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05館長の朗読日記 439

館長の朗読日記 439  (戦後65年03月12日 新規)
             

千葉「わかば」が朗読ステップ5に入った

○千葉「わかば」の朗読レッスン

 昨日(3月11日)の午後1時30分から、千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスンを行なった。今回から、このグループは朗読ステップ5に入る。今回は、その1回目。最初のレッスン台本は、有島武郎原作「小さき者へ」である。今回は、この台本の1回目のレッスンということになる。
 朗読レッスンは、この台本を前後の2つに分け、今回は前半の素読みと私の解説、次回は後半の素読みと私の解説を行なう予定にしている。会員の皆さんの朗読練習はその後のレッスンでジックリと行なうわけである。

○「読むような朗読」と「語るような朗読」の関係について

 今回のレッスンでは、期せずして、いろいろなことが重なって、貴重かつ面白い体験をすることができた。
 まず第1に、私がうっかりして、事前にこの台本を渡すことができなかった。通常は、朗読発表会が終わったその日に打ち上げ(講評会兼懇親会)を行ない、その席上で次の朗読ステップの最初のレッスン台本を配布するのである。そのときに、私が風邪をひいていたこともあって、うっかり台本を用意するのを失念してしまったのである。したがって、今回は、当日の席上でレッスン台本「小さき者へ」を配布したため、会員の皆さんは、文字通りの初読みということになった。
 第2に、最近、どのサークルでも「読むような朗読」と「語るような朗読」の関係について、次のような話をすることにしている。
 すなわち「読むような朗読」と「語るような朗読」は、表現という観点から考えると、表現のタイプが違うだけだから、どちらが上手で、どちらが下手という話しでは必ずしもないし、どちらが感動的でどちらが感動的でないという問題でも必ずしもない。いわば、対等の関係にある。しかし、表現力という観点から考えると、対等ではない。つまり「読むような朗読」の表現力しかない朗読者は、絶対に「語るような朗読」はできない。しかし「語るