05館長の朗読日記(戦後72年/西暦2017年)

館長の朗読日記2031/第9回「小さな朗読館」を開催した

館長の朗読日記2031  (戦後72年07月27日 新規)



○第9回「小さな朗読館」を開催した(1)

 昨日(7月26日)、開演13時30分ということで、第9回「小さな朗読館〜感動をつくる朗読をめざして〜」を開催した。会場は船橋市民文化創造館(きららホール)。今回の観客数は約105人。前回よりかなり減ったけれど、何とか100人の大台は確保することができたようである。まことにありがたい話しである。

 私は無料招待券をほとんど発行していない。今回も6枚しか発行しなかった。そのほとんどは、いわば儀礼的なものだから、そのうち実際に来場したのは2人だけであった。逆に言えば、観客のほとんどは入場料を支払って下さった方々である。また特記したいのは、電話予約者は1人を除いて全員が来場して下さったことである。

 今回も、ゲスト出演者が所属している3サークルから2人づつ、計6人が当日の運営スタッフとして支援して下さった。その支援者の皆さんも、とても協力的に受付役(2人)や会場案内兼避難誘導役(4人)を担って下さった。昼食時に弁当とお茶を出す以外、お礼などは何もしていないので、とてもありがたく、感謝している。



○第9回「小さな朗読館」を開催した(2)

 今回も、朗読会の司会進行役を飯野由貴子さんにお願いした。飯野さんは船橋朗読サークル「はなみずき」の会員であるが、本職はプロの司会者である。毎回さすがプロという司会進行をしていただいている。司会進行がピシッとしていると、朗読会が引き締まる。私はもちろん4人のゲスト出演者もそれに大いに支えられている。

 また、宣伝用チラシのデザインをして下さったのは、今回は千葉朗読サークル「風」の小田志津子さんであった。記して、感謝したい。また、きららホールの会場スタッフの皆さんにも、毎回、感謝している。千葉県内の公的施設にはめずらしく、きららホールのスタッフは事務スタッフも含め応対も親切であり、スキルも高い。

 今回の4人のゲスト出演者にも、大いに感謝している。私は、舞台袖でモニターを通して聴いていたので、会場の観客席でどのように聴こえたかは定かでない。しかし、ゲスト出演者の全員が、それぞれ現時点における最高の朗読をしてくれたと感じた。この朗読会への出演を機に、自分の朗読を飛躍させた出演者は少なくない。



○第9回「小さな朗読館」を開催した(3)

 私は、今年から、3回ごと(1年ごと)に作家を変え、それぞれの作家から作品3つを厳選してシリーズとして朗読上演することにしている。今年は、岡本かの子シリーズとして「鮨」「家霊」「みちのく」の朗読を3回連続で上演していく。今回の「家霊」は、前回の「鮨」と同じく、私の好きな作品だから、楽しく朗読できた。

 舞台挨拶は、その「家霊」を目一杯に朗読した直後だったから、話すべき適切な内容が思い浮かばなかった。そこで、この「小さな朗読館」の会計収支に関する内輪話を少しだけ披露した。今回ぐらいの来場者があれば、会計収支的には帳尻が合うこと。ただし、その場合の支出には私の出演料や家人の人件費を含めていないこと。

 ゲスト出演者と司会進行者には交通実費程度しか進呈していないこと。これまでも、赤字になったことはないこと。したがって、少しづつ手持資金は貯まっているが、それは将来的な企画(音楽演奏や外部の朗読者とのコラボなど)、あるいは、当面の運転資金のためにプールしていること。挨拶にふさわしい内容ではなかったか?












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館長の朗読日記2030/八千代「新・みちの会」の朗読レッスン

館長の朗読日記2030  (戦後72年07月23日 新規)



○八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスン(1)

 昨日(7月22日)の13時30分から、八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスンを行なった。今回は第3期・朗読ステップ2の第18回目、今秋9月の朗読発表会『この世界の片隅に』に向けたレッスンの第6回目である。この台本は前半と後半に分かれている。今回はその後半(第2部)のレッスンをやった。

 語半(第2部)は、今回が3回目である。3回目ということは、通常のレッスンとしては最後ということになる。つまり、今回は最後の通常のレッスンということになる。その後は、立ち稽古(全体の通し読み)、舞台リハーサル、本番の朗読発表会へと進んでいく。台本も3回目ともなると、会員はそれぞれかなり仕上げてくる。

