05館長の朗読日記 231
館長の朗読日記 231 (戦後63年11月23日 新規)
○八千代「みちの会」「ことのは」の朗読レッスン
昨日の午後は八千代朗読サークル「みちの会」の朗読レッスンを、夜間には八千代朗読サークル「ことのは」の朗読レッスンを行なった。
両サークルとも、今回は朗読ステップ6の4回目、レッスン台本・宮沢賢治原作『セロ弾きのゴーシュ』の4回目である。今回は、全体の朗読練習を行なった。
朗読ステップ6のレッスンでは、毎回、全員の朗読の録音を取り、その場で一人づつそれを再生しながらダメ出しや指導をすることにしている。
今回、その録音を聴いて、改めて皆がそれぞれに上達していることを痛感した。まあ、多分に身びいきということもあるだろうが、従来は「読む語り口」だった会員がかなり「語る語り口」になってきたし、従来は「重苦しい語り口」だった会員がかなり「平明でやわらかな語り口」になってきたし、従来は「間」がとれていなかった会員がかなり「間」が取れてきている。録音で聴くと、そういうことがより鮮明に分かるような気がする。
それから、その場で録音を再生しながらのレッスンをやってみて、自分でも意外だったのは、会員の朗読を聴いて真っ先に私の気になったのが、声の高さと出し方であったことだ。声を張るあまり、あるいは、高く上へ出ようとするあまり、無理に高音を出している場合や、表情をつけようとするあまりちょっと透かしたような気取った声を出している場合、それが真っ先に気になってしまう。
やはり、目の前で朗読している会員の顔や姿を見ながら聴く場合と、録音の再生によって声だけで聴く場合の違いであろうか。これは、私自身、意外であった。やはり、何ごともやってみるものだと思った。
したがって、朗読ステップ6に入ったサークルの会員には、盛んに、朗読するときの自分の声をコントロールするように注意している。これは、表現力がある程度身についてきた朗読ステップ6の段階だから言えることだという気もしている。もっとも、一旦、耳につき出すと、それ以前の段階のサークル会員の声も気になってくるから、その場合にもつい注意してしまうこともあるが。
○八千代「みちの会」「ことのは」は来年も合同朗読発表会
八千代朗読サークル「みちの会」と同「ことのは」は、来年の9月に朗読ステップ1~6をすべて修了し、その修了記念の朗読発表会を開催する。
従来は、私が朗読指導するすべての朗読サークルのパイオニアとして、120分(2時間)におよぶ大作を全員で読み継ぐ形式の朗読発表会を率先してやってもらってきた。さらに、そういう大作の朗読発表会を、同じ9月に同じ八千代市で別々に上演するのは、いろいろな面で大変なので、合同で一つの朗読発表会を共催してもらうことにしてきた。
しかし、来年の朗読発表会は、朗読ステップ1~6をすべて修了するという一つの大きな節目でもあるので、サークルごとに単独で朗読発表会を主催してもらい、朗読発表会の形式も一人一作品を朗読する一般的なものにしてもらうつもりであった。会員の皆さんがそれを望んでいると思っていたからである。
ところが、両サークルの会員の大部分が、朗読ステップ6修了後も朗読レッスンを継続することを希望し、しかも、そのさいに両サークルが一つに合体することにも合意してくれる事態となった。
そういう事態になってみると、来年の朗読発表会は、新たな合体サークルの新たな船出を記念する意味合いももってくる。そうであるならば、なおさら、従来の集大成として、合同で大作を読み継ぐ形式の朗読発表会を共催したい、という意見が、会員の中から強く出されたのである。
これは、私にとっては意外でもあったが、大変に嬉しい展開でもあった。
しかし、そうなると、原作選び、台本づくりを急がなければならない。また、朗読発表会の日取りや会場予約その他の実務的な内容についても、両グループ間で早急に調整しなければならない。今回は、レッスンの合間に、そういうことも話し合った。
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