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05館長の朗読日記 226

館長の朗読日記 226   (戦後63年11月11日 新規)

○手造りの朗読CDのこと
 八千代朗読サークル「みちの会」と「ことのは」の合同朗読発表会『クリスマス・キャロル』における朗読は、会場の八千代市勝田台文化センター・ホールの録音設備を使って、マイク直結でMDに録音した。
 そのMD録音を音源として、八千代朗読サークル「ことのは」の会員のご主人がCD化してくださった。そして、出演者全員と私に、手造りのCDとして配ってくださったのである。
 ところで、その手造りCDがとても良く出来ていた。朗読発表会の上演時間が2時間(120分)と長時間だったので、1枚のCDでは間に合わない。そこで2枚組1セットという構成なのだが、1枚目のCDには1枚ごとに出演者一人一人の写真が装丁されている。その写真が写っている出演者に、その分のCDが配られたのである。つまり、そのCDはその人だけの特製盤ということになる。2枚目のCDには、出演者全員が写っている記念写真が装丁されている。これは、朗読発表会そのものの記念盤ということになる。写真だけでなく、すべての装丁がとてもきれいにキチンとなされていた。もちろん、一番大切な録音状態も、大変に良好であった。
 手造りでも、こんなに立派な朗読CDが制作できるのか、と私はびっくりした。聞くところによると、この会員のご主人は、パソコンを活用する分野のお仕事をなさっているということである。だから、その方面のプロとみなすべきなのかもしれない。CDの出来栄えが素人離れしているのは、そのためであろう。しかし、ご自宅にある装置でこのCDを制作なさったそうだから、まあ手造りと考えても大過ないはずである。

○館長の朗読のCD化について
 朗読は表現する端から空中に消えてしまう。これを私は「表現の一過性」と呼んでいる。
 この「表現の一過性」のために、通常、朗読はライブで聴いた観客の頭と心中に記憶として残るのみである。
 それはそれで潔くて良いのかもしれないが、やはり、何かもの足りない(もの寂しい)想いがするのは否定できない。それに、ライブのみのステージ朗読では、どうしても聴いていただく観客の数に限りがある。もっと多くの方にも、もっと遠隔の方にも、自分の朗読を聴いていただきたい、という想いもある。
 そこで、朗読表現を録音して保存しておき、ご希望があればそれを頒布したい、という考えが心に湧いて来る。その場合、現時点でもっともオーソドックスな方法は、朗読をCD化することであろう。
 そこで私も、以前から、自分の朗読のCD化を考えないではなかった。
 私にもっと知名度や肩書やツテなどがあれば別だが、今のところ、私の朗読のCD化とその販売を引き受けてくれそうなCD出版会社は見つかりそうもない。当面は、本でいえば自費出版に当たる《自費CD》を出すしか方法はなさそうである。
 まあ、太宰治や宮沢賢治でさえも、初めはなかなか出版を引き受けてくれる出版社が見つからず、自分の文学作品を自費出版するしかなかったようだから、別に《自費CD》の発行それ自体を卑下する必要はない。それどころか、従来のいろいろなケースを見ていると、出版社と同様に、CD出版会社も、朗読作品の本当の良し悪しを見抜く力が、そうそうあるとも思えない。したがって、自分の朗読を《自費CD》することは、私にとって逆に本望なのかもしれないのである。
 しかし、いざ実際に《自費CD》を出すとなると、技術的にむずかしいし、雑務的にもいろいろと面倒なことも予想できる。なかなか具体的に動く気になれなかったのである。
 ところが、今回のように、手造りでもこれだけ立派なCDが制作できるとなると、かなり話しは違ってくる。もし、先の会員のご主人を初めいろいろな方のご協力をいただくことができれば、かなり本格的な《自費CD》の制作&発行が手造り的に可能となる。
 最近、少し本気になって、手造りによる《自費CD》の発行プランを立ててみようか、などと考えている。

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