 その仕上がりに応じて、会員および私の作品世界に対する理解も深まっていく。しかし、逆に、登場人物や場面のとらえ方の不備な点も浮かび上がってくる。その点を、私も指摘するが、他の会員からもいろいろと意見が出てくる。会員全員の作品世界に対する理解が深まってくるから、他の会員の不備な点も感知できるのである。



○八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスン(2)

 このサークルの現在の会員数は10人を割っている。それにもかかわらず、朗読発表会『この世界の片隅に』の朗読時間は、他のサークルと同じく2時間を超える予定である。したがって、会員数が少ない分だけ、会員1人辺りの朗読時間が長くなる。会員1人1人がかなり頑張らないと、観客を舞台に吸引することはむずかしい。

 この『この世界の片隅に』は、先の大戦で米国が広島に原爆を投下した前後の出来事が主に描かれている。したがって、かなり緊迫した場面、かなり激烈な場面がある。朗読においてむずかしいのは、笑いをとる表現が最たるものであるが、緊迫感と激烈感を出す表現もかなりむずかしい。この点で会員の皆さんはまだまだである。

 また、私が朗読表現の基本として「語りかける語り口」を提唱しているのは、単なるテクニックの問題ではない。朗読発表会の舞台などで、眼の前にいる観客に作品世界のイメージなり感動なりを物語ったり、説得したり、訴えかけたりする意識・意志を表現するためにこそ「語りかける語り口」が必要不可欠な基本だからである。





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館長の朗読日記2029/船橋「はなみずき」と習志野「茜」の朗読レッスン

館長の朗読日記2029 (戦後72年/西暦2017年07月21日 新規)



○船橋朗読サークル「はなみずき」の朗読レッスン(1)

 7月20日(木)の15時00分から、船橋朗読サークル「はなみずき」の朗読レッスンをおこなった。今回は、第2期・朗読ステップ6の第6回目、レッスン台本・宮澤賢治原作「なめとこ山の熊」の第6回目、その仕上げの通し読みをする回である。会員を2グループに分け、それぞれ「なめとこ山の熊」を読み継いでもらう。

 体調を崩して前回のレッスンを休んだ最長老の会員も、今回は元気に仕上げの通し読みに参加した。このレッスン台本の仕上げの通し読みは、レッスン会場の一角をステージとし、そこに朗読席を2席設け、順々に会員が読み継いでいく。あくまでサークル内部だけで行なうものであるが、一種の「ミニ朗読会」ともみなしうる。

 あるいは、約3ヶ月ごとに行なう「朗読おさらい会」といってもよい。他の会員は、客席のように特別に配置した座席で観客としてその朗読を聴く形になる。このサークルの場合は、身内とはいえ、観客数は15人ほどになる。まさに、一種の「ミニ朗読会」であり、出演者はかなり緊張するらしい。それら総てが良い経験となる。



○船橋朗読サークル「はなみずき」の朗読レッスン(2)

 朗読が一通り終了すると、休憩を挟んで、私が講評を行なう。1期生に対しては、あまり褒めない。上手に出来て当たり前だからである。また、上手な朗読になると「玉に疵」といったように欠点が目立ってくる。逆に2期生に対しては、褒める比重が増す。上手でない朗読の場合は、前回より良くなった諸点が目立つからである。

 もちろん、私の講評においては、毎回のレッスンと同じく、1期生に対しても、2期生に対しても、要改善点を指摘し、その当面の改善方法を指導する。その結果、会員の朗読が良くなり、その会員の朗読レベルが向上するか否か。その度に、私の朗読指導の適否や良否が試される。その意味で、毎回が、私の真剣勝負なのである。

 何のために、そのような真剣勝負を続けているのか。もちろん、主には、会員の朗読を上達させることが目的である。その上に、そういう真剣勝負を通して、朗読の理論や指導法を確立することも私の目的なのである。そのようにして、拙著『朗読の理論』は成ったし、現在、次著『朗読の上達法』の研究&執筆に取り組んでいる。



○習志野朗読サークル「茜」の朗読レッスン(1)

 7月20日(木)の18時10分から、習志野朗読サークル「茜」の朗読レッスンを行なった。このサークルは前回から第2期・朗読ステップ4に突入している。ただレッスン台本は、他のサークルが第3期に使用する文学作品を準用することにしている。このサークルが第3期に入ったら、他サークルの第2期用台本を準用する。

