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05館長の朗読日記 230

館長の朗読日記 230  (戦後63年11月21日 新規)

○船橋「はなみずき」の朗読レッスン
 昨日の午後には、船橋朗読サークル「はなみずき」の朗読レッスンを行なった。
 今回から、来年4月に開催する朗読発表会用の台本・菅野静子原作『戦火と死の島に生きる――太平洋戦・サイパン島全滅の記録――』の練習に入った。
 この台本は3部構成になっているので、1回のレッスンにつき1部づつ練習していく。通常のレッスン時間(約2時間)で練習するのは6回だから、3部構成の台本を2巡(2クルー)することができる。その後は、立ち稽古(レッスン会場での通し稽古)を1回、舞台リハーサル(本番の会場・舞台での通し稽古)を1回して、いよいよ本番の朗読発表会となる。
 通常のレッスン時間(約2時間)での練習は6回あるが、各部の練習はわずか2回しかない。つまり、第1部の通常レッスンは今回を終えれば、あと1回しかないのである。そういう意味で、大変に貴重な時間帯であるので、私の指導も、通常のレッスンに比べて丁寧かつ厳しくなる。また、時間も30分くらいは延長することになる。
 会員の皆さんも、いよいよ朗読発表会に向けたレッスンということで、かなり気合が入っている様子であった。事前の自宅練習もかなりやってきたようである。
 しかし、まだまだ大戦下における緊迫感や切実感が出ていない。何よりも、表現者・菅野静子である自分が、戦時下のサイパン島の現場に視点を置いて、そのときの心情を込めて、朗読表現する、ということがほとんど出来ていない。これが出来なければ、当事者が自分事(わがこと)として、観客に語りかけ、訴えかける語り口にならないのである。
 今回を含めた6回の通常レッスンで、この語り口にどれくらい近づくことができるか。これが、朗読発表会を成功させるか否かを決定づけることになる。会員の皆さんには、是非、頑張って欲しいところである。
 台本の中に挿入される歌「九段の母」は、自分たちの斉唱をバック音楽(BGM)とすることが決まった。今後は、レッスンの合間に、この歌の練習もしなければならない。

○習志野「茜」の朗読レッスン
 昨日の夜間には、習志野朗読サークル「茜」の朗読レッスンを行なった。
 今回は、芥川龍之介原作の『蜜柑』の2回目のレッスン、この台本の後半の解説と朗読練習である。
 しかし、前回のレッスンが終了する間際に、2人の会員からなかなか重要な質問が出ていたので、まずそれに対して回答することから始めた。
 その重要な質問とは、一つが鼻濁音に関すること、一つは『蜜柑』に登場する主人公と小娘の客車内における相互の位置関係に関すること、であった。
 二つとも、大切なことなので、私の回答も思わず力が入ってしまい、これだけで何と30分近くがたってしまった。
 次に、何人かの会員に順々に読み継いでもらう形で、『蜜柑』の後半部分の素読みを行なった。それから、私の作品解説に入っていった。
 朗読ステップ1における、この『蜜柑』の後半部分に関する作品解説は久しぶり(約2年ぶり)なので、これにも思わず力が入ってしまった。また、このグループの会員の皆さんは、途中でけっこう活発に質問してくるので、こちらも思わず知らず乗ってしまうのである。
 一応の解説が終了して時計を見たら、何と残りの時間が30分弱しかない。30分弱の時間では、中途半端な朗読練習しかできないし、解説終了後も会員からの質問(や意見)が次々と出てくる。そこで、今回は朗読練習は無しということにした。
 今回は朗読練習は無し、と宣告したら、会場に何となくホッとした雰囲気が漂った。そして、何人かの会員から「こういうお話しの方が楽しい」といった趣旨の発言があった。私はすかさず「ここは文学評論をするための会ではなく、朗読レッスンをする会なんですよ、間違えないでください」という趣旨の冗談を返したが、実は、私自身もこういう話しをしたり聞いたりするのが嫌いではない。
 また、私が提唱する「感動をつくる朗読」は、的確な作品解釈を絶対不可欠な基本と位置づけている。したがって、今回のように、十分に時間をかけて作品解説を行なうことは、いわば私の朗読の本道なのである。やたら声を出して読むだけが、朗読レッスンではないのである。
 まあ、そうは言っても、文学解釈だけでは朗読表現にならない。次回は一つじっくりと朗読練習をすることにしよう。

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