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05館長の朗読日記 228

館長の朗読日記 228  (戦後63年11月16日 新規)

○八千代「こちの会」の朗読レッスン
 昨日の午後は、八千代朗読サークル「こちの会」の朗読レッスンを行なった。
 今回は、芥川龍之介原作『トロッコ』の仕上げの通し読みである。
 このグループのレッスンは、前段は私が遠方のアルバイト仕事から駆けつける時間、後段は会場の使用時間の下限に挟まれているため、是非とも2時間以内に終わらせなければならない。
 そこで、今回の通し読みは4人一組で『トロッコ』を読み継いでもらうことにした。一人の朗読時間は4分前後と短くなるが、私からのコメント時間を確保するためにはやむを得ない。また、4分も読んでもらえば、その会員が現在抱えている問題点や課題点は明確に浮き彫りになる。
 また、今回は、会員の通し読みを全部録音し、その場で一人一人の朗読を再生しながらコメントしていった。
 録音を再生しながら改めて再確認したのだが、会員の皆さんは着実に上達している。
 中には前回に比べて飛躍的に上達した会員もいた。何か朗読のコツをつかめたのかと思って聞いてみたらと、親しい会員同士で練習し合った成果だそうである。
 朗読のコツをつかんだ自覚はないようだが、会員同士で練習し合ったことは、それはそれでとても良いことだと思った。こういう自発的な勉強会はドンドンやって欲しいものである。また、他の会員にも呼びかけて、時間の都合がつくかぎり誰でも参加できるようにして、互いに切磋琢磨するなり、相互啓発するようにしてもらいたい。
 しかし、なかなか従来の「読むような語り口」のレベル現から抜け出せない会員もいた。本人に聞いてみると、自分の朗読の録音を聴いても、他人の朗読を聴いても、どうも「読むような語り口」と「語るような語り口」の区別がつかないということであった。
 普通はそういう区別がつかないわけがないので、不思議ではある。まあ、聴く耳自体も、鍛えなければ育たない、という側面はある。語り口の違いや良し悪しが、自分の耳で聴いて分からないと、自分の朗読を改良することもできない。そういうことを聴き分ける耳がなくて朗読することは、色の区別がつかない目で絵を描くようなものである。そういう状態で、良い絵を描く困難は誰でも想像できる。したがって、朗読する者は、自分の耳を鍛えること(朗読を聴く耳のレベルを上げるように努力すること)も大切だ、ということになる。
 

○千葉「風」の朗読レッスン
 昨日の夜間は、千葉朗読サークル「風」の朗読レッスンを行なった。
 今回から、このグループは朗読ステップ5に突入する。朗読ステップ5は、朗読者の立場に立った朗読表現を修練する段階である。
 これについての簡単な説明は、拙著『朗読の理論――感動をつくる朗読をめざして――』にも記しておいたから、それを読んでもらうとありがたい。また、現在執筆中の次の本には、この点をくわしく記するつもりである。つまり、それくらい、この朗読ステップ5の段階(朗読者の立場に立った朗読表現を修練する段階)は、内容的に重要だということになる。
 最初のレッスン台本は有島武郎原作『小さき者へ』である。今回は、その前半部分について、私の解説と会員の朗読練習(と私からの簡単なコメント)を行なった。
 今回は朗読発表会『流れる星は生きている』の上演後初めてのレッスンであるので、朗読レッスンに入る前に、会員の皆さんにご来場いただいた知人友人の方々の感想・意見を紹介してもらった。その詳細は省略するが、おおむね好評のようであった。私からも、他の朗読サークルの会員からの感想・意見を紹介しておいた。
 また、新しい役員(代表、副代表)から、来年の朗読発表会の日程の相談があった。結果は、来年の11月1日(日)に開催することになった。日曜日の開催は初めてのことである。
 来年は、一般の文学作品から台本を選ぶのだが、先ず会員の皆さんに台本候補作を3本くらい絞ってもらう。その中から、私が適否を判断して最終決定することにしている。千葉朗読サークル「風」の会員は個性派が多いから、台本候補作を3本に絞ることは大変だと予想している。このグループの会員は皆とても仲が良いのだが、自分の意見をはっきりと主張するタイプが多いから、さぞかし大もめにもめると思うからである。まあ、もめること自体を楽しんでもらえば良いと思う。

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