 すなわち今回は、第2期・朗読ステップ4の2回目、台本・太宰治原作「燈籠」の第2回目である。前回は、 太宰治原作「燈籠」という文学作品について、私が解読した内容をざっと解説することに重点を置いた。今回は徐々に会員1人1人の朗読に対する指導に重点を移していく。もちろん、その過程で、作品の解説も継続する。

 この太宰治原作「燈籠」という作品は、全文が主人公(さき子)の独り語りから成っている。その独り語りは太宰治の優れた文章力によって、かなり迫力のある文体になっている。その迫力により朗読する側も心情が入ってくる。その結果、各文節が高く上に上がってくる。特に述語部分が上がってくる。太宰治の文章の力である。



○習志野朗読サークル「茜」の朗読レッスン(2)

 そうは言っても、今回はまだ太宰治原作「燈籠」の2回目のレッスンである。会員もまだ十分に自分の朗読を仕上げていない。まだ十分に仕上げていない段階で、あまり細かい指導をしても仕方がない。ともすれば、私が解読した内容をさらに解説する方向に行きがちになる。しかも、このサークルは会員数が10人を切っている。

 その結果、レッスンが早めに終わってしまった。このサークルのレッスンは、通常は18時10分〜20時40分と約2時間半かけて行なっている。今回は、何と18時10分〜19時40分と約1時間半で終わってしまった。会員の皆さんは、いつもレッスン時間が長めだから、たまには短かめも良い、ということになった。

 確かに、外向けにはレッスン時間を2時間ということになっている。しかし、毎回の実際のレッスン時間はだいたい2時間半をかけてやっている。特に、このサークルのレッスンは夜間にやっている。したがって、他のサークルよりもレッスン時間が短いことを歓迎する雰囲気がある。今後もレッスンを短かめに終了していくか。




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館長の朗読日記2028/吉本隆明の「なめとこ山の熊」論について

館長の朗読日記2028  (戦後72年07月20日 新規)



○吉本隆明の「なめとこ山の熊」論について(1)

 一昨日(7月18日)に品川朗読サークル「あやの会」で宮澤賢治原作「なめとこ山の熊」の朗読レッスンをおこなった。そのとき会員の一人が私に吉本隆明の著作『宮澤賢治』の1部を紹介してくれた。吉本隆明が「なめとこ山の熊」について論及しているところである。ざっと通読したが、つい色々なことを考えてしまった。

 私は、学生時代から吉本隆明をかなり読んで来た。そして、多くのことを学んだ。朗読に関することでも、吉本隆明の主著『言語にとって美とはなにか』はもちろん、三浦つとむ著『日本語はどういう言語か』に吉本隆明が寄稿した「解説」も大いに参考になった。吉本隆明の文学作品論や文学評論や作家論もほとんど読んでいる。

 当然、この『宮澤賢治』も通読している。しかし、会員が紹介してくれた「なめとこ山の熊」に関する部分はすっかり失念していた。今回、この会員が紹介してくれたお陰で、改めて読むことができた。吉本隆明の優れた部分だけではなく、今の私にとってはもの足りない部分もあることを感じ、ある種の感慨めいたものが湧いた。



○吉本隆明の「なめとこ山の熊」論について(2)

 かつて小林秀雄の『無常といふ事』を初めて読んだとき、当時の私の感性とは隔絶した鋭さを感じて、およびがたしという感慨と同時に、自分とはまったく異質なものに触れたような違和感をもった。この小林秀雄に対する「およびがたし」という感慨と異質的な違和感という想いの原因は、吉本隆明の次の文章で明らかになった。

「いままでなされてきた文芸批評は、どう名づけようと理論ではない。これは、批評としての出来栄とも、主観や党派性とも、かかわりがないことである。文学に関する理論は、言語の解析からはじまるか、具体的な作品の逐次的な解析からはじまる以外にはない、というのが、わたしの到達した結論であった。この結論は、すでに、小林秀雄によって、言及されていた。ただ、それを、実行していないだけだ」三浦つとむ『日本語はどういう言語か』(講談社学術文庫)所収の吉本隆明寄稿「解説」より

 つまり小林秀雄『無常といふ事』などの文芸批評は、出来栄としては素晴らしいかも知れないが、理論(理論的)ではなかったのである。私は、たとえささやかであっても『朗読の理論』や『宮澤賢治の視点と心象』を初めとする「朗読のための文学作品論」シリーズによって、その「具体的な作品の逐次的な解析」を試みている。



