末始に更新すべきカテゴリーである。そのうちの「『日本朗読館』の朗読活動メニュー」と「館長の指導する朗読サークル」と「館長の朗読レパートリー 」は、すでに更新を終えている。

 最後の「館長の朗読プロフィール」は、今年を振り返りながら、ゆったりとした気持ちで更新したいと思っている。また、ときどきは更新しているカテゴリーのうち「 最新の朗読イベント情報(朗読会などのご案内)」と「過去の朗読イベント記録(朗読会などの記録)」は、この時期にも更新しなければならない、と思っている。




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館長の朗読日記2103/『朗読の上達法』を書いている(その8)

館長の朗読日記2103  (戦後72年12月26日 新規)



○『朗読の上達法』を書いている(その8/1)

 昨日(12月25日)ついに年賀状を投函したが、この間ただ年賀状だけを作成していたわけではない。朗読レッスンの冬休みになってからも約10日が経つが、その間も朗読レッスン関係の用件がいくつかあった。例えば、来年2月に開催する千葉朗読サークル「わかば」朗読発表会の立ち稽古の相談や問合せをメールでおこなう。

 来年4月に開催する船橋朗読サークル「はなみずき」朗読発表会用のチラシが出来て郵送されてくる。来年7月に開催する第12回「小さな朗読館」のゲスト出演者から、朗読する台本が郵送されてくる。その他、何人かの朗読関係者に手紙あるいは葉書を書いて投函した。そういう用件にもチョコチョコと時間をとられるのである。

 もちろん、その間も、最重点課題である『朗読の上達法』の執筆に取り組んでいる。しかし、正直にいうと、なかなか進捗していない。現在執筆中の第2章が最大の難物である。特に、その第3節と第4節に四苦八苦している。あれこれ考えのだが、なかなか書くことができない。書き出しても数ページも書くと疲れて先に進まない。



○『朗読の上達法』を書いている(その8/2)

 まさに沼地を匍匐で前進するようなもので、遅々として進まないのである。気がつけば、この第3節と第4節の執筆だけで、すでに2ヶ月近くかかっていた。遅くとも年内には第2章を書き上げるつもりだったので、気が気ではない。年賀状を作成している間も、作業の合間に少しづつ執筆していた。まさに、二兎を追うの図である。

 それはとにかく、昨日(12月25日)、ようやく第2章の第4節を書き終えた。今、まことにささやかな解放感に浸っているところなのである。ただし、この第2章は第7節まである。つぎの第5節〜第7節も難物である。とても年内に書き上げるのは無理であろう。そう弱気になりながらも、今一瞬の孤独な解放感に浸っている。

 この第2章がなぜ難物かといえば、その内容の大部分が前著『朗読の理論』において中心的に論じた内容と重なっているからである。内容的に重なっているけれども、文学作品の解読方法という重要なところなので、さらに新たに掘り下げた内容を、改めて別な角度から展開しようとしているわけである。従って、二重三重に難しい。






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館長の朗読日記2102/いよいよ年賀状の準備に手をつけた(その5/最終回)

館長の朗読日記2102  (戦後72年12月25日 新規)



○いよいよ年賀状の準備に手をつけた(9)

 昨日(12月24日)はクリスマス・イヴであった。しかも、たまたま日曜日でもあった。私および私の家族は、キリスト教徒ではない。しかし、さすがにクリスマス・イヴの日曜日であるから、普段とちがうディナーをとり、アルコールも少し飲むことにした。ちなみに、私は普段は晩酌なるものをしないことになっている。

 普段とちがうディナーといっても、鶏のもも肉料理というわけではない。日本の明治時代以降の伝統的な料理、すき焼きである。まあ、さすがに通年的には鶏のもも肉などを食するのであるが、この日は前から上等なすき焼き用の牛肉があったので、この日のご馳走となった次第である。さすがにこの日の牛肉は美味かった。

 当然、アルコールのせいで夜間は仕事ができない。従って、最後に廻していた朗読関係者宛の年賀状は、ディナーの前に鋭意書くことにした。私は、日本のいわゆる朗読界にはほとんど縁がない。山梨県の朗読界には部分的に多少の関係はあるが、それも多くが過去に会った方々であり、今は亡くなったり、引退してしまっている。



○いよいよ年賀状の準備に手をつけた(10)

