05館長の朗読日記 104
館長の朗読日記 104 (戦後63年1月31日新規)
○「小さな朗読館・山桜」(2月3日)に向けての朗読練習
昨日(1月30日水曜日)は、外出の予定がなかったので、ほぼ終日、集中的に「小さな朗読館・山桜」(2月3日)に向けての朗読練習を行なった。
集中的に朗読練習するといっても、今度の文学作品(台本)は、藤沢周平原作『荒れ野』の朗読時間が40分、宮沢賢治原作『紫紺染について』の朗読時間が20分である。両方で60分かかるのだから、何回もくり返す時間がない。また、朗読表現というものは、意外に体力を要するので、長時間ぶっつづけにやれるものではない。また、文学作品(台本)を朗読的に仕上るためには、やたらと声を出して読めばよい、というものでもない。
私の場合は、10分くらいのパートに分け、自分で朗読表現しては、その録音を聴き、修正・改善すべき点を一つ一つチェックし、何故うまく読めないのか、どうすれば良く読めるのかを考え、再度、自分で朗読表現してみる、というプロセスをくり返すのである。
10分くらいのパートであっても、これを一回やるとかなり疲れてしまう。二回も続けると、もうヘトヘトである。体力だけでなく、精神力や知的集中力までもが落ちてしまう。こうなったら、無理をして続けてもあまり効果はない。休み休みやることになる。全体で60分のものを、このようにしてやっていくのだから、なかなか全体を一気に練習するというわけにはいかない。どうしても、1日に10分くらいのパートを1つ、という感じで取り組んでいくことになる。
それでも、昨日は、終日家にいたので、10分くらいのパート2つに取り組んだ。具体的に言うと、藤沢周平原作『荒れ野』の後半部分である。
藤沢周平原作『荒れ野』は、藤沢周平の作品の中でも異色であり、私の従来の朗読レパートリーの中でも異色である。したがって、久しぶりに、一から台本を仕上ていく、という気分で練習をしているのだが、これがなかなかむずかしい。
今回、改めてつくづく感じたのは、アクセントも、発声も、日常会話風の語り口も、心情の直接表現と意味の間接表現を統一的に表現する語り口も、すべては、その文学作品(台本)の読み込みが深まり、作品世界の全体がイメージでき、言語表現の流れがつかめなければうまく実現できない、という事実についてである。
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