05館長の朗読日記 238
館長の朗読日記 238 (戦後63年12月07日 新規)
○八千代「こちの会」の朗読レッスン
昨日の午後は、八千代朗読サークル「こちの会」の朗読レッスンを行なった。
今回は、樋口一葉の『わかれ道』を教材にした私の講義を行なった。
この講義は、内容が少しむずかしいので、いかに分かりやすく説明したらよいか、いつも苦労する。
しかも、その内容の大部分は拙著『朗読の理論――感動をつくる朗読をめざして――』に書き込んである。話しの内容がすぐ理解できるような人は、すでに拙著の該当箇所を読んで理解しているだろう、という思いもある。本と同じことを話すというのも変な気がして、その意味でも話しづらい。
一昨年の春ごろ、生業の会社勤務をリタイアする前後に、集中的に4つのサークルを立ち上げた。その4つのサークルが、今秋、相継いで朗読ステップ3の中盤に入り、相継いでこの『わかれ道』を教材にした講義を行なった。この「こちの会」の講義がその4回目、つまり最後の講義なのである。
さすがに、4回も同じことを講義すると、段々と要領や勘所も分かってくる。今回の講義は、われながらまあまあの出来であった。
そのせいか、講義後の聴き手の反応から察するに、今回は聴き手も最後まで話しの内容についてこれたようである。また、いくら本に書いてあっても、読むだけでは理解がむずかしいので、同じ内容を改めて口頭で聴くこともかなり有益であったらしいことも分かった。
それから、今回、来年5月に予定している朗読発表会『ひめゆりの少女』の台本を配り、読み継ぎの朗読分担を発表した。挿入歌の「別れの曲」をどうするか相談したところ、会員の一人がピアノを弾けることが分かったので、その方のピアノを伴奏に会員全員で合唱し、それをバック音楽(BGM)として使用することになった。
年末始の冬休みに、各自、自分の分担部分をよく自習してくるように繰り返して注意した。こういうところは、何だか小学校の先生になったような気分である。
○千葉「風」の朗読レッスン
昨日の夜間は、千葉朗読サークル「風」の朗読レッスンを行なった。
今回、朗読ステップ5の2回目、有島武郎原作『小さき者へ』の2回目である。
前回は『小さき者へ』の前半部分の素読みと私からの簡単な解説を行なったので、今回は後半部分の素読みと私からの簡単な解説を行なった。素読みにもかかわらず、皆がけっこう心情のこもった上手な語り口で朗読していたので、内心ちょっと感心した。
そこで、次回の来年年明けの最初のレッスンのときに、ちょっとした実験を行なうことにした。これは初めての試みなので、それについてちょっと記しておこう。
一般的に、朗読は「淡々と抑えた」語り口が良い、とされている。確かに、この「淡々と抑えた」語り口の朗読は魅力がある。しかし、この「淡々と抑えた」語り口と、「平板で機械的な(心情のこもらない)」語り口とを混同してはならない。また、同じことだが、「淡々と抑えた」語り口をめざす朗読者は、なぜ、どういうわけで、「淡々と抑えた」語り口に魅力があるのか、このことをよくよく理解しておかなければならない。
千葉朗読サークル「風」の中にも、この「淡々と抑えた」語り口に魅力を感じている会員がいる。そこで、次回のレッスンのときに、実験的に、「思い切り心情を込めて盛り上げた」語り口の朗読と、「淡々と抑えた」語り口の朗読と、この2種類の朗読を会員全員に一人一人読み分けてもらうことにした。
つまり、次回は『小さき者へ』を会員全員で読み継いで通し読みしてもらうのだが、1回目の通し読みのときには「思い切り心情を込めて盛り上げた」語り口で朗読してもらい、2回目の通し読みのときには「淡々と抑えた」語り口で朗読してもらうのである。1回目と2回目との朗読分担は変えないから、会員は一人一人同じ箇所を2通りの語り口で読み分けることになる。
このように同じところを2通りの語り口で読み分けてもらうことによって、いわゆる「淡々と抑えた」語り口がどういうものなのか、どのようにむずかしいか、を体感してもらおう、という実験なのである。
これが、千葉朗読サークル「風」の会員に対する年末始の冬休みの宿題である。これで、来年初の朗読レッスンがとても楽しみになってきた。
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