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06館長の朗読指導メモ 37

館長の朗読指導メモ 37   (戦後64年9月23日)

人間は自分の普段の声出しがなかなか自覚できない
                      東 百道



 朗読において、なんとか「高く(上に)出る」ような語り口が出来るようになった人でも、その何人かは無理に高い声を出して「高く(上に)出る」ように朗読するものだから、ときどき声が裏返ることがある。
 朗読していて、声が裏返ることは、いささか聴き苦しい。それに、無理に高い声を出すこと自体、聴き手には苦し気に聴こえてしまい、安心して朗読表現を鑑賞することができない。
 普段の日常会話のときの音域の範囲内で声出しするようにアドバイスするのだが、改めてそう言われると、自分が普段の日常会話でどのような声出しをしているか即座には分からないらしい。
 まあ、一口に日常会話といってもいろいろのケースがあるが、朗読の場合は、何かを相手に訴えかけるときの日常会話、あるいは、何かを相手に説得するときの日常会話がもっともふさわしい。なぜなら、朗読の台本である文学作品は、作家が読者に自分の作品世界を訴えたり、説得したりするために執筆したものであるから、そのように朗読表現するのがもっともふさわしいからである。
 そのように何かを聴き手に訴えかけたり、説得したりする自分自身の日常会話を、客観的に聴くにはどうしたらよいか。私は、自分が親しい知人友人に電話するときの自分の会話を録音しておいて、それを後で聴くことを勧めている。そのときの録音と、自分が朗読をするときの録音とを、聴き比べてみることを勧めている。
 人間(特に女性)は自分の顔かたちは鏡を見てよく自覚しているくせに、自分の声に関しては驚くほど無関心である。録音機は、いわば自分の声を客観的に聴くための「鏡」だと言える。
 声の場合には、なまじ自分の耳で聴こえるために、よく知っているつもりになってしまっている。しかし、自分の耳で聴いたいわば主観的といってよい自分の声と、他人が客観的に聴いた声とでは、かなりの乖離があるのである。その乖離をキチンと自覚することから、本当の朗読表現は始まるのである。

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06館長の朗読指導メモ」カテゴリの記事

コメント

以前からこの説に関心を抱いています。朗読の技術というよりも、音声言語の原理として文法的な根拠があります。このようなよみ方は放送などのナレーションの影響を受けているのです。わたしのブログでも、この原理の解説を書こうと思っています。書きましたらまたお知らせいたします。

投稿: 渡辺知明 | 2009年9月23日 (水) 21時14分

渡辺知明様

 コメントをありがとうございました。
 このブログを開設した直後にお電話をいただいて以来ですから、ほぼ2年ぶりですね。月日のたつのは速いものです。
 コメントの中にある「この説」と「このようなよみ方」が何を指すのか正確には分かりませんが、渡辺さんの「この原理」の「解説」をとても楽しみにしております。ぜひお知らせください。
 以前から、この日本にも、私以外に朗読の理論を本格的に探求している方が一人いる、と渡辺さんの営為を頼もしく思っていました。
 言語論や認識論、あるいは、朗読の理論を探求する方向と重点などにいささか違いはあるようですが、お互いに頑張って参りましょう。そして、日本の朗読文化にいくらかでも寄与することができれば嬉しい限りです。
 昨年3月に『朗読の理論』(木鶏社)を出版しました。また来年には『朗読の上達法』(仮題)を書き上げるつもりです。渡辺さんにも読んでいただけたら幸いです。

投稿: 「日本朗読館」館長 | 2009年9月24日 (木) 08時37分

失礼しました。コメントは「指導メモ37」につけたものです。指示語の内容も、それでご理解ください。前著は読ませていただきました。次著にも期待しております。

投稿: 渡辺知明 | 2009年9月24日 (木) 10時28分

 下記の記事を書きましたのでお知らせいたします。(1)(2)に分れています。

「朗読と文のイントネーションの原理」
(1)http://khyogen.exblog.jp/12433227/
(2)http://khyogen.exblog.jp/12440466/

投稿: 渡辺知明 | 2009年9月25日 (金) 14時23分

渡辺知明様

 昨日と本日にも2回にわたってコメントをいただき、まことにありがとうごいました。
 2回めのコメントでお知らせいただいた「朗読と文のイントネーションの原理」を一読させていただいて、渡辺さんがどういうところを問題にされていたのかが良く分かりました。
 こういうところでは精しく書けませんが、いかにも渡辺さんらしいアプローチと分析の仕方だな、と大変おもしろく読ませていただきました。
 私も、私のやり方でこの問題をさらに展開していきたいと考えています。
 

投稿: 「日本朗読館」館長 | 2009年9月25日 (金) 19時58分

渡辺知明 様

 先日、渡辺さんの運営するブログに、私のこのメモに関する文章を記していただきました。
 その文章に対して、応答すべきか否かしばらくのあいだ考えていました。こういう文字言語による応答は、得てしてキツい表現になってしまうため、誤解を生じたり、気まずい雰囲気になりがちだからです。
 しかし、渡辺さんは、文章による応答に慣れているようにお見受けします。また、せっかく私のメモに関して文章を書いていただいたのに、何の応答をしないのは、却ってエチケットに欠けるかも知れないとも考えました。
 そこで、このブログの「館長の『朗読の理論』」欄に、今後、数回にわたって、今回の渡辺さんの文章に対する私からの応答の文章を書いていくことにします。
 できれば、真剣かつ真面目に朗読の理論を探究している人間同士の相互啓発という趣旨で、今回の私からの応答を受け止めていただきたいと考えています。
 実は、昨日、渡辺さんのブログの文章にコメントしてみたのですが、うまく投稿できたのかどうか分からないものですから、念のため同じ趣旨のこのコメントを、ここに投稿した次第です。

投稿: 「日本朗読館」館長 | 2009年10月 8日 (木) 09時56分

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