05館長の朗読日記 89
館長の朗読日記 89 (戦後63年1月06日新規)
○「では彼女は一体何を重んじ、何を表現しているのか。一つ一つのフレーズとその情感だ」(森雅章)について
森雅章のこの記述は誤解を招きやすい。これでは、あたかも音楽それ自体にそなわっているもの(=「フレーズとその情感」など)を、太田由希奈選手はただ忠実にフィギュアスケートでもって表現しているように受け取れるではないか。
芸術的表現という側面から見ると、朗読もフィギュアスケートも基本は同じだと思う。太田由希奈選手のように芸術的な表現をする人ならば、①まず自分が踊りたい音楽を選択するところから始まるはずである。次に、②その音楽を聴き込んで、音楽それ自体にそなわっているもの(=「フレーズとその情感」など)を認識し、その音楽に対する自分なりのイメージ(認識イメージ)を主体的に想像・創造していく。さらに、③その主体的に想像・創造した音楽イメージ(認識イメージ)を、フィギュアスケートでどのように表現したらよいかを想像・創造的にイメージしていく。このイメージを先の認識イメージと区別するために表現イメージと私は名づけている。最後に、④その表現イメージを実際にフィギュアスケートとして氷上で表現していく。
森雅章の記述は、②と④を直結させ、肝心な③が抜け落ちているように受け取れる。いや、全体として、もっとも肝心な太田由希奈選手自身が主体的に想像・創造するイメージ(認識イメージと表現イメージ)のことが抜け落ちているように受け取れるのである。
フィギュアスケートの場合には、振付師やコーチが存在するから、太田由希奈選手のフィギュアスケートがどの程度、太田由希奈選手自身の想像・創造によるものかは分からない。しかし、私はかなりの部分が太田由希奈選手自身のものではないかと推測している。そうでなければテレビのインタビューにおける「スケートは私と切っても切り離せない。私を表現する手段」という太田由希奈選手の発言はありえない、と私は考える。
○「日本の伝統的な舞曲だから彼女も心地好さを感じているようだ」(アメリカの解説者のコメント)について
このアメリカの解説者のコメントに対して、森雅章は「現代の日本人にとってはこうした曲のほうが西洋音楽よりも遥かに馴染みが薄く、従って演じ難いことを多分知らないのだろう」と否定的なコメントを附している。この点も、本当のところは太田由希奈選手自身に聞いてみないと分からない。しかし、私は太田由希奈選手の表現力、特に、あの美しい腕から手先にかけての所作は、日本舞踊の伝統的な所作の美しさが脈々と息づいているのではないかと推測している。これは、太田由希奈選手が京都出身であることから、私が勝手に連想したことだが・・・・・・。もし、そうならば、アメリカの解説者のこの平凡なコメントも、別な意味で的を射ていることになる。
○「その身体的表現は個人的な感情や体験の反映ではない。役柄やストーリーによって、あるいは音楽の要請によって自然に形作られるものだ」(森雅章)について
フィギュアスケートにおける身体的表現は、たしかに「個人的な感情や体験の反映」だけではない。しかし、だからといって「個人的な感情や体験の反映」がないわけではなく、大いにそれらが反映されているものでもある。そうでなければ、一昨年の全日本フィギュアスケート選手権大会において太田由希奈選手が演技した「スワン・レイク」のすばらしさは理解できない。
また、たしかに「役柄やストーリーによって、あるいは音楽の要請によって自然に形作られる」部分もあることはある。しかし、けっして「役柄やストーリーによって、あるいは音楽の要請によって自然に形作られる」ものだけからなるものでもない。特に、実際の表現をするために不可欠な表現イメージは「自然に形作られる」こともあるだろうが、より多くは表現者による主体的な想像・創造力によって意識的に形作られるものである。この主体的な想像・創造力は、その表現者の人格や人生その他の総てをかけて、つまりその表現者の<人間力>の総てをかけて醸成されるものでもある。
私は、太田由希奈選手はそういうことを十分理解しているきわめて理知的な表現者だと見ている。そうでなければテレビのインタビューにおける「Skating is my Life.」という太田由希奈選手の発言はありえない、と私は見ている。
○太田由希奈選手は世界的にも稀有な理知的で創造的で主体的な表現者の一人
私は、太田由希奈選手については、そのフィギュアスケートの映像やインタビューに対する断片的な回答を通してしか知ることが出来ていない。したがって、あまり断定的なことは言えないが、おそらく、太田由希奈選手は、世界的にみても稀有な、理知的で創造的で主体的な表現者の一人ではないかと思っている。
太田由希奈選手は、昨年の全日本フィギュアスケート選手権大会のときに、演技後のテレビ・インタビューに答えて「やっぱり長い目で見たら、オリンピックっていう目標も持って良いと思うし、でも、それより先に、自分の技術を元に戻すというか、それ以上の事をできる様になって、また試合でタイトルとか取りたいと思います」と発言している。その言や良し。是非、完全復活し、さらにそれ以上に上達し、オリンピックに出場して金メダルを目指して欲しいと思う。
しかし、私は、より長期的には、フィギュアスケートにおける現行の表現水準そのものを芸術的に(質的にも美的にも)大きく飛躍させるという、歴史的な目標も持って欲しい、と願っている。太田由希奈選手にはそういうことができる可能性があると思うから。
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