 従って、朗読関係者宛の年賀状の枚数は少ない。枚数は少ないが、少ないだけに、私にとってはどの方々も大切な存在である。年賀状も1枚1枚に短いが気持ちを込めて手書きしなければならない。とにかく昨日の昼間のうちに書き上げることができた。いやはや、毎年のことであるが年賀状を書き上げることは大変な作業である。

 今日(12月25日)の午前中に、書き上げた年賀状をすべて念入りにチェックして、紙の帯でひとまとめにし、帯の表面中央に年賀状と朱書きした。家人は年の瀬で家事が多用だから、昼食は1人で外で済ませて来てくれという。そこで、昼食がてら外出したついでに、最寄の郵便局に寄って年賀状を投函した。これで1件落着。

 年賀状を作成して投函するまでを長々と記したが、その枚数は百数十枚であり大した数ではない。毎年、年賀状を数百枚も作成&投函している方々から見れば、なにを大げさに騒いでいるか、と笑われそうな枚数である。しかし、私の場合は、気持ちを込めない形式だけの年賀状はほとんどないからけっこうな大作業なのである。




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館長の朗読日記2101/いよいよ年賀状の準備に手をつけた(その4)

館長の朗読日記2101  (戦後72年12月23日 新規)



○いよいよ年賀状の準備に手をつけた(7)

 昨日(12月22日)の金曜日は、定期的に実姉(3姉)のところに行っていろいろな仕事をすることになっている。朗読レッスンは冬休みになったが、色々と仕事や用事が入ってなかなか年賀状書きに集中できない。そこで実姉(3姉)のところでも、仕事の合間の時間を見つけては、朗読サークルの会員宛の年賀状を書いた。

 しかし、昨日までに朗読サークルの会員宛の年賀状を書き上げることができなかった。今日(12月23日)は、ある事情のため、私は午後の時間帯には図書館に待避していなければならない。そこで、朗読サークルの会員宛の年賀状の残りを図書館で書き上げることにした。そのための資料や材料を一式そろえて図書館に行った。

 八千代市緑が丘図書館まで車で行き、読書&勉強コーナー(机と椅子の1式セット)で年賀状を書いた。まだ書き終えていない15時ごろに、家人からメールが来た。図書館に待避しなければならなかった事情が解消したという知らせである。そこで自宅に帰って作業を続け、晩飯前に朗読サークルの会員宛の年賀状を書き上げた。



○いよいよ年賀状の準備に手をつけた(8)

 知人友人親戚宛の年賀状は1週間前に書き上げてあるから、残りは朗読関係者宛の年賀状を残すのみである。この朗読関係者宛の年賀状は、相手との関係も、書くべき内容も、千差万別である。知人友人親戚宛の年賀状よりは気を遣うが、朗読サークルの会員宛の年賀状ほどは気を遣わない。気の遣い方も、三者山様なのである。

 退会した元朗読サークル会員、山梨時代の朗読仲間(先輩&後輩&同輩など)、東京〜千葉地域において朗読関係で知り合ったいろいろな方々、はるか遠方に居住している朗読関係者などなど。これまで印刷された文章や挿絵のみで、手書きの文章が1行もなかった年賀状に対しては、今回からは年賀状を発送しないことにした。

 今日は、朗読サークルの会員宛の年賀状を書き上げることで疲れてしまった。疲れた状態で年賀状を書くと文面や書体が荒れてくる。ただでさえ、私の年賀状の文面や書体は下手である。今日はもはや限界と判断し、朗読関係者宛の年賀状は明日(12月24日)に繰り越すことにした。元旦必着期限の25日には十分に間に合う。

 




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館長の朗読日記2100/高橋美江子さんから『米寿ひとり語り』のDVDをいただいた

館長の朗読日記2100  (戦後72年12月20日 新規)



○高橋美江子さんから『米寿ひとり語り』のDVDをいただいた(1)

 先日(12月13日)、思いもかけず、高橋美江子さんから『米寿ひとり語り』のDVDが郵送されてきた。このDVDは、今年2017年5月25日(14時開演)に「なかの芸能小劇場」で高橋美江子さんが開催&主演した「米寿ひとり語り」の一部始終を撮影したものである。私は朗読レッスンが重なって聴きに行けなかった。

