05館長の朗読日記(戦後72年/西暦2017年)

館長の朗読日記2081/船橋「はなみずき」と習志野「茜」の朗読レッスン

館長の朗読日記2081 (戦後72年/西暦2017年11月17日 新規)



○船橋朗読サークル「はなみずき」の朗読レッスン(1)

 昨日(11月16日)の15時00分から、船橋朗読サークル「はなみずき」の朗読レッスンをおこなった。今回は、第2期・朗読ステップ6の第13回目。今回から、来年4月に開催する朗読発表会レッスン台本・森沢明夫原作「虹の峠の喫茶店」のレッスンに入る。今回はその第1回目、前半部分の第1回目のレッスンである。

 どの台本でもそうだが、レッスンの初めのうちは、どうしても朗読がたどたどしいものになる。こちらも、今回は初回だからと、朗読表現そのものより、その台本の作品世界の解説や意識合わせの方に重点をおくことになる。すなわち、この台本における作品世界のイメージづくりや表現主体の心情づくりに力点をおくことになる。

 これも、どの台本でもそうだが、この作品世界のイメージづくりや表現主体の心情づくりがなかなかむずかしい。場面として構成されている事物の具体的なイメージ(大きさや距離など)、場面に登場する人物の具体的なイメージ(年齢や性格など)を一つ一つ特定していくことは意外に面倒でむずかしい。会員の知恵を総動員する。



○船橋朗読サークル「はなみずき」の朗読レッスン(2)

 この場合、決めておいた朗読分担に則って順々に朗読してもらう。そして、1人の朗読が終わるたびに、その部分の作品世界について解説や意識合わせをおこなっていく。その結果、直前に朗読してもらったイメージと、私の解説や会員同士の意識合わせの末に浮かび上がったイメージがあまりに違うので、大笑いになることもある。

 そういう一連の内容が面白いらしく、会員は実によく笑う。特に自分の朗読分担部分が終わった会員は、自分の分が終わったという解放感のためか、まるで漫才のコントを聴いているような感じで笑い転げる場合もある。しかし、まだ自分の朗読分担分が残っている会員たちはそうはいかない。後の方を分担するのは1期生が多い。

 しかも、後の方になると作品世界について解説や意識合わせも大筋はできてくる。自ずからレッスンの内容は朗読そのものの仕方に移行していく。加えて、私の朗読指導は2期生よりも1期生に対して厳しい。その結果、初回であるにもかかわらず、今回のレッスンは1期生にとってけっこう大変だったと思う。今後はどうであろうか。



○習志野朗読サークル「茜」の朗読レッスン(1)

 昨日(11月16日)の18時00分から、習志野朗読サークル「茜」の朗読レッスンをおこなった。今回は第2期・朗読ステップ4の9回目、新しいレッスン台本・太宰治原作「雪の夜の話」の3回目。前々回は、会員数が少ない上に半数近くの会員が休んだので寂寥感が漂うレッスンであった。前回と今回は全員が出席していた。

 このサークルにとって喫緊の課題である会員を増やす対策であるが、急きょ今年の12月11日(月)に朗読入門教室を開催することになった。来年1月から代表になることが決まった会員が、早急にチラシとポスターを作成し、配布できるところ、掲出できるところに早速折衝し、レッスン前にその経過を報告してくれたのである。

 その中に習志野市内にある大学にもポスターを掲出した旨の報告があった。そういえばこの習志野市内には大学が3つぐらい集中している。私は大学に対するアプローチをすっかり失念していた。しかし、考えてみれば朗読漫画『花もて語れ』の読者に大学生もいるはずである。これを手始めに大学に対する朗読普及を考えてみるか。



○習志野朗読サークル「茜」の朗読レッスン(2)

 太宰治原作「雪の夜の話」のレッスンは、おおむね前回と同じであった。それどころか、この「雪の夜の話」の地の文の語り手としての「しゅん子」の語り、および、登場人物としての「しゅん子」のセリフを、どのように朗読するか、表現し分けるか、についての私の見解を前回とほぼ同じ内容のことをくり返してくわしく説明した。

 実は、現在執筆中の『朗読の上達法』において、文学作品の創作者としての原作者と、作品世界における地の文の表現主体としての原作者との、区別と関連をどのように説明するか。この点を、考察している最中なのである。レッスンで、会員の反応を探りつつ、私の見解をいろいろと説明している。まだ私の説明が十分でないようだ。

