05館長の朗読日記 116
館長の朗読日記 116 (戦後63年2月24日 新規)
昨日は、午後に八千代朗読サークル「みちの会」、夜間に同「ことのは」の朗読レッスンを行なった。風が強く、路上でいくつもの自転車が横倒しになっていた。帰宅したときに、春一番だったということを知ったが、いつの間にかそういう時節になっていたのだ。
○両サークルはいわばパイオニアである
八千代朗読サークル「みちの会」「ことのは」の両サークルは、5年ほど前に私が朗読指導を始めた最初のグループである。5年ほど前に、市報で朗読教室を公募したさいの応募者の有志が、全3回の朗読教室が終わったあと、引き続いて朗読を勉強したいということで朗読サークルを立ち上げた。人数が30人前後と多かったので、昼組みと夜組みに分けて、二つのサークルとして出発した。したがって、元々は同じ勉強仲間なのである。
レッスンも同じ土曜日の昼と夜だから、レッスン内容も、レッスンの進行も、まったく同じである。もちろん、会員は一人一人がスタート時点の朗読レベルが違っていたし、個性も違うし、朗読に対する取り組み方も違う。したがって、会員たち当人の朗読表現はかなり違っているのだが、私の方からの朗読指導という点では全く同じだったといってよい。
朗読指導者としての私自身も、その指導内容は日進月歩であり、徐々にではあるが常に進化している。したがって、同じ朗読ステップであっても、数年前と今とでは微妙に内容が違ってきている。以前には言わなかったことを言ってみたり、言い方を変えてみたり、先の朗読ステップの内容を前倒しで言ってみたり、いろいろと変化している。それが、各朗読サークルの朗読表現に微妙に影響している可能性もある。
しかし、八千代朗読サークル「みちの会」「ことのは」の両サークルについては、その間にそういう違い、変化はほとんどない。しかも、両サークルとも、朗読ステップの進行と言う点では、私の指導している9つサークルの先頭を走っている。いわば、私の朗読指導のパイオニアなのである。
○「語る」ような語り口の朗読をする困難さ
両サークルの指導を通じて、私がもっとも痛感したことは、朗読において「語る」ような語り口を体得することの困難さであった。もちろん、その困難さは予想していたけれど、これほどとは正直言って思わなかった。
私の事前の予想では、朗読ステップ3を修了した段階では「語る」ような語り口が身につくと思っていた。しかし、実際に指導してみると、朗読ステップ5に進んだこの両サークルの会員たちでさえ、まだ十分に体得しているとは言えない。もちろん、個々にはすでに十分に体得している会員もいる。私の目指しているのは、もちろん、全員に体得してもらうことである。
そこで、分かったのだが、この「語る」ような語り口を体得するということは、朗読表現の基本的なポイントをすべて体得するということと同義だった。すなわち、朗読ステップ1~6をすべて修了しなければ、十分に「語る」ような語り口を体得することはできないのである。
八千代朗読サークル「みちの会」「ことのは」は今年の9月で、朗読ステップ5を修了する。朗読ステップ1~6を一巡するまでに、あと1年半しかない。あと1年半で、この両サークルの全員に「語る」ような語り口を体得してもらわなければならない。これは、パイオニアとしてはなかなか難しいが、朗読指導者としては挑戦しがいのある課題でもあるのである。
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