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05館長の朗読日記 415

館長の朗読日記 415          (戦後65年01月22日 新規)

船橋「はなみずき」と習志野「茜」の朗読レッスン

             
○船橋「はなみずき」の朗読レッスン

 昨日(1月21日)の午後3時から、船橋朗読サークル「はなみずき」の朗読レッスンを行なった。今回は、朗読ステップ4の15回目。今回は、今年3月に開催する朗読発表会『流れる星は生きている』のレッスンの3回目である。
 この『流れる星は生きている』の台本は3部構成であり、1回のレッスンで一部づつ練習していくから、今回は第3部をやる。今回で、第1部~第3部の練習が1クール終了する。
 会員の皆さんは、この冬休み(年末始のレッスン休み)の間に、かなり自宅練習を積んだとみえて、朗読表現にかなり切迫感や必死さあるいは恐怖感が少しづつ出てきた。この台本を朗読するには、この切迫感や必死さ不可欠なのである。
 この台本は、このグループが昨年やった『戦火と死の島に生きる』のように、空襲されて爆弾が頭上から落ちてきたり、敵弾にやられて手足が吹っ飛んだり、血が飛び散ったり、というような凄まじい場面はまったくない。しかし、逃げなければ殺される、という切迫感。あるいは、3人の子供を連れて、逃げるように朝鮮の山野を歩いて引き上げる、ときの必死さあるいは恐怖感。これらは、かなり極限的である。
 それだけに、この台本をそれにふさわしい切迫感や必死さあるいは恐怖感を込めて朗読表現すれば、かなりの迫力と感動を聴き手に感じてもらえる。しかし、肝心のそういう切迫感や必死さあるいは恐怖感が希薄だと、親子でピクニックに来たような雰囲気になってしまう。
 次回からは、第1部~第3部の2回目のクールに入っていく。このクールでは、バック音楽を入れて練習する。バック音楽が入ると、テンションが上がって、切迫感や必死さあるいは恐怖感が表現しやるい、などと言う声が会員の中からチラホラ出ていた。本当は、そんなことでは困るのだが、背に腹は変えられないのである。

○習志野「茜」の朗読レッスン

 昨日(1月21日)の午後6時30分から、習志野朗読サークル「茜」の朗読レッスンを行なった。今回は、朗読ステップ2の9回目。レッスン台本・シェークスピア原作『ロミオとジュリエット』の9回目。この台本も、いよいよ今回が仕上げの通し読みである。
 いざ、順々に会員の皆さんが読み継いでいくのを聴いていたら、驚いたことに、一人一人が前回より格段に上達していた。語りかける語り口の自然さ、心情表現の的確さ、セリフとセリフのつなげ方(当然《間》の取り方もこれに含まれる)、芝居心の有り様、それらのどれを昨年末のレベルよりはるかに進歩していた。
 その上達ぶりは、聴いている仲間の他の会員たちにも良く分かるから、後に朗読する会員たちは徐々に緊張していくし、また、気合も入ってくる。会場の雰囲気が、徐々にピンと張りつめたような空気になっていった。
 昨年の最後のレッスンのときに、あらかじめ朗読する分担を決めておいたので、そこのところだけを集中して練習できた、ということもあろう。また、冬休み(年末始のレッスン休み)が一ヶ月半くらいあったから、その間、じっくりと自宅練習ができた、ということもあろう。とにかく、全員がかなりの上達ぶりだったのには、正直いって驚いた。
 この上達を一時的なものに終わらせないためにも、また、上達したといってもまだまだ不十分な点が多いのでもっともっと上達してもらうためにも、次のレッスン台本・太宰治原作「葉桜と魔笛」の練習に大いに励んでもらいたいと思っている。この作品も、朗読的に面白い、とても良い台本である。

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