 もちろん、会員1人1人の朗読についてもいろいろと指導している。今回も改めて痛感したが、会員1人1人の朗読は着実に上達している。それぞれの短所も改善されてきたが、それぞれの長所もさらに良くなってきている。私は、なるべく会員の長所と短所を的確に指摘し、その会員の朗読が上達する方法の指導に注力している。








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館長の朗読日記2080/八千代「新・みちの会」の朗読レッスン

館長の朗読日記2080  (戦後72年11月12日 新規)



○八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスン(1)

 昨日(11月11日)の13時30分から、八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスンをおこなった。今回は、第3期・朗読ステップ3の第3回目、最初のレッスン台本・芥川龍之介原作「毛利先生」の第3回目である。今回も、会員に順々に4分ほど「毛利先生」を朗読してもらい、その朗読に対して指導していった。

 少数の1期生は、すでに各文節を立てながら(特に2音目を支点に上げながら)朗読する語り口が身についている。今回のレッスンで聴くかぎり、徐々に2期生もそれができてきている。ただし、まだ、そういうことを意識しながらやっているようである。逆にいえば、まだ、そういうことを意識しないとできない段階なのである。

 このような基本的な「語りかける語り口」に関することは、なるべく早く無意識にできるようになるまで身につけて、表現に関するさらに高度なことに意識を集中するようにして欲しいものである。しかし、そうは言っても、意識するようになったこと、意識すればできるようになったことは、大きな飛躍的な進歩にはちがいない。



○八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスン(2)

 前回のレッスンで、三浦つとむの絵画表現に関する理論を紹介した。即ち『日本語はどういう言語か』の「絵画や写真は客体的表現と主体的表現という対立した二つの表現のきりはなすことのできない統一体として考えるべきものであり、主体的表現の中にはさらに位置の表現と見かたや感情などの表現とが区別される」の件である。

 前回はさらに、レッスン台本「毛利先生」の実際の文章を実例として解説したのだが、会員の反応があまりはっきりしなかった。そこで、今回、再度、三浦つとむ著『日本語はどういう言語か』の冒頭部分に描かれている挿絵を、黒板に私の下手な絵で再現して解説した。多少は理解してもらえたようであるが、まだあやふやである。

 レッスン後に、来年の朗読発表会の演目(原作)について、会員同士が相談していた。こういう場合、私は極力口を出さないようにしている。会員も過去に何度も朗読発表会を経験しているので、自主自立的にドンドンと相談を進めていく。原作が朗読発表会の演目にふさわしいか否かについても積極的に自分の意見を主張していた。








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館長の朗読日記2079/千葉「わかば」の朗読レッスン

館長の朗読日記2079  (戦後72年11月10日 新規)




○千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスン(1)

 昨日(11月09日)の13時30分から千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスンを行なった。今回は第2期・朗読ステップ6の第16回、来年2月に開催する朗読発表会に向けた台本・澤口たまみ原作「水仙月の三日」の第5回目のレッスンである。この台本は前半と後半を交互にレッスンするから、今回は前半の番である。

 今回は、いろいろな事情があって3人の会員が欠席した。朗読発表会に向けた台本「水仙月の三日」も第5回とかなり進んだので、欠席した会員の朗読分担分を前後を分担している会員で補足してもらった。これは、本番で万一出演者が欠演するような非常事態が発生したときのために備えていたことの、いわば予行練習なのである。

 常日頃から、自分が朗読分担している部分の前後の会員の分も練習しておくように注意してあるのだが、今回の様子ではほとんど実行していなかったようである。本当は、自分の前後の会員の分だけでなく、台本の全部を1人で朗読し通すつもりで練習しておくと良いのである。現に、ずば抜けて上達した会員はそれを実行している。



○千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスン(2)

 私のレッスンにおいては、良いところは極力ほめるようにしているが、注意すべき点や改善すべき点はなるべく根拠を示しながらはっきり言うことにしている。私が指導したポイントを自宅で直してくる会員は、次のレッスンではそれを踏まえて、さらに新しい課題を指摘して指導していく。そうして、順次、朗読が上達していく。

 しかし、私が指導したポイントをなかなか自宅で直してこない会員は、レッスンごとに同じような注意と指導をくり返すことになる。したがって、レッスンごとに同じ注意と指導を受ける会員は、そのことで、自分がそのポイントをクリアしていないという事実を、嫌でも悟らされるらしい。考えてみれば、かなり厳しいレッスンである。