 そこで今回、わざわざそれを撮影したDVDを送って下さったのである。高橋美江子さんは、NHKラジオの「日曜名作座」で森繁久彌と朗読を共演した加藤道子に朗読を習った方である。その修練を基に独自に「ひとり語り」の道を歩み、昨年まで加藤道子に教わった仲間の数名と毎年「朗読日和」という朗読会を開催してきた。

 それを聴いて感動した品川朗読サークル「あやの会」の会員たちから紹介されたのが、高橋美江子さんの面識を得た始まりであった。その後、私の「あやの会」の朗読レッスンを見学してもらったり、そのレッスンの場で2人でトークしたり、あるいは私が主宰する「小さな朗読館」を聴きに来ていただくなどして交流を深めてきた。



○高橋美江子さんから『米寿ひとり語り』のDVDをいただいた(2)

 その後「朗読日和」のお仲間の1人である戸松育子さんが、以前から朗読的な交流のあった高知市在住の松田光代さんと親交があることも分かった。まさか高橋美江子さんと戸松育子さんと松田光代さんの間に関係があるなど思いもしなかった。実に朗読の世界は狭い。朗読者同士が、どこでどのように関係しているか分からない。

 とにかく、そういう関係の一端として、今回、私は高橋美江子さんから『米寿ひとり語り』のDVDをいただくことができたのである。さっそく、そのDVD『米寿ひとり語り』を拝見した。演目は斎藤隆介原作「花咲き山」と藤沢周平原作「荒れ野」の2本である。この2本を高橋美江子さんはまったく台本を見ずに語っている。

 斎藤隆介原作「花咲き山」は約7分。藤沢周平原作「荒れ野」は約50分であろうか。とにかく、朗読時間が50分〜60分となる作品2本を、まったく台本を見ずに語っているのである。しかも、映像を通してさえ、その舞台の迫力は十分に伝わってくる。高橋美江子さんは今年で米寿になっておられる。私は心底から驚嘆した。



○高橋美江子さんから『米寿ひとり語り』のDVDをいただいた(3)

 高橋美江子さんが語った2本の作品「花咲き山」「荒れ野」は、私とも縁が深い。実は「花咲き山」は、私が初めて他人に自分の作品解読を披露した作品なのである。神田外大の「声のことばの勉強会」に参加していたとき、ある参加者から突然この作品の朗読指導を頼まれ、その場で即興的に「花咲き山」の解読をしたのである。

 それ以降、私が主宰する「朗読入門教室」の教材作品として常用している。朗読漫画『花もて語れ』の朗読協力&朗読原案を依頼され際も、第3巻でこの作品をとり上げたが、とても評判が良かった。そして「荒れ野」は、2008年2月に本田悠美子さんと朗読会「小さな朗読館・山桜」を共催した際に、私が朗読した作品である。

 本田悠美子さんは、今は解散してしまった三鷹朗読サークル「さつきの会」の代表だった方で、昔、宇野重吉や滝沢修にかわいがられた「劇団民藝」の元女優さんである。新劇出身だが、私の朗読の実技と理論を高く評価して下さって、私が指導する三鷹朗読サークル「さつきの会」に参加し、その代表になって下さった稀有の方である。



○高橋美江子さんから『米寿ひとり語り』のDVDをいただいた(4)

 私は、いずれ本田悠美子さんが三鷹市周辺の朗読指導者になっていただくことを期待していた。また本田悠美子さんにもそのお気持ちがあったと思っている。しかし、真に残念ながら、その本田悠美子さんは2009月8月2日に白血病のため逝去してしまった。これに対し今もって私は痛恨の想いを抱いている。真に無念至極である。

 従って、この「荒れ野」という作品は、本田悠美子さんの想い出と直結している。今回、高橋美江子さんが、約10年前に私が朗読した「荒れ野」をどのように語るのか。私は特段の興味をもって聴いたのだが、高橋美江子さんの「荒れ野」は、やはり予想した通りとても素晴らしかった。高橋美江子さん独自の確かな語りであった。

 高橋美江子さん自身のイメージと心情が、溢れるように高橋美江子さん自身から放出され、舞台から客席の観客に向かって放射されていた。観客は、高橋美江子さんの語りだけでなく、声出し、息づかい、表情、身体全体の所作、否、高橋美江子さんの心身全体から放射されるイメージと心情に圧倒されたに違いない、と思われた。