○吉本隆明の「なめとこ山の熊」論について(3)

 今回、品川朗読サークル「あやの会」の会員が紹介してくれた吉本隆明の「なめとこ山の熊」論に対して、私がいささかもの足りないものを感じたのは、この作品に関する吉本隆明の解析が、必ずしも「具体的な作品の逐次的な解析」ではなく、あの小林秀雄ばりの文芸批評の段階にとどまっているように感じられたからである。

 もちろん、私は、現在、私が私の朗読レッスンで作品解説しているレベルの「なめとこ山の熊」論に満足しているわけではない。いつかは、私の「朗読のための文学作品論」シリーズの一環として構想している『宮澤賢治の宗教と文学』(仮題)のなかで、現在の「なめとこ山の熊」論を全面的に補正&拡充しようと考えている。

 既刊の私の単著『朗読の理論』『宮澤賢治の視点と心象』(共に木鶏社発刊)や、私が朗読協力&朗読原案を担当した朗読漫画『花もて語れ』(片山ユキヲ&東百道共著/小学館発刊)を読んで下さった方には、吉本隆明のいうような「具体的な作品の逐次的な解析」が多少なりとも実行されていると感じていただいていると思う。


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館長の朗読日記2027/品川「あやの会」と大田「くすのき」の朗読レッスン

館長の朗読日記2027  (戦後72年07月19日 新規)



○品川朗読サークル「あやの会」の朗読レッスン(1)

 昨日(7月18日)に、品川朗読サークル「あやの会」の朗読レッスンを行なった。今回は第2期・朗読ステップ6の第4回目、レッスン台本・宮澤賢治原作「なめとこ山の熊」の第4回目である。この台本のレッスン(全6回)もいよいよ後半である。この段階になると、作品解読よりも、その内容の表現の仕方に重点が移る。

 レッスンの冒頭で、私は「原作に忠実な朗読とはなにか」というテーマで話しをした。私の話しを一言で言えば、原作に忠実か否かという問題には、問題にする個人の主観的な価値観が入ってくるから、客観的には判定することが出来ない、ということである。また、その問題とレッスンにおける朗読のあり方とは別物なのである。

 さらに、今回は、レッスンの冒頭に私の出版物リストの最新版を配布した。現時点の私の出版物は、単著の単行本が『朗読の理論』と『宮澤賢治の視点と心象』の2冊、公演ライブ盤(ブルーレイないしはDVD)が5種類、そして、共著(私は朗読協力&朗読原案を担当した)の単行本が朗読漫画『花もて語れ』全13巻である。



○品川朗読サークル「あやの会」の朗読レッスン(2)

 前回、突如、従来に比べて格段に力のこもった(朗読する人間の心情がこもった)声で朗読できた会員が、今回もなかなか力のこもった声で朗読していた。今回も褒めたところ、前回は、風邪をひいたので1語1語に力をこめないと朗読できないためだといっていたが、今回は風邪のお陰ではないと胸を張っていた。ご同慶である。

 その他にも、語りかける語り口が着実に身についてきた会員、声出しの高さをいろいろに変えて自分の朗読の語り口を前向きに模索している会員、台本(原作)の文章の流れを読み取りつつそれに対応した朗読表現をいろいろと工夫している会員など、それぞれに自分の朗読を研究し、試行錯誤し、上達させるように努力している。

 このサークルが、先日、荏原第六中学校の3年生全員を対象に朗読会『白旗の少女』を上演したが、それに対する3年生の感想文を「あやの会」の渉外担当の役員がコピーして私に渡してくれた。ざっと目を通したが、朗読はかなり好評であり、とても感動してくれたようである。学校からは来年も上演することを依頼されたという。



○大田朗読サークル「くすのき」の朗読レッスン(1)

 昨日(7月18日)に、大田朗読サークル「くすのき」の第4回目の朗読レッスンを行なった。今回は、第1期・朗読ステップ1の第4回目、最初のレッスン台本・宮澤賢治原作「やまなし」の第4回目である。サークルが発足からの4回目の朗読レッスンでもある。サークルの体制や朗読レッスンへの取り組み方を整備している。

 朗読ステップ1は次の2点、すなわち、文学作品を解読する基本的な方法、および、日本語の音声言語の基本的な語り口、に重点をおいてレッスンをする段階である。しかも、どちらかといえば、前者、すなわち、文学作品を解読する基本的な方法により多くの重点を置いていく。もちろん、朗読に関する基本的な問題も指導する。