 帰途、数人の会員と歩きながら、来年2月に第2期(朗読ステップ1〜6)が終了することを踏まえて、第3期生の募集をどうするか、という話しを雑談的にした。年末までに、新規会員募集の時期と方法を考えておいた方が良いということも。このサークルの会員数が、第1期末には4人まで減ってしまったことを懐かしく思い出した。







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館長の朗読日記2078/品川「あやの会」と大田「くすのき」の朗読レッスン

館長の朗読日記2078  (戦後72年11月08日 新規)



○品川朗読サークル「あやの会」の朗読レッスン(1)

 昨日(11月07日)に、品川朗読サークル「あやの会」の朗読レッスンを行なった。今回は第2期・朗読ステップ6の第10回目、レッスン台本・菊池寛原作「仇討三態(その1)」の第4回目である。このサークルは、会員の皆さんが特に熱心だから、レッスンも4回目ともなると、各人がかなり読み込んだ朗読を披露してくれる。

 そうなると、私の方もつい気合の入ったダメ出しやコメントをすることになる。その会員の今回の朗読の欠点とその根拠を指摘する場合も、今回の朗読で目立って良くなった点とその根拠を指摘する場合も、まさに真剣勝負のような気合が入ってしまう。私のレッスンは、ただ褒めたり、自分の朗読を見本とするようなものとは違う。

 たとえば、会員の1人が、今回、その会員自身の心情とイメージをこめた声で始めから終わりまで朗表現し切ったのである。その会員の本気度が感じられる朗読であった。この最古参の会員はレッスン歴が11年を超えるが、このような声出しで終始朗読したのは、おそらく今回が初めてではあるまいか。ようやくこのレベルまで来た。



○品川朗読サークル「あやの会」の朗読レッスン(2)

 その他にも、従来は甘えたような声出しの語り口だった会員が、最近は1人前の大人のそれに変わってきており、特に今回の朗読は見違えるようにしっかりとした朗読になっていた。あるいは、まだレッスン歴が2年と短い会員が、今回は特に、堂々としっかりした声出しと語り口で朗読していた。その上達の速さににも驚かされた。

 このサークルの会員は皆さん前向きで、私が指定するレッスン台本の良いところを見つけて、作品そのものが大好きになって練習に取り組んでいる。特に今回のレッスン台本「仇討三態(その1)」は、お気に入りのようである。この菊池寛の作品の面白さとむずかしさが、会員たちのやる気と本気度を引き出しているのかも知れない。

 今回のレッスンの終了後に、皆で、来年5月に開催を予定している朗読発表会で上演する岡本綺堂原作「修禅寺物語」の台本を作成する予定だという。私が台本を作成する手間を肩代わりしてくれたのである。大変にありがたい話しであり、お蔭で私は大助かりである。とにかく、このサークルの皆さんは、考え方が前向きなのである。



○大田朗読サークル「くすのき」の朗読レッスン(1)

 昨日(11月07日)に、大田朗読サークル「くすのき」の第10回目の朗読レッスンを行なった。今回は、第1期・朗読ステップ1の第10回目。レッスン台本・芥川龍之介原作「蜜柑」の第5回目、仕上げの通し読みなのである。短い作品なので、2人1組で、各組ごとに読み継いでもらうことにした。全部で4回の読み継ぎとなる。

 1組づつ、椅子を2つ置いたステージ的な空間に坐ってもらって、私が原作者と作品名を呼ばわった後に読み継いでもらった。4組8人の朗読をメモを取りながら聴いていると、まだレッスン歴が半年であるにもかかわらず、かなりレベルの高い朗読をしていることに驚かされた。これは、私の指導ではなく、元々のレベルが高いのである。

 もちろん、私が目指している「感動をつくる朗読」からすると、まだまだ改善すべき余地がたくさんある。しかし、今まで私が指導してきた朗読サークルの第1期・朗読ステップ1の時期に比べると、明らかに高いレベルにある。それは、このサークルの場合は、本当の意味での初心者の会員がいなかったためではないかと考えている。



○大田朗読サークル「くすのき」の朗読レッスン(2)

 仕上げの通し読みが終了し、短い休憩をとった後に、私から全員の朗読について講評をした。短い総評と、会員1人1人の朗読に対する講評をした。この段階では、やはり講評の中心は「語りかける語り口」の問題となる。このサークルの会員は朗読経験者であるようだが、それにしてはいわゆる「朗読調」の朗読に染まっていない。