○高橋美江子さんから『米寿ひとり語り』のDVDをいただいた(5)

 私は、高橋美江子さんのDVD『米寿ひとり語り』の拝見しながら、思わず知らず、語りと朗読の違いに想いを馳せていた。優れた語りは、語り手の全身全霊をこめた語りで、観客の視覚と聴覚に向かって自身の作品世界のイメージと心情を放射し、舞台の上から観客の視覚と聴覚を圧倒する。そのために心身の総てを動員してやまない。

 優れた朗読は、朗読者の全身全霊をこめた朗読で、観客の視覚と聴覚を吸引し、観客の頭と心の中に作品世界のイメージと心情を想像・創造するように誘導する。そのために心身の総てを動員して、文学作品に表現されている文字言語を認識し、表現されている作品世界を想像・創造して感動し、それを自身の音声言語で再表現する。

 今回、高橋美江子さんから送っていただいた『米寿ひとり語り』のDVDを観て、語りと朗読の違いをこのように整理することができたのは、高橋美江子さんの語りが非常に優れたものだったからである。特にセリフの表現は素晴らしいの一語に尽きる。とにかく、語りと朗読の違いをこのように感得できたのは、ありがたかった。






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館長の朗読日記2099/モーツァルト記念合唱団の第27回定期演奏会を聴きに行った

館長の朗読日記2099  (戦後72年12月18日 新規)



○モーツァルト記念合唱団の第27回定期演奏会を聴きに行った(1)

池田憲明さんは、以前から私の関係する朗読イベントのチラシやプログラムに挿絵をお願いしていた。池田憲明は絵の他に、モーツァルト記念合唱団の団員として合唱に永年とり組んできた。私もそのコンサートを聴きに行っている。今回、すみだトリフォニーホールで開催する第27回定期演奏会のチケットを2枚もいただいた。

 演奏は次の構成であった。合唱は、モーツァルト記念合唱団。オーケストラは、ムジカ・レセルヴァータ(古楽器オーケストラ)。オルガンは、岡田龍之介。ソリストは、鈴木美登里(ソプラノ)、染谷熱子(ソプラノ)、上杉清仁(カウンター・テノール)、谷口洋介(テノール)、小笠原美敬(バス)。指揮は、津田雄二郎。

 プログラムは次の構成であった。モーツアルト作曲レジナ・チェリ『天の女王』K.127 変ロ長調、モーツアルト作曲ミサ・プレヴィス『小クレド・ミサ』K.192ヘ長調、モーツアルト作曲カンタータ『悔悟するダヴィデ』K.469ハ短調。歌詞は原語だから意味は追えないが、重厚に構成された楽音は素晴らしかった。



○モーツァルト記念合唱団の第27回定期演奏会を聴きに行った(2)

 演奏会は12月17日で、開場は13時30分、開演は14時00分であった。当日は、家人は用事があって行けないので、姉(3姉)を誘っていっしょに聴きに行った。姉(3姉)は生の音楽演奏も久しぶりだが、錦糸町という街が初めてだということで、大いに喜んでくれた。この日の錦糸町は、ものすごい人混みであった。

 少し早めにJR錦糸町駅に着き、まず、すみだトリフォニーホールの大ホールの位置を確認した。昼食は日本蕎麦が良いという姉(3姉)の希望で、近所の蕎麦屋を探したのだが見つからなかった。そこで、駅前のデパートのレストラン階に行って、そこの蕎麦屋に入った。食後、少し開場時間を待ち、時間を見計らって店を出た。

 会場のロビーでは、池田憲明さんの絵画を絵葉書にしたものを販売していた。顔見知りの元朗読サークル会員が販売を手伝っていた。終演後、池田憲明さんがその絵葉書の販売所に挨拶に出てくるということであった。そこで、帰り際にそこに寄って、池田さんに挨拶し、姉を紹介した。帰途、船橋駅の近くでお茶して姉と別れた。








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館長の朗読日記2098/いよいよ年賀状の準備に手をつけた(その3)

館長の朗読日記2098  (戦後72年12月17日 新規)



○いよいよ年賀状の準備に手をつけた(5)

 昨日(12月16日)は第3土曜日である。他の月の場合は、早朝から千葉朗読サークル「風」の朗読レッスンの会場に向かって車で出発し、午前中はレッスン、帰宅は午後2時ごろになる。しかし、年末となるこの12月の第3土曜日は、すでに朗読的な冬休みに入っている。実にノンビリした気分で、年賀状の準備作業に入る。