 今回は、その一環として、レッスンの冒頭に、次の3点について話しをした。1点目は、文学作品の作品世界をイメージする場合に、その作品世界は4層の構造を持っていることについて。これは、現在レッスン中の宮沢賢治原作「やまなし」に記されている「クラムボン」をいかに解釈するか、ということを例題として説明した。



○大田朗読サークル「くすのき」の朗読レッスン(2)

 2点目は、朗読おけるアクセントの問題をどのように考えるか、という問題についてである。3点目は、品川朗読サークル「あやの会」のレッスンでも話した「原作に忠実な朗読とはなにか」という問題についてである。今後も、朗読に対する私の基本的は考え方を少しづつ話していく。これも一種の体制整備の一環なのである。

 今回は、その他の問題についてもいろいろと話した。例えば、月謝を出す場合には、おつりの必要がないようにあらかじめ用意すること。自分の名前を記した名札は、朗読ステップ1の期間中は常に自分の机の前に掲示すること、などである。これらも、朗読レッスンの一種の体制整備の一環である。最初の1年間はいろいろある。

 次回は、宮沢賢治原作「やまなし」の仕上げの通し読みをおこなう。サークル「くすのき」の会員は、ほとんどが朗読の経験者のようである。なかでも声優の訓練をした会員が複数いる。全体的なレベルが高いのである。したがって、次回の仕上げの通し読みでどのような「やまなし」を朗読してくれるか、今から楽しみにしている。









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館長の朗読日記2026/千葉「風」の朗読レッスン

館長の朗読日記2026  (戦後72年07月16日 新規)



○千葉朗読サークル「風」の朗読レッスン(1)

 昨日(7月15日)の9時30分から千葉朗読サークル「風」朗読レッスンを行なった。今回は第3期・朗読ステップ1の第16回目、今回は10月に開催する第17回「小さな朗読館・ちば」に向けたレッスンの3回目である。会員の半数は向田邦子原作「ごはん」の読み継ぎを、会員の半数は1人1作品の朗読をレッスンする。

 向田邦子原作「ごはん」を読み継ぐ方の会員(約半数)は、毎回、作品全体を順々に読み継ぐ形でレッスンするから、3回目ともなると作品全体をよく理解した上で朗読する段階になっている。もちろん、部分的にはより理解を深めていく必要もあるが、重点は理解した作品世界をいかに朗読表現するか、という点に移行している。

 1人1作品を朗読する方の会員(約半数)は、レッスンごとにそれぞれの作品の3分の1づつをレッスンする。従って、3回目の今回は各作品の最後の3分の1のところを初めてレッスンすることになる。そのために、その部分を中心にしつつも、改めて作品全体の解読も行なうことになる。これまでの理解が覆る部分も出てくる。



○千葉朗読サークル「風」の朗読レッスン(2)

 今回は幸田文原作「なた」の最後の部分が話題になった。そういう場合には、会員は自分の意見を語り合い、朗読レッスンはあたかも大学のゼミナールのような様相を呈してくる。ときには会員の読みの深さに感心することもある。サークル全体の朗読レベルが上がってきた暁には、作品解読がレッスンの中心になるかも知れない。

 しかし、今の段階では、まだまだ基本的な語り口の修得がレッスンの中心である。また、少しづつではあるが新しい会員が入会してくると、その会員がかなり朗読経験がある場合でも、さらには、かなり語りかける語り口を身につけている場合でも、改めての指導が必要となる。なんとなく無意識に語っている場合があるからである。

 なかなか「自然な語り口」を修得できない会員の場合には、指導する方もあの手この手といろいろ指導の仕方を工夫しなければならない。そういう工夫は、私の指導法や指導理論をとても豊かにしてくれる。ときには、ハッとするような発見の糸口になることもある。会員もそれを目の当たりにする。それらの総てが楽しいのである。







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館長の朗読日記2025/千葉「わかば」の朗読レッスン

館長の朗読日記2025  (戦後72年07月14日 新規)



○千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスン(1)

 昨日(7月12日)の13時30分から、千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスンを行なった。今回は第2期・朗読ステップ6、レッスン台本・菊池寛原作「仇討三態(その1)」の第3回目のレッスンである。レッスン台本も3回目ともなると、会員はかなり仕上げてくる。今回は、事情により3人も欠席者が出た。