 また、私の指導する「語りかける語り口」をはやく身につけようと前向きに取り組んでくれている。第1期・朗読ステップ1においては、5回のレッスンで1本の台本を仕上げる。1ステップで4本の台本にとり組むことにしている。3本目のレッスン台本は、向田邦子原作「魚の目は泪」である。この作品も朗読的になかなか面白い。

 今回は、私から講評した後、特別に、朗読における発声練習の意味と新劇系のセリフ表現の評価について、私の持論を説明した。実は、前回のレッスンの後に、ある会員から発声練習について「先生のレッスンではなぜ発声練習をまったくやらないのか」という趣旨の質問があったので、その質問に改めて正面から答えたのである。







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館長の朗読日記2077/千葉「風」の朗読レッスン

館長の朗読日記2077  (戦後72年11月05日 新規)



○千葉朗読サークル「風」の朗読レッスン(1)

 昨日(11月04日)9時30分から、千葉朗読サークル「風」の朗読レッスンをおこなった。今回から、第3期の朗読ステップ2に突入する。すなわち、今回は第3期・朗読ステップ2の第1回目、1本目のレッスン台本・宮澤賢治原作「紫紺染について」の第1回のレッスンということになる。この朗読サークルは、通算で14年目に入っていく。

 急きょ手術の必要が生じたり、身内に不幸があったりで、今回は欠席者が多かった。しかし、このサークルはもともとの会員数が多い上、今回は見学者が2人もあったので、レッスン中の活気は衰えない。活気が衰えないどころか、少々うるさいくらいな活発さはいつものとおりである。例のごとく、最初に、朗読ステップ2の目的と意義を説明した。

 それから、新しい台本に入った初日のいつも通り、会員全員に少しづつ朗読してもらっては、私からの作品解読をしていった。しかし、今回は、レッスン後に、先日の朗読会の打上げ会を兼ねた昼食会が予定されている。そのため、レッスンを終える時刻を厳格に守らなければならない。そこで、私の作品解読は簡略にし、詳しくは次回に持ち越した。



○千葉朗読サークル「風」の朗読レッスン(2)

 レッスン後は、場所を変えて、千葉駅の近くのホテル内の和風レストランで、先日の朗読会の打上げ会を兼ねた昼食会が開催された。朗読会の講評の続きをやったり、会員の皆さんの感想を訊いたりした。今回の朗読会は、会員数が増えたので、時間が長くなり、観客の中には疲れたという声もあったらしい。朗読会のあり方を見直す必要があるようだ。

 また、会場についても、いろいろな意見が出た。ここ何年か使っていた会場は、客席数が80席しかなく、舞台もない。照明装置も音響装置もきわめて貧弱である。やはり、朗読会は「晴れの舞台」でやるべきだ、という意見も出た。これらの問題について、次回のレッスンのときに、改めて皆で相談し、会員の総意に基づいて決めようと思っている。

 どういう流れでそうなったか忘れたが、以前に退会していった会員たちの想い出が話題になった。退会した理由にもよるが、まったくその後の消息がつかめない元会員もいる。なかには、すでに物故された方もいる。もちろん、今でも連絡を取り合い、朗読会を聴きに来る会員もいる。通算で14年目ともなると、元会員の数も多くなっているのである。







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館長の朗読日記2076/船橋「はなみずき」と習志野「茜」の朗読レッスン

館長の朗読日記2076 (戦後72年/西暦2017年11月03日 新規)



○船橋朗読サークル「はなみずき」の朗読レッスン(1)

 昨日(11月02日)の15時00分から、船橋朗読サークル「はなみずき」の朗読レッスンをおこなった。今回は、第2期・朗読ステップ6の第12回目、レッスン台本・菊地寛原作「仇討三態(その一)」の第6回目、このレッスン台本の最後の仕上げの通し読みである。会員を3組に分け、組ごとに読み継いでもらった。

 聴いていて驚いたことに、会員の皆さん全員が、確実に朗読のレベルをワンランクアップさせていた。前回のレッスンで、改めて、各文節を立てて表現すること、その場合に2音目(アクセントによっては1音目)をクッキリと上げること、の重要性を指摘し、かなり口やかましく注意したりやり直してもらった。その成果である。