 まず、知人友人親戚用に先日ゴム版刷りした年賀状に手書きの文章を書く。学生時代からの友人数人から書き始めた。その1人が今年の正月に寄越した年賀状を読み返したら、古希を迎えたので、年賀状を出すのは今回で最後にする、という主旨の文章を書いていた。そこで、本当に年賀状を止めるのか否かを確認する文面にした。

 彼のその文面を読みながら、私も年賀状を出す目安を考え直そうと思った。実は、以前から、印刷した文面だけの年賀状(私個人に向けた手書きの文章がまったくない年賀状)しか寄越さない相手に、どういう年賀状を出すべきか迷っていた。私は、かなり丁寧に相手個人に向けた手書きの文章を書くことにしているからである。



○いよいよ年賀状の準備に手をつけた(6)

 実際、印刷した文面だけの年賀状(私個人に向けた手書きの文章がまったくない年賀状)しか寄越さない相手に対しては、その相手個人に向けた手書きの文章の書きようがないのである。そうかといって、そういう相手に対して、相手と同じような印刷した文面だけの年賀状を出す気にもなれない。そこで私は迷っていたのである。

 来年は、戌年である。私も戌年生れである。すなわち、干支をひと回りして、さらに十二支をひと回りしたわけである。これを機に、原則として、印刷した文面だけの年賀状(私個人に向けた手書きの文章がまったくない年賀状)しか寄越さない相手に対しては、年賀状の発出を止めることを決意した。これで、枚数がかなり減る。

 ただし、これはあくまで知人友人親戚用に先日ゴム版刷りした年賀状の場合である。朗読サークルの会員宛の年賀状はいわば年に1度の朗読的通信簿であるから、相手からの年賀状の文面は関係ない。極端な場合、相手から返事があろうがなかろうが関係ないのである。朗読関係者宛の年賀状の場合は、個別に考えることにしよう。






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館長の朗読日記2097/千葉「わかば」の朗読レッスン

館長の朗読日記2097  (戦後72年12月15日 新規)



○千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスン(1)

 12月14日(木)の13時30分から千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスンをおこなった。今回は第2期・朗読ステップ6の第18回、来年2月に開催する朗読発表会に向けた台本・澤口たまみ原作「水仙月の三日」の第7回目のレッスンである。今ステップはやや変則で、朗読発表会に向けた台本の通常型レッスンを7回やる。

 この台本は前半と後半を交互にレッスンするから、今回は前半の番である。今回も、欠席者が多かった。長期休会者の1人を除いても、3人の会員が欠席した。長期休会者の朗読分担は前回から他に振り替えたが、他の3人の欠席者の分は穴が開く。そこで、その欠席者の前後を分担している会員に、その穴の分をカバーしてもらった。

 今回のレッスンでは、急きょであったにもかかわらず、欠席者の前後の会員はかなり上手に欠席者の穴を埋めて朗読してくれた。会員によっては、本来の自分の分担部分よりも上手に朗読できていたという、いささか皮肉なケースもあった。今回が通常型レッスンの最後である。最後ともなると私の指導もかなり深いものになっていく。



○千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスン(2)

 次回のレッスンは来年となる。しかも、いきなり立ち稽古である。次は舞台リハーサル、その次は本番である。朗読発表会の舞台構成について、いろいろと相談した。今回、新たな見学者があったが、入会&レッスン初めは朗読発表会後の3月からとなる。積極的な人で、朗読発表会は出演しないでも、舞台袖で手伝うと申し出てくれた。

 この新規入会者を含め、朗読発表会のための役割分担を会員同士が相談して自立的に決めることになった。私のレッスンは今日で冬休みだが、年内にも自主練習会をやるという。そのときに、相談して決めるそうである。自主練習会は、来年の分も含めて計3回やるというが、1期生を中心としたかなり実のあるものになりそうである。

 来年2月の朗読発表会が終れば、このサークルも第2期(朗読ステップ1〜6)がすべて終了である。来年の3月からは新たに第3期(朗読ステップ1〜6)に突入していく。それを機に、第3期生の会員を募集するか否か、これも今後の要検討課題である。最後に、会員から、ある自治会から朗読の依頼を受けたという報告があった。






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