« 05館長の朗読日記 423 | トップページ | 05館長の朗読日記 425 »

05館長の朗読日記 424

館長の朗読日記 424  (戦後65年02月06日 新規)

八千代「こちの会」と千葉「風」の朗読レッスン

○八千代「こちの会」の朗読レッスン

 昨日(2月06日)の午後2時00分から、八千代朗読サークル「こちの会」の朗読レッスンを行なった。今回のレッスンは、朗読ステップ4の14回目、朗読発表会向けの山本真理子原作『広島の姉妹』の2回目である。
 今回はめずらしく欠席者が4人と多かった。急用が入った会員もいるが、ほとんどは風邪をひいたとのことであった。世間では、けっこう風邪がはやっているらしい。私のようなリタイア生活者は、そういう世間の様子にどうしても疎くなる。
 朗読発表会向けの台本の場合、読み継いでいく形式をとっているので、欠席者が多いとアチコチに穴が開いてしまう。レッスンとしては、ちょっと困るのである。
 しかし、転んでもただ起きないのが私の信条である。朗読発表会もイベントの一種であるから、本番当日に何が起こるか分からない。出演者に緊急事態が発生して、ドタキャンになることも十分に考えられる。今回の欠席者もそのようにとらえ、この際、対応策の実習を行なうことにした。
 以前から、本番にドタキャンが出た場合には、欠けた出演者の前後を読む人が、半分づつカヴァーして朗読するように言ってある。したがって、自分の分担部分だけでなく、自分の前後の人の分担部分も練習しておくように、とも言ってある。そこで、今日はその実践をします、と言ったら、欠席者の前後の会員たちは皆「えっ!」というような顔をしていた。
 ところが、実際にやってみると、その会員たちは皆、かなり良くカヴァーしていた。この分なら、本番でドタキャンがあったとしても何とかなるのではないかと、少し安心した。
 この台本は2部構成であるので、今回はその第2部を一人づつ朗読してもらっては、その都度、私からダメ出しやコメントをしていった。前回は、第1部をやったのだが、読み手の視点がバラバラだったので、全体的な統一感がなかった。今回は、その点がかなり改善されていた。さすがに4年近く朗読レッスンをやってきただけのことはある。
 しかし、まだまだ緊迫感や切迫感や恐怖感が足りない。この点をもっともっと出すようにダメ出しをした。
 それから、次のようなコメントをした。それは、他のグループにも言っていることだが、「地の文」の表現主体について、頭は大人(戦後の知識をもった人間)、心は子供(戦中の場面に生きている人間)として表現するように、ということである。分かるかなあ?
 レッスンの合間に、朗読漫画『花もて語れ』のこと、『月刊スピリッツ』のこと、それと私のかかわりについて説明し、購読することを勧奨した。

○千葉「風」の朗読レッスン

 次に、昨日(2月06日)の午後5時30分から、千葉朗読サークル「風」の朗読レッスンを行なった。今回は、朗読ステップ6の5回目、最初のレッスン台本・宮澤賢治原作『セロ弾きのゴーシュ』の5回目でもある。前回と今次回は、全体の朗読練習に当てることになっている。
 朗読ステップ6は、聴き手の立場から自分の朗読を見直す段階であるから、前回と同じく、一人ひとりの朗読を録音し、その場で再生して全員で聴くことにした。そして、その一人ひとりの朗読に対して、自己批評、仲間の批評、私からのコメントを行なっていった。
 今回は、千葉朗読サークル「風」の方も欠席者が多かった。もっとも、このグループはもともと欠席者が常にチラホラいるので、さほど違和感はなかった。まあ、相変わらずだな、といったところであろうか。
 千葉朗読サークル「風」の会員は、皆さん、おしゃべりが大好き人間である。朗読ステップ6の最初のうちは、それでもやや控えめであったが、前回当たりから普段の地が出てきた。今回は、ほぼ完全に普段どおりであった。いや、ひょっとしたら、これでも普段よりは控えめだったのかもしれないが。
 お互いに、かなり手厳しい内容のことを、ニコニコしながら指摘していた。私のダメ出しよりも、はるかに手厳しい内容であった。もちろん、お互いに世慣れた方々だから、適当に褒めることも忘れない。そこら辺の呼吸はさすがなものである。
 このグループにも、レッスンの合間に、朗読漫画『花もて語れ』のこと、『月刊スピリッツ』のこと、それと私のかかわりについて説明し、購読することを勧奨した。このグループの会員の皆さんは、活発というか、想像力がたくましいというか、朗読漫画のことに関してもえらくノリがよかった。
 また、このグループには「東百道の朗読館」実行委員会の委員がいるので、6月の演物についてもレッスンの合間にいろいろと意見が出された。実行委員会としてのリクエストが段々絞られてきた。その絞られた2~3の作品の中から、私が最終的に決定する段取りである。

○なかなか良い質問や意見

 昨日の八千代と千葉でのレッスンの最中に、なかなか良い質問や意見が出たので紹介しておく。
 質問の一つは、心情を込めて朗読表現すると、声が段々高くなってしまい、止めようがなくなってしまう。思い切り心情を込めて朗読しながらも、声を適度な範囲に収める方法はないか、というものであった。
 これは、本気になって心情表現しようとした朗読者なら、必ず一度は突き当たる問題である。これに対する私の回答は、いずれ「館長の朗読指導メモ」欄か、あるいは、単行本『朗読の上達法』に書くつもりである。
 質問の二つは、文学作品から想像・創造するイメージは人によってさまざま違っている。したがって、その作品を朗読する人と、それを聴く人たち(複数)も、それぞれ違っているはずである。朗読者と聴き手のイメージが違っている場合には、違和感が生じて十分には感動してもらえないことになる。この場合は、どうしたら良いのか、というものであった。
 これは、かなり高度な質問であり、課題である。これに対する私の回答も、いずれ「館長の朗読指導メモ」欄か、あるいは、単行本『朗読の上達法』に書くつもりである。
 意見の一つは、ある会員の朗読表現に対するものだったが、その会員は最近ようやく高く(上に)出る語り口が出来るようになってきた段階なのである。したがって、イメージを想像・創造しながら朗読するとか、作品内容に合わせた心情表現をするとかの余裕が、まだ十分にはできていない。いわば、私が言っている高く(上に)出る語り口を忠実に実行しているだけの段階なわけである。その会員の朗読表現に対して、別の会員が次のような意見を述べていた。
「あなたの朗読は、必ずしもイメージ表現や心情表現が十分に出きているとは聴こえませんでした。しかし、先生のおっしゃったことを忠実に守った語り口で朗読していた。そのためか、あなたの朗読表現が、私の胸の中にドンドン入って来るように感じました」
 これは、まさに我が意を得たりのコメントであった。

|

« 05館長の朗読日記 423 | トップページ | 05館長の朗読日記 425 »

05館長の朗読日記(戦後65年/西暦2010年)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 05館長の朗読日記 423 | トップページ | 05館長の朗読日記 425 »