 出席者が少なめであっても、朗読レッスンはいつものように進行していく。この菊池寛原作「仇討三態(その1)」についての作品解説は、前回まででだいたい終わっている。また、会員の朗読表現もそれなりに煮詰まってきているたので、今回は、1人1人の朗読表現について、より突っ込んだ、レベルの高い指導をした。

 その内容を一言でいえば、レスン台本の文字言語にもとづきつつも、自なりに想像・創造した作品世界のイメージと心情を、自分なりの音声言語を「自然な語り口」で表現する方法に関するものである。技術的にいえば、助詞および述語の部分の表現の仕方、朗読における声の出し方、文や文同士の句読点部分のつなげ方など。



○千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスン(2)

 今回は欠席者が出たので早く終わった。いつもは時間が足りないが、今回は少し余裕があった。その余裕分を、会員との質疑応答に費やした。質疑の発端は、読点の前後の音声言語のつなげ方に関する質問であった。それはさらに、読点を軽視することは原作である文学作品の軽視になるか否かという問題の質疑に進んでいった。

 それは、次第に、朗読というものは原作である文学作品をどこまで忠実に再表現すべきか、という問題に発展していった。私は、文字言語で表現された文学作品を、音声言語で再表現する朗読の場合には、忠実に再表現するという考え方に本質的な限界がある、という持論を説明した。眼で見るものと耳で聴くものの違いである。

 漢字に振り仮名がついている場合の朗読の仕方。漢字の異字体(たとえば新字体と旧字体)の違いの朗読の仕方。日本式な表記に括弧で英語式の表記をつけている場合(たとえば「手巾」とした後に(ハンケチ)と記されている場合)の朗読の仕方。本質的な意味では、文字言語を真に忠実に音声言語に再表現することはできない。









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館長の朗読日記2024/荏原第六中学校ボランティア朗読会『白旗の少女』

館長の朗読日記2024  (戦後72年07月12日 新規)



○荏原第六中学校ボランティア朗読会『白旗の少女』(1)

 昨日(7月11日)の夜に、品川朗読サークル「あやの会」の渉外担当役員・山本扶美子さんが電話で昨日開催した荏原第六中学校ボランティア朗読会『白旗の少女』の上演模様を報告してくれた。全体としてはうまくいったし、学校の先生方も高く評価してくれて、さっそく来年も朗読会を開催して欲しいと依頼されたという。

 昨年まで、特攻隊の悲劇をあつかった『ホタル帰る』を3年生の各教室でクラス別に上演していた。今年から、新しく『白旗の少女』を3年生全体を一堂に集めてもらい、一挙に、本格的に上演するよう、渉外担当役員・山本扶美子さんが熱心に働きかけ、ようやく実現に漕ぎつけたのである。それが成功したのだから、嬉しい。

 品川朗読サークル「あやの会」は、これまでも毎年、中学校3年生を対象にボランティア朗読会『ホタル帰る』の上演を継続してきた。中学生に先の大戦の歴史的悲劇を語り継ぐためである。最初のころは、私もその朗読会のためにいろいろと手伝ったが、近年は品川朗読サークル「あやの会」がすべてを自立的にやっている。



○荏原第六中学校ボランティア朗読会『白旗の少女』(2)

 そのような中学校におけるボランティア朗読会の最大の喜びは、来年もまた引き続いて朗読会を依頼されることである。そして、そのように依頼されることが、どのような称賛や評価や謝辞よりも心嬉しいものなのである。今回は10人の「あやの会」の会員が出演したが、終演後は反省会を兼ねて2時間も「お茶」したという。

 それやこれやで疲れ切って、報告が夜になってしまったと、渉外担当役員・山本扶美子さんはしきりに恐縮していた。そのように疲れているにもかかわらず、今後は中学生たちのためにより良い朗読会にしていかなければならない、と熱弁をふるっていた。改善しなければならない点をつぎつぎに列挙していたのは頼もしい。

 私も、今後の朗読レッスンをいろいろと工夫して、その改善に一役かおうと思っている。もちろん、その中心は、品川朗読サークル「あやの会」の会員の皆さんの朗読のレベルをさらに向上させることである。1人1人の朗読を上達させることによって、中学校でのボランティア朗読会の全体的朗読レベルを上げることである。




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館長の朗読日記2023/遠い先の話と遠い所の話

館長の朗読日記2023  (戦後72年07月11日 新規)



