05館長の朗読日記 98
館長の朗読日記 98 (戦後63年1月20日新規)
○八千代朗読サークル「こちの会」の今年初の朗読レッスン
昨日の1月19日(土)に八千代朗読サークル「こちの会」の今年初の朗読レッスンを行なった。
昨日は、土曜日にやっているアルバイト仕事が休みだったので、いつもより一時間早めの14時00分からレッスンを始めた。このグループは会員数が多い上に、レッスン時間の前後にも時間的な制約がある。毎回2時間以内でレッスンを必ず終了させなければならない。そのため、いつも時間に追われるような感じがしていた。昨日は、レッスン時間が3時間たっぷりあるし、いろいろ事情が重なって欠席者も多かったので、いつもより大分ゆったりレッスンすることができた。
5月には朗読ステップ2修了記念の「おさらい会」があるので、その具体的な日程や会場に関する打合せも行なった。日程については、欠席者の都合も聞かなければならないが、一応、5月17日(土)ということになった。会場についてはいくつかの候補が提案され、そのうちのいくつかを、別途、調査して決定することになった。
肝心な朗読レッスンの方は、太宰治の『燈籠』の全体練習を行なった。
平均的にみると、滑らかで自然な語り口で読めるようになってきている。ただ、まだまだ語りかける語り口にはなっていない。特に、単語から単語へのつなぎ、文節から文節へのつなぎ、文から文へのつなぎ、文章から文章へのつなぎが不十分である。
つなぎをうまく表現するには、音声言語の意味の流れをキチンと読み取り、理解し、イメージしなければならない。そして、一連の流れ全体をイメージしてから、その上で、一つ一つの単語、文節、文、文章を自分の言葉として表現していかなければならない。これは、非常に高度な表現力を必要とするのだが、実は、日本人なら誰でも日常会話で実行しているものでもある。日常会話では非常に高度な表現力を駆使しているのだが、それを無意識で行なっている。それを朗読では意識して行なわなければならない。そのためには、まず、自分の日常会話がどのように行なわれているかを、意識して理解しなければならない。これがなかなかむずかしい。日常会話はあまりになじみすぎているために、無意識の根が深いのである。日ごろから、よほど自己認識の訓練、自己客観化の修練を積んでいないと、なかなか出来ないのである。
このグループには演劇経験者で、朗読表現も飛び抜けてうまい会員が一人いる。その意味で、このグループの会員たちは恵まれている。この会員の朗読表現を、他の会員たちはいつも間近に聴いて「盗む」ことができるのだから。また、このグループにも、朗読ステップ2の途中から特例で入会を認めた会員が一人いる。この会員は人形劇の経験者ということなので、あまり苦労することなく朗読ステップ2に溶け込むことができると思う。なにせ、朗読ステップ2はセリフ表現の練習を主目的にしているのだから。
○千葉朗読サークル「風」の今年初の朗読レッスン
昨日の夜間に千葉朗読サークル「風」の今年初の朗読レッスンを行なった。
このグループは秋に朗読発表会を開催するので、今からその準備にかかっている。台本候補作として藤原ていの『流れる星は生きている』が提案されていたので、冒頭に私から、この作品を選んだ場合の、大まかな台本化方針を説明した。それを念頭においた上で、2月末までに最終的に台本を決定するように話した。開催日も10月~11月の範囲で第1候補日、第2候補日などを調整し、千葉県文化会館(小ホール)と千葉市生涯学習センター(ホール)が空いているかどうか当たってみることになった。
肝心な朗読レッスンの方は、山本周五郎の『夕靄の中』の全体練習を行なった。
驚いたことに、このグループも、まだ語りかける語り口にはなり切れていない。単語から単語へのつなぎ、文節から文節へのつなぎ、文から文へのつなぎ、文章から文章へのつなぎの表現がまだまだ不足している。このグループは、現在、朗読ステップ4に入っているから、私が指導を始めてから3年以上は経っている。3年以上経っているから、表現力そのものはかなりついている。それでも、まだ朗読の表現力が日常会話の表現力に追いついていない。というよりも、日常会話の表現力をまだ朗読の場で十分発揮し切れていない。それほど、日常会話の無意識の根が深いということなのだろう。日常会話を表現論的な視点で研究すれば、おそらく、いくら研究してもし尽くせぬほどの豊かな内容に満ちているにちがいない。
それはともかくとして、このグループは、まだ語りかける語り口にはなり切れていないが、朗読を聴く耳の方はこえている。仲間の朗読を聴いていると、私が指摘する欠点がよく分かるらしい。ときには、私よりす早く、その欠点を互いに指摘し合ったりしている。そういう時は、私の出る幕が無いほど、的確なコメントをしている。その癖、本人はどうかというと、自分の番になると自分が指摘したと同じ欠点を自分でもくり返している。まあ、耳がこえている分、指摘されれば、その欠点をその場ですぐ修正する力はついてきているけれども。まあ、お互いに欠点を指摘し合っているうちに、朗読者としての実力だけではなく、朗読指導者としての実力もついていくであろう。それも、また、楽しみの一つである。
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