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05館長の朗読日記 163

館長の朗読日記 163  (戦後63年6月15日 新規)

 
○八千代「みちの会」「ことのは」の朗読レッスン
 昨日は、午後3時から八千代「みちの会」の朗読レッスンを、午後6時から八千代「ことのは」の朗読レッスンを行なった。
 この両グループは、私が指導を始めた一番最初の朗読サークルで、その意味では《感動をつくる朗読》のパイオニアである。
 今秋9月に開催する朗読発表会ではディケンズ原作の『クリスマスキャロル』を合同で上演するのだが、先の大戦の悲劇以外のテーマを取り上げるのも、私が朗読指導する朗読サークルの中ではこの両グループが初めてである。『クリスマスキャロル』は完全なフィクションである。それも、金の亡者が一夜にして改心することが主テーマである上、亡霊や精霊が出てくるなど、かなり現実離れした内容のフィクションである。確かに話の内容は面白いのだが、先の大戦の悲劇のような事実の重みがない。すべて、朗読者の朗読表現力で、聴き手の頭と心の中にイメージをつくってもらわなければならない。2時間もの長丁場、果たして観客を舞台に集中させ続けることができるのか、そして、感動してもらえるのか。今の段階では、かなり心配である。パイオニアというのは、どうやらそういうものらしい。
 この両グループは昨秋の朗読発表会に、梯久美子原作の『散るぞ悲しき』をやったのだが、この時期に私は同じような心配をしていた。何せ『散るぞ悲しき』はむずかしかった。内容は感動的で素晴らしいのだが、単語は戦前の戦時用語が多かったし、文体もかなり硬かった。これで2時間もの長丁場、果たして観客を舞台に集中させ続けることができるのか、そして、感動してもらえるのか、とかなり深刻に心配したものである。結果は、かなりの成功で、習志野市から聴きに来てくださった来場者から再演の申し込みを受けたほどだった(結果的には、再演するまではいたらなかったが)。しかし、この上演を聴いた他のサークルは、この『散るぞ悲しき』を自分たちのグループで上演することに尻込みしている。パイオニアというのは、どうやらそういうものらしい。
 また、昨日のレッスンでは、まだ完全には高く(上から)出ていない会員が何人か残っていた。特に、2音目(ないしは1音目)がキチンと高く(上から)出ていなかったので、その部分をかなりしつこくダメ出しした。この2音目(ないしは1音目)を高く(上から)出るという指導を、私が意識的に始めたは2年ほど前からだろうか。したがって、後発のグループには初めからやかましく言っているので、かなりこの指導が浸透している。しかし、昨日の両グループは発足して5年近くになるというのに、まだ全員に徹底されていない。そこで、今さらながら、この部分に関しては、後発のグループと同じダメ出しをしているのである。パイオニアというのは、どうやらそういうものらしい。
 それにしても、この『クリスマスキャロル』のレッスンを重ねながら痛感することは、原作におけるセリフ表現のすばらしさである。さすがディケンズは、シェイクスピア文学の伝統の中に生きた作家だと思う。短くてシンプルなセリフ表現の中に、登場人物の万感の想いを込めるのに巧みなのだ。それを的確に朗読表現するには、かなりの表現力が求められる。いや、表現力の前に、かなり深い読解力が求められる。そして、その深い読解力の前に、かなり深い精神、深い心が求められるのである。

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