 会員の皆さんが、仲間の朗読表現を互いに聴き合ってどう感じたか、本当のところは分からない。しかし、私の耳には、前回に比べ、今回の朗読は確実にレベルというかその表現の質をワンランクアップさせたように感じられた。しかも、それが1人や2人ではなく、全会員の朗読表現がそうなっていたのである。これは驚きだ。



○船橋朗読サークル「はなみずき」の朗読レッスン(2)

 仕上げの通し読みと、それに対する私からの講評を終えた後、来年4月に開催する朗読発表会のための台本・森沢明夫原作「虹の岬の喫茶店」を配布し、会員の皆さんの朗読分担を発表した。以前は、会員の朗読レベルが高くなかったので朗読分担にも苦労したが、近年は全体的に朗読レベルが上がってきたので今回は楽だった。

 加えて、このサークルは全員が女性であり男性会員がいないから、その点もあまり気を使わずに済む。男性会員がいるサークルは、やはり、男性のセリフが多い部分を男性会員に割り振るなどの気を使う。本来、朗読は老若男女のセリフを1人の朗読者がすべてこなすものだが、読み継ぎ形式の朗読の場合は多少は考えるのである。

 次回から、この朗読発表会用の台本「虹の岬の喫茶店」のレッスンに取りかかるのだが、この作品もかなりむづかしい。まあ、本来、易しい作品などというものはないのだが、比較的淡々とした文体を通して、味わい深い大人のファンタジーの味を出していかなければならない。会員の皆さんの朗読を聴きながら、考えていきたい。



○習志野朗読サークル「茜」の朗読レッスン(1)

 昨日(11月02日)の18時00分から、習志野朗読サークル「茜」の朗読レッスンを行なった。今回は第2期・朗読ステップ4の8回目、新しいレッスン台本・太宰治原作「雪の夜の話」の2回目である。前回は、会員数が少ない上に半数近くの会員が休んだので、寂寥感の漂うレッスンだったが、今回は全員が出席していた。

 会員の皆さんは少し前に集まって、来年6月に予定している朗読発表会をどうするかを相談したようである。大まかにいえば、1つの作品を読み継ぎ形式で上演するか、1人1作品形式で上演するか、の選択である。結論は、1人1作品形式で上演したいということであった。加えて、会員数が少ない点をどうするかの相談をした。

 その中で、数少ない古参会員の1人で、これまでサークル運営を引っ張ってきてくれた会員が、今年末に退会を希望していることが分かった。仕方のない事情ではあるが、この古参会員の退会はサークルにとって大きな痛手である。そのためにも、会員を増やすことが喫緊の課題となった。今後、具体策を講ずることに決まった。



○習志野朗読サークル「茜」の朗読レッスン(2)

 今回の朗読レッスンでは、この「雪の夜の話」のセリフをどのように朗読するか、についての私の見解を説明した。この「雪の夜の話」の地の文は、総て「しゅん子」という十代の女学生の語りである。従って、地の文はすべて「しゅん子」のセリフと見なすこともできる。すると、地の文に挿入されたセリフの表現が問題となる。

 地の文を「しゅん子」のセリフとみなすなら、地の文に挿入された他の登場人物のセリフは「しゅん子」のセリフ中のセリフとして朗読すべきであろうか。斎藤隆介原作「花咲き山」の山姥の独り語りの地の文に挿入された「そよ」と「あや」のセリフのように。しかし、この「雪の夜の話」は「花咲き山」と事情が違っている。

 この事情が違っている所以について、私の見解を説明した。くわしい内容は、ここでは省略するが、そのポイントは、この「雪の夜の話」の地の文の語り手である「しゅん子」が、実は太宰治の分身だという点にある。太宰治の分身である以上、語っている相手はこの作品の読者ということになる。やはり、太宰治の作品は面白い。







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館長の朗読日記2075/『朗読の上達法』を書いている(その7)

館長の朗読日記2075  (戦後72年11月01日 新規)



○『朗読の上達法』を書いている(その7/1)

 今年もとうとう11月になった。涼しいどころか、寒ささえ感じる季節になった。まだ『朗読の上達法』の第1部第2章の初稿を書いている。この第2章には難渋している。論理の組み立てがなかなか納得のいくようにならない。仕方がないから、三浦つとむ著『日本語はどういう言語か』(講談社学術文庫)を読み返したりした。

