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05館長の朗読日記 420

館長の朗読日記 420   (戦後65年01月29日 新規)

千葉「わかば」と八千代「花ことば」の朗読レッスン

○千葉「わかば」の立ち稽古

 昨日(1月28日)の午前9時30分から午後4時ちょっと過ぎまで、ほぼ1日がかりで千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスンを行なった。今回は、2月に開催する朗読発表会『あの日夕焼け』(鈴木政子原作)のレッスンの7回目、全体を通しでやる立ち稽古である。
 今回の台本は2部構成であるが、第1部、第2部ともに、全員の出番が2回づつ巡ってくる。会員の皆さんの希望を入れて、全員が1巡するごとに私からダメ出しとコメントをすることにした。それが一通り済んで、時間があったら、最後に全体を通しでやることにした。
 結果は、若干、忙しかったが、全体の通し読みまでやることができた。
 今回の立ち稽古では、会員の朗読表現が格段に良くなっていた。冬休みの間に、かなり自宅練習をしてきたとみえる。自宅練習を積んでくると、途中で行なう私のダメ出しやコメントの効果も、目に見えて上がってくる。ダメ出しやコメントをした後で行なった全体の通し読みのときには、会員の皆さんはかなり疲れていたようだったが、その前に比べて確実に良くなっていた。
 立ち稽古の会場は、千城台公民館のホールで、50人~100人は入れそうな広さであった。簡単な舞台(高さ数10センチ)もあるので、その上に椅子とマイクスタンドを2組み置くことができた。そういう、やや本格的な会場の雰囲気と、バック音楽(BGM)を入れた影響だと思うが、全員がかなり気持の入った朗読をしていた。なかには、朗読しながら泣いている会員もいたようである。
 立ち稽古の段階でここまで気持を込められれば、舞台リハーサル、本番と行くにしたがって、より感動的な朗読表現になっていくと思う。
 今回の立ち稽古で、初めてバック音楽(BGM)を試してみた。ピアノ曲を何曲か試してみたが、この台本の内容や、会員の朗読表現に合わないことが分かった。弦楽器や管楽器で演奏した曲の方が格段にマッチするのである。
 そこで、昼食休みの時間に急きょ見直して、2回目の全体の通し読みのときには、ピアノ曲の部分を弦楽器や管楽器の演奏曲に差し替えて、試してみた。やはり、弦楽器や管楽器の演奏曲に差し替えた方が良かったし、朗読する方もより気持が入っていくようだった。朗読者には、朗読中にバック音楽(BGM)を聴かないように指導しているのだが、やはり、曲想の醸し出す雰囲気は感じ取ってしまうようである。
 同時に、台本や朗読表現にマッチしたバック音楽(BGM)であれば、同じ曲を何回つかっても、それほど気にならないことも確かめることができた。バック音楽(BGM)がマッチしてさえいれば、聴き手は朗読表現の方に集中するから、どんな曲がかかっているかということ自体には関心が向いていかない。別の言い方をすれば、その程度には聴き手の気持を引きつけることのできる朗読表現になってきているわけである。

○八千代「花ことば」の朗読レッスン

 昨日(1月28日)の午後6時から、八千代朗読サークル「花ことば」の朗読レッスンを行なった。今回は、朗読発表会用の台本・山本周五郎原作「糸車」のレッスンを行なった。
 このグループは、まだバック音楽(BGM)を入れる段階ではないのだが、千葉朗読サークル「わかば」の立ち稽古で使った音響装置が車に積んであるので、ついでにバック音楽(BGM)を入れてみた。入れたといっても、マイクや復調装置をセットするのは面倒だから、ただラジカセだけを使った極めて簡略な形でしかなかったが。
 今回レッスンした「糸車」のバック音楽(BGM)には、やはりピアノ曲を当てていたのだが、やはり、この台本と朗読表現にはアン・マッチであった。朗読がピアノの音に負けてしまうのである。まあ、一つには、朗読表現が今ひとつ弱かったせいもあるが。
 今回の朗読レッスンの朗読表現では、聴いていて、朗読者の聴き手に伝えたい、訴えたいという気持・心情があまり迫って来なかった。これでは、どんなバック音楽(BGM)にも負けてしまうし、かといってバック音楽(BGM)を使わなかったら、著しく迫力の欠けた朗読になってしまう。
 その原因はいろいろあるだろうが、もっとも大切なポイントは、朗読者が、自分で「糸車」の作品世界をシミジミと感じてしまい、そのシミジミと感じた心情そのものを、直接そのまま朗読表現してしまっているところにある。
 シミジミした作品世界の作品を朗読するとき、朗読者が直接シミジミした感じで朗読表現してしまってはいけない。これは、落語家が自分の語るべき落語の内容を面白がって、笑ってしまってはいけないのと同じである。
 この「糸車」の作品世界の中では、「セリフ」を表現する登場人物はもちろんのこと、「地の文」を表現する原作者でさえ、決してシミジミなんかしていない。いわば必死に一所懸命に生きているのである。その必死さ、一所懸命さの総体としての作品世界が、読み手あるいは聴き手にシミジミした印象を与えるわけである。したがって、朗読者は、先ずは登場人物や原作者になりかわって、必死に一所懸命に朗読表現しなければならない。
 落語の世界でも、与太郎や熊さん・八さんやご隠居さんは、それなりに必死に一所懸命に生きている。落語を聴いてゲラゲラ笑っている観客のような心情で生きているのではない。それにもかかわらず、観客が感じているのと同じ心情で、与太郎や熊さん・八さんやご隠居さんの「セリフ」を表現したら、まるっきり噺(はなし)にならないのである。
 まあ、それはともかく、この「糸車」についてのバック音楽(BGM)は全面的にやり直すことにした。

○朗読漫画『花もて語れ』の購読を大いに勧めている

 昨日の千葉朗読サークル「わかば」と八千代朗読サークル「花ことば」の朗読レッスンにおいて、私は回覧用の『月刊スピリッツ』を1冊用意して、会員の皆さんに勧奨・宣伝している。
 そのためには、昨年9月末以来の経緯を説明しなければならないので時間がかかる。しかし、漫画としても、朗読にかかわる内容にしても、とても上等なものになるように思われるから、私も、心置きなく,心底から会員の皆さんにこの朗読漫画を勧めることができる。これが嬉しい。
 この朗読漫画が本格的に連載されていくと、朗読の理論や表現にかかわる部分には、私の『朗読の理論』の内容がそれなりに取り入れられていくと思うので、ある意味では『朗読の理論』をわかりやすく解説したものになっていく可能性がある。その意味でも、私は、私が指導している朗読サークルの会員に、この朗読漫画を勧めているのである。
 会員の中には、常にこの私のブログを読んでいて、この朗読漫画の存在、そして、この朗読漫画と私との関係を、すでに知っている方々もいるはずである。そういう会員の皆さん、また、会員以外でも、この私のブログを見てくださっている朗読に関心の深く高い皆さん。この朗読漫画『花もて語れ』が掲載されている『月刊スピリッツ』は、月1回の発行で、1冊550円である。したがって、これを欠かさず購読しても、毎月550円の出費で済む。本屋で立ち読みなどをすることなく、ちゃんとお金を出して買って、しっかりと楽しく読んで、大切に保存してください。もっとも、この朗読漫画はいずれ単行本になるだろうから、保存するのは単行本だけでいいかも知れません。
 

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