○遠い先の話と遠い所の話(1)

 一昨日(7月09)の午前中に、船橋市民創造館(きららホール)に出かけ、来年(2018年)7月に開催する第12回「小さな朗読館〜感動をつくる朗読をめざして〜」の会場を予約してきた。このホールは人気が高く、特に近年は予約希望者が急増している。幸い今回も予約希望が競合することなく、無事に予約できた。

 近年は、歳月の経つのがものすごく速く感じられる。今回のように1年先の予約などをしていると、その速さがますます加速して感じられてしまう。こういう想いを年に3回は体感している。改めて考えてみると、朗読会の定期開催(年3回)を始めたのが運の尽きであった。多数の予約希望者に混じって、ツラツラそう考えた。

 その日は、午後に八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスンがあった。自宅に帰るのも中途半端なので、かねてコーヒーがうまいという評判をきいていた喫茶店に行き、ランチを頼んだ。そこの女主人と少し話しをしたが、八千代市にもこんな喫茶店があったかと嬉しくなった。近年、こういう味のある喫茶店は珍しい。



○遠い先の話と遠い所の話(2)

 昨日(7月10日)の午前に、久しぶりに高知市の松田光代さんからお電話をいただいた。数日前に、松田さんから当地の朗読その他のイベントに関するチラシや資料を郵送していただいていた。近年は定期的に、そういう情報交換を交互におこなっている。松田さんは通話無制限の携帯電話からなので、私も安心して長話をした。

 松田さんは、高知市および高知県における視覚障害者向けボランティア朗読の中心人物である。さらに、高知県立文学館を拠点とする一般向け朗読(文学作品の朗読)活動の中心人物でもある。いわば、朗読における二刀流の達人なのである。その他にも高知の行政機関から依頼されて様々な社会文化活動を精力的にこなしている。

 今回の電話でも、それらに関するお話しをたくさんしていただいた。そのお話しぶりは的確で無駄がなく、話題も実に豊富である。私はほとんど聞き役であったが、松田さんのお話しはいつ聞いても面白い。私は、毎回、トコトン楽しくお話しを聴いている。気がつくと、毎回、アッという間に1時間以上の時間が過ぎている。







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館長の朗読日記2022/八千代「新・みちの会」の朗読レッスン

館長の朗読日記2022  (戦後72年07月10日 新規)



○八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスン(1)

 一昨日(7月08日)の13時30分から、八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスンを行なった。今回は第3期・朗読ステップ2の第17回目、今秋9月の朗読発表会『この世界の片隅に』に向けたレッスンの第5回目である。この台本は前半と後半に分かれている。今回はその前半(第1部)のレッスンをやった。

 前半(第1部)は、今回が3回目である。3回目ということは、通常のレッスンとしては最後ということになる。次回は、後半(第2部)の3回目のレッスンをやり、その後は、立ち稽古(全体の通し読み)と舞台リハーサルをやり、本番の朗読発表会へと進んでいく。この台本も、3回目ともなると、会員はかなり仕上げてくる。

 その仕上がりに応じて、会員および私の作品世界に対する理解も深まってくる。会員の朗読が仕上がってくると、作品世界の各場面の実体や流れが表現されてくる。すると、部分的に不自然な表現あるいはひっかかる表現が発見される。そういう部分が、作品世界の理解をさらに深める糸口になる。そういう認識が大切なのである。



○八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスン(2)

 このサークルは、会員数が10人を割っている。昨年から今年にかけた約1年間で色々な事情によって退会者が続出し、アッという間に会員数が10人を割ってしまった。会員数が減るときは、得てしてこういうものである。会員数が10人を割り込むと、会員数を増やさなければという気持ちが、従来より増してきたようである。

 私が朗読指導するようなグループレッスンの場合、会員数が少ない(会員数が10人以下)事態になると、そのデメリットの大きさ、逆に会員数が多い(会員数が10人以上、理想は15人より少し多いくらい)メリットの大きさが、ヒシヒシと実感されてくるようである。今秋の朗読発表会の後に、会員募集を本格化させよう。

 レッスン終了後、会場のロビーで、たまたま会員の何人かと少し話す時間があった。ある会員は、色々なタイプの朗読会を聴きに行って、ナレータータイプの朗読のつまらなさ、語りかける語り口の重要さを再確認したという。その会員はレッスン歴がまだ3年未満だが、最近急速に朗読が上達してきたのはそのせいか、と思った。






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