 この『日本語はどういう言語か』の第二部「日本語はどういう言語か」を再読しながら、第2章をしばらく放置して、第3章の構想を練ったりしていた。そして、数日前から、久しぶりに第2章の執筆を再開した。書きかけの第2章の原稿を読み直したり書き直したりしているうちに、新たな論理の組み立てが浮かび上がってきた。

 ようやく、第2章の執筆と論理の組み立ての歯車が噛み合ってきたことを実感した。折しも論考の構想と原稿執筆に適した季節になった。ひとつ一気呵成に第2章を書き上げるべく頑張ることにしよう。併行して、三浦つとむの主著『認識と言語の理論』(勁草書房)も再読しようと思っている。これは、必要不可欠な作業である。



○『朗読の上達法』を書いている(その7/2)

 今日から11月に入ったということは、第10回「小さな朗読館〜感動をつくる朗読をめざして〜」の開催日が1ヶ月以内に迫ったことを意味する。先月10月25日(水)には、ゲスト出演者のリハーサルも実施し、司会進行者との顔合わせも行なった。段取りの調整や顔合わせだけのつもりが、ついレッスンになってしまった。

 ゲスト出演者のことを言ってはおれない。私自身も「岡本かの子作品シリーズ」の第3弾「みちのく」を朗読することになっているから、その自宅練習をしなければならない。従来は、朗読時間が45分くらいの作品を上演していた。今回の「みちのく」は朗読時間が30数分である。要する体力がかなり違うことを実感している。

 第10回「小さな朗読館〜感動をつくる朗読をめざして〜」を開催するための実務作業もある。昨日は、会場となる船橋市民創造館(きららホール)のスタッフ打合せがあった。ついでに、本番当日の弁当を注文してきた。私が朗読指導している朗読サークルのレッスンや朗読発表会のための準備作業も、断続的に行なっている。








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館長の朗読日記2074/八千代「新・みちの会」の朗読レッスン

館長の朗読日記2074  (戦後72年10月29日 新規)



○八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスン(1)

 昨日(10月28日)の13時30分から、八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスンをおこなった。今回は、第3期・朗読ステップ3の第2回目、最初のレッスン台本・芥川龍之介原作「毛利先生」の第2回目である。今回は、改めて朗読ステップ3が地の文の朗読レッスンを中心とした段階である旨の説明をした。

 また、その地の文を「語りかける語り口」で朗読することを目指した段階であり、その場合は、各文節を立てながら滑らかにつなげていくことを基本とする旨も説明した。その上で、会員1人1人に順々に「毛利先生」を朗読してもらっては、その朗読に対して各文節を立てる表現の出来不出来を中心に、ダメ出しをしていった。

 もちろん各文節をただ立てただけでは不十分である。各文節によってその音声言語の表現主体が表現しているイメージ(や心情)すなわち「内容的な意味」を、朗読者自身がイメージし、それを自分の音声言語で再表現していく。これが各文節を立てる表現の本質である。従って、それが出来ているか否かを判定するわけである。



○八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスン(2)

 三浦つとむ著『日本語はどういう言語か』、特にその冒頭における絵画表現の解説を紹介した。即ち「絵画や写真は客体的表現と主体的表現という対立した二つの表現のきりはなすことのできない統一体として考えるべきものであり、主体的表現の中にはさらに位置の表現と見かたや感情などの表現とが区別される」の箇所である。

 絵画や写真でさえそうだから、さらに複雑かつ高度な表現が出来る文学作品においてはさらにこの点の分析が重要である。特に、朗読においては、朗読者が表現主体として自分の音声言語で作品世界を再表現していくのだから、文学作品の主体的表現におけ「位置の表現と見かたや感情などの表現」を解析しなければ朗読にならない。

 今回の台本「毛利先生」の実際の文章を実例として、さらに具体的に解説した。ところが、会員たちの反応があまりはっきりしなかった。そこで、私の解説が分かったか否か、面白いか否かを訊ねてみた。会員の回答は、よく理解できるし、こういう解説は初めてだったので新鮮で面白かった、というものであった。本当だろうか?






