05館長の朗読日記 102
館長の朗読日記 102 (戦後63年1月27日新規)
○昨日は朝から晩まで外出しっぱなし
昨日は土曜日で、例のごとく朝から晩まで外出しっぱなしであった。夜、帰宅して、晩飯を食べた後は、とても「館長の朗読日記」を書く気が起こらなかった。一休みしたら、あとは寝るだけだった。そこで、まず、一昨日に行なった八千代朗読サークル「華詞」の今年初の朗読レッスンのことを、今日の「館長の朗読日記」に書くことにする。
○八千代朗読サークル「華詞」の今年初の朗読レッスン
八千代朗読サークル「華詞」の朗読レッスンは、今回から朗読発表会『白旗の少女』のレッスンの第2クルーに入った。今回は第1部の練習である。昨年中は、家庭の事情その他で欠席しがちだった会員も、今年からは事情が好転したらしく、今回は珍しく全員が顔をそろえた。
第2クルーからはBGMを入れた練習になる。これは、出演者にBGMをバックにした朗読に慣れてもらうためだが、他にBGMの試行という目的もある。選んだBGMが、出演者の声質や朗読表現、あるいは、場面のイメージに合うかどうかを試すのである。
今回はマイクを使わなかったので、スピーカーを通して流すBGMの音量に、生の肉声の音量はどうしても負けてしまう。したがって、そういう意味でのバランスはとれていなかったが、BGMそれ自体の選曲は悪くなかった。第1部のBGMは基本的にこれで良いと思う。
会員の皆さんの朗読表現は、なかなか良くなっていた。ほとんどの会員が、まだ「読む」ような語り口を抜けていないが、それでも一所懸命に「語る」ように努めている。それだけでも、単に「読む」だけの朗読に比べれば、聴く者の心に響く表現になっているのである。
次回は、マイクを使った練習をしようと思っている。BGMとのバランスをとるためばかりでなく、出演者にマイクを通した朗読表現に慣れてもらうためにも、早めにマイクを使った練習をした方が良いと判断するからである。
今回は朝日新聞の地域広報紙『あさひふれんど千葉』が取材に来てくれた。次回は、昨年の八千代朗読サークル「みちの会」「ことのは」合同朗読発表会『散るぞ悲しき』を取材してくれた、読売新聞の地域広報紙『八千代よみうり』が取材してくれるという。これらの取材記事を見て、少しでも多くの方々が朗読発表会『白旗の少女』を聴きにきてくださることを祈念している。そして、先の大戦の悲劇を胸に刻み、さらには、ステージ朗読の良さを少しでも味わっていただけたら、こんな嬉しいことはない。
○八千代朗読サークル「みちの会」と「ことのは」の今年初の朗読レッスン
昨日は15時00分~17時30分に「みちの会」のレッスンをやり、18時00分~20時00分に「ことのは」のレッスンをやった。
この両サークルは全く同じ内容のものを、全く同じペースでやっている。今回は有島武郎の『小さき者へ』の最後として、全体の通し読みを行なった。
この両サークルは、私が朗読指導を始めてからだいたい5年数ヶ月が経っている。このくらいになると、だいたいの会員は「語る」ような朗読表現が出来るようになってくる。昨年までは、まだあと一歩という段階に止まっていた何人かの会員が、年末始のレッスン休みの間にかなり練習したのであろうか、今回、突如「語る」ような朗読表現になってきていたので驚いた。
まだ、あと一歩という会員もいるけれど、朗読表現それ自体が悪いわけではない。それなりに良い朗読をしている。それに、「語る」ような朗読表現といっても、それは誰でも普段やっている日常会話的な語り口を朗読の場で行なうにすぎない。赤ん坊がやがて歩き出すように、誰でも必ずできるようになる。別に焦る必要もないのである。ただ、そろそろ意識して努力する必要はある。あと一歩のところまで来ている段階では、自宅で自分の朗読を録音し、それを再生しながら自分の日常会話とどこが違うか自己点検して、一つ一つ具体的に直していく努力はする必要がある。また、あと一歩のところまで来ている段階では、このやり方はきわめて有効だと思う。
実は、そういう私自身が、2月3日の「小さな朗読館・山桜」で読む藤沢周平の『荒れ野』の練習で、この方法を採用している。最初の素読みの段階で、自分の朗読を録音・再生してみて愕然としてしまった。私が普段、レッスンで注意している「読む」ような語り口が随所に見られたからである。そこで、ここのところほとんど連日、読んでは自己チェックし、矯正してはまた読んで自己チェック、ということをくり返している。
「語る」ような語り口にあと一歩のところまで来ている段階というのは、私の素読みの状況と似ていると思われる。その段階になると、自分では「語る」ように読んでいるつもりなのである。したがって、録音して自分の語り口を客観的に自己チェックしないかぎり、その欠点や不足分を矯正できない。逆にいえば、そういう段階にまでレベルアップできてきている、ともいえる。いわば、最後の詰めの段階ともいえる。あとは自己チェックと自己矯正をくり返し行なうしかないのであろう。
それから、4月23日に開催する「講演と朗読の会――宮沢賢治『セロ弾きのゴーシュ』の世界――』のチラシを配った。私は、当然、このことを事前に話してあると思っていたのだが、皆、初めて聞くような顔をしている。改めて確認したところ、この両サークルの会員には、これに関してはまだ何も話していないことが判明した。私は、いささか愕然としてしまった。もっとも古い付き合いであるこの両サークルの会員の皆さんには、真っ先に話してあると思い込んでいたからである。そのとき、一人の会員が、私はブログを見ているから知っていた、と発言してくれた。ひょっとしたら、ブログに書いたことと、皆に話したことを混同していたかな。まさか、ボケが始まったのではないだろうな。まあ、それはともかく、何となく、まだ年末始の休みボケが抜けない今日この頃ではある。
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