05館長の朗読日記 229
館長の朗読日記 229 (戦後63年11月19日 新規)
○品川「あやの会」の朗読レッスン
昨日の午前は、品川朗読サークル「あやの会」の朗読レッスンを行なった。
今回は、芥川龍之介原作『トロッコ』の仕上げの通し読みである。
今回の通し読みは、時間の関係で4人1組で『トロッコ』を読み継いでもらった。1人が『トロッコ』の四分の一づつ、約4分ほどを朗読する勘定になる。朗読ステップ3ともなると、皆かなり上達しているので、このくらい朗読してもらうと、その会員の現時点における長所短所、あるいは、当面の課題が十分に分かってくる。
今回は、全員の朗読を録音し、それをその場で一人づつ再生しながら、指導していった。自分の朗読表現を録音で聴いた直後に、その長所短所をコメントするのだから、皆とてもよく理解でき、また、納得できたようである。
朗読ステップ6の段階では、毎回この方法をレッスンをするのだが、それ以外の朗読ステップではレッスン台本の仕上げの通し読みのときだけにしようと考えている。なぜなら、まだ十分に上達していない段階では、短所が多すぎて、なまじ録音を聴きながら私のコメントを聞くと混乱してしまう恐れがある。各レッスン台本の仕上げの通し読みのときにするくらいが、ちょうど良いのである。
今回の『トロッコ』の通し読みを聴いていて、改めて次のことを感じた。つまり、この段階(朗読ステップ3)では、会員の朗読表現レベルを大きく3つに区分することができる、ということである。
1つは、すでに「読むような語り口」はかなり上手にできるけれども、まだ「語るような語り口」にはなっていないレベル。
1つは、すでに「語るような語り口」にはなっているが、まだ「表現主体の心情を込めた語り口」にはなっていないレベル。
1つは、すでに「表現主体の心情を込めた語り口」になっているレベル。
朗読ステップ1~6の最終目標は「朗読者自身の心情を込めた自然な語り口」ができるレベルに到達すること、と言ってもよいであろう。これは「朗読者自身の言葉で表現する朗読」のレベルと言い換えてもよい。朗読ステップ3の段階で、このレベルに到達できる会員はなかなか見当たらない。
○三鷹「さつきの会」の朗読レッスン
昨日の夜間は、三鷹朗読サークル「さつきの会」の朗読レッスンを行なった。
今回は、山本周五郎原作『蜜柑畑』の4回目、この台本の全体練習を行なった。このグループは、今回の全体練習と次回の仕上げの通し読みの2回とも、全員の朗読を録音し、一人一人の録音を再生しながら、コメントすることにした。
このグループは、来年6月の朗読発表会で太宰治原作『ヴィヨンの妻』を上演することに決定した。私はこの作品は名品だと思うが、これを朗読発表会で読み継ぐのは大変にむずかしいと考えている。挑戦というか、一種の冒険だと思っている。
そういう挑戦というか冒険をする覚悟を、会員の皆さんに十分もってもらうために、まず、自分たちの現在の朗読表現レベルを十分に自覚してもらう必要がある。来年の冒頭から、その『ヴィヨンの妻』の朗読練習に入るのだが、それに先立つ今年の最後の2回のレッスン時に、自分たちの朗読表現を自分の耳で客観的に聴いておいてもらった方が良い、と判断したのである。
昨夜のレッスン時の感じでは、会員の皆さんも、太宰治原作『ヴィヨンの妻』のむずかしさを、ある程度は理解しているようで、今まで以上に練習しなければならないこともそれなりに自覚しているようであった。
そういうことを十分自覚してくれてさえいれば、何もそれほど心配することも、恐れることもない。そういう自覚のもとに、一所懸命練習すれば、必ず、観客に感動していただける朗読発表会になる、と私は確信している。実は、私は、この太宰治原作『ヴィヨンの妻』の朗読発表会を、今から楽しみにしているのである。
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