05館長の朗読日記 155
館長の朗読日記 155 (戦後63年5月25日 新規)
○八千代「みちの会」と「ことのは」の朗読レッスン
昨日の土曜日は、いつもの通り、朝から夜まで外出し放しの一日であった。
朗読指導に関しては、15時から「みちの会」の朗読レッスン、18時から「ことのは」の朗読レッスンを行なった。
両サークルとも、5月に相継いで開催された八千代「こちの会」と品川「あやの会」のおさらい会のことが話題になった。まだわずか2年しか朗読をやっていないグループの朗読表現とはとても思えなかった、というのが大方の感想だった。特に、主語部分、述語部分、キー・ワード部分を「高く上に出る」という朗読表現が徹底されていた、という指摘もあった。実際はそれほど徹底されていたわけではなかったのだが、先輩としてはその点が特に印象的だったのであろう。
そこで、今回のレッスンでは、改めて、この「高く上に出る」ことを意識した朗読をしてもらうことにした。
この両サークルは、私が指導を始めた最初のグループである。そして、私も最初の2~3年は、まだ、この「高く上に出る」という朗読指導を十分意識的にはしていなかった。そのため、会員によっては、まだ必ずしも十分に「高く上に出る」朗読が徹底できていないのである。
朗読発表会用の台本『クリスマス・キャロル』を題材にして、この「高く上に出る」ことを改めて意識して指導してみて驚いたのは、1回目の朗読では必ずしも「高く上に出る」ことができなくとも、私がそれを指摘すると、皆、ほぼ即座に修正して「高く上に出る」ことができることであった。さすがに、伊達に5年近くも朗読をやっていたわけではなかった。自分の表現を即座に修正できる「表現力」や「声出しの自己コントロール力」が身についてきているのである。これには正直いって驚きもし、感心もした。
それから、もう一つ感心したことがある。それは、皆、今度の『クリスマス・キャロル』の朗読上演のむずかしさ、厳しさを自覚していることである。
過去2年は、先の大戦の悲劇に関する台本を選び、上演してきた。これらについては、日本人なら誰でも、ある程度は共通したイメージを持っている。したがって、過去に実際に起こった歴史的な悲劇という事実の重さと、聴き手が共通にもっているこのイメージに、朗読表現が大いに助けられて、観客の感動を得ることができた。しかし、今度の『クリスマス・キャロル』は完全なフィクションであり、しかも、舞台は昔のイギリスである。事実の重さに助けられることもなければ、観客の共通のイメージに助けられることも、ほとんど期待できない。作品世界の総てを自分たちの朗読表現でつくり出し、観客の頭と心にそれをありありとイメージしてもらわなければならない。そして、2時間余の長時間、観客を舞台にひきつけ、感動してもらわなければならない。
果たして、本番の9月10日(水)までに、どのくらいの朗読表現に仕上ることができるか。他のサークルの先陣を切って、後輩たちの見守るなかで、どのような舞台をつくり上げることができるか。これを、私は今から楽しみにしているのである。
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