05館長の朗読日記 131
館長の朗読日記 131 (戦後63年3月22日 新規)
○八千代朗読サークル「みちの会」「ことのは」の朗読レッスン
昨日は、午後に「みちの会」のレッスン、夜間に「ことのは」を行なった。両サークルとも現在は朗読ステップ5の段階にあり、山本周五郎原作の『蜜柑畑』を教材用台本としたレッスンをしている。
今回は、個々の細かい読み方の指導ではなく、文学作品における表現の構造あるいは構成といったものを解説し、そういう表現の構造あるいは構成といったものを意識して朗読するように指導した。
朗読ステップ5は、朗読者の立場に立って文学作品の文字言語を理解し、イメージし、感動する過程(=認識の過程)と、その朗読者の認識内容を自身の音声言語によって朗読していく過程(表現の過程)とを、同時併行的に行なっていくような朗読表現を修得する段階である。
文学作品における表現の構造あるいは構成を読み取ることは、この朗読ステップ5の重要な一要素なのである。朗読をやろうというような人は、もともと文学好きである場合が多いから、こういう話しになると、わが意を得たりというように、眼を輝かして聴いてくれる会員も少なくない。
さて、この表現の構造あるいは構成を意識すると、具体的に朗読表現がどのように違ってくるのか、という問題になると、これはは必ずしも一概には言えない。個々の文章の内容あるいは文脈によって、いろいろと異なるからである。まさに、ケース・バイ・ケースといってようであろう。また、その違いは、かなり微妙なところなので、聴き手がその違いに気がつかない場合もあり得る。しかし、それは、料理における隠し味のようなもので、朗読表現そのものを深みや厚みあるいは説得力を増すのである。
○レッスンの中の雑談として
今回のレッスンの中の雑談として、次のような話しがあった。会員の一人が、最近、ある音楽会(コーラス)で司会をやったのだそうである。司会者は歌や歌詞の紹介をするのだが、そのときに朗読のレッスンがとても役に立ったという。そのときの司会者は複数いたのだが、比較して、そのことを確信したそうである。その音楽会(コーラス)には、もう一人別の会員も聴きに行っていたのだが、その会員も聴いていてそのことを痛感したという。
その話しをした会員は、そのとき、私の朗読指導の良さを改めて再確認してくれたそうである。その話しを聴いて、私もとても嬉しかった。
また、この朗読レッスンで身につけた表現力を、いろいろな場で活用ないしは適用していってもらえれば、こんな素晴らしいことはないと思っている。
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