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館長の朗読日記2073/千葉「わかば」の朗読レッスン

館長の朗読日記2073  (戦後72年10月27日 新規)



○千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスン(1)

 昨日(10月26日)の13時30分から千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスンを行なった。今回は第2期・朗読ステップ6の第15回、来年2月に開催する朗読発表会に向けた台本・澤口たまみ原作「水仙月の三日」の第4回目のレッスンである。この台本は前半と後半を交互にレッスンするから、今回は後半の番である。

 前回からレッスンに参加した新規入会者は別として、従来からの1期生はもとより2期生もそれぞれ着実に上達してきた。特に、先日の第25回千葉市視覚障害者福祉大会のアトラクションとしてやった朗読会を聴いて、その感を強くした。その着実な上達の結果、今回のむずかしい台本もある程度の仕上がりとなってきている。

 しかし、朗読する際に、文節の1つ1つを立てながら滑らかにつなげていき、かつ1つ1つの文節にこめられたイメージ(心情)を表現しながら、文の流れもイメージ(心情)として表現していくレベルからすると、もう一頑張りも二頑張りもしなければならない。普段の会話では平気でやっていることが、朗読ではできていない。



○千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスン(2)

 このサークルには1期生が4人しかいないせいか、団結心が強いが、同時にお互いに遠慮がない。ある1期生に指導したところ、すかさず隣の1期生から「それを実行するのは凄くむずかしいからできなくても仕方がない」と助け舟が入る。逆に、反対側の隣の1期生からは「別の箇所もできていなかった」という追い討ちが入った。

 助け舟と追い討ちが同時に入ったわけである。皆で思わず笑い出してしまった。このサークルの会員は、皆、真面目である。そういう掛け合いも、別にふざけているわけではない。お互いに真剣かつ真面目にやっているから、なお可笑しいのである。下手な漫才そこのけの、絶妙な掛け合いになっていた。これがあるから、面白い。

 レッスン後に、来年2月の朗読発表会用チラシの原案が何種類か披露された。それらの原案を比較しながら皆で意見を出し合って最終案を決定する。これには私は口を出さない。今回で、どうやら最終案が決まったようである。この調子なら、次回のレッスン時にチラシが出来上がってくるようだ。私の必要枚数は110枚である。



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館長の朗読日記2072/第25回千葉市視覚障害者福祉大会の朗読会(アトラクション)に参加した

館長の朗読日記2072  (戦後72年10月21日 新規)



○第25回千葉市視覚障害者福祉大会の朗読会(アトラクション)に参加した(1)

 過日、千葉朗読サークル「わかば」の代表のところに、第25回千葉市視覚障害者福祉大会のアトラクションとして、朗読会を上演して欲しいという依頼があった。千葉朗読サークル「わかば」は従来から、視覚障害者の福祉施設にボランティアとして色々な支援活動をしてきている。朗読でお役に立てるなら願ったり叶ったりである。

 ここ1ヶ月あまり、サークルの会員は自主・自立的に色々と準備をしてきたのだが、本日(10月20日)がその本番だったのである。今回の朗読会について、私はほとんど口出しをしなかった。朗読会のプログラム(作品と出演者など)は、すべて会員の皆さんが自主・自立的に企画していた。当日の私はただの付添いであった。

 第25回千葉市視覚障害者福祉大会の主催は、特定非営利活動法人/千葉市視覚障害者協会。開催日時は10月20日(金)10時00分〜14時00分。会場は千葉市ハーモニープラザ多目的ホール。大会の構成は、第1部が大会式典、第2部が講演、昼食・休憩を挟み13時00分〜14時00分に朗読会「耳で楽しむ文学散歩」。



○第25回千葉市視覚障害者福祉大会の朗読会(アトラクション)に参加した(2)

 朗読会の名称を「耳で楽しむ文学散歩」と名づけたのは誰だか知らないが、なかなか素晴らしいネーミングである。プログラムは、1つめの作品が筒井康隆原作「つばくろ会からまいりました」を1人の会員が1人1作品形式で朗読する。2つめは布施明原作「この手のひらほどの倖せ」を6人の会員が読み継ぎ形式で朗読した。

 司会も出演者とは別の会員がおこなったから、最初のアトラクションの紹介の他はすべて千葉朗読サークル「わかば」が取り仕切ったわけである。サークルの会員は、出演者は出演者として堂々と朗読し、司会者は司会者として堂々と司会していた。私は、途中でスピーカーがハレーションを起こしたとき、ウロウロしただけだった。

 終演後は、サークルの皆さんに誘われて、近くの外食レストランで楽しく「お茶」した。サークルの皆さんは、無事に大役を済ませたので気持ち良さそうであった。これが一つの機縁となって、今後もこのような朗読会の依頼が来たら嬉しいと思う。近年、私の指導している各朗読サークルに色々な朗読依頼が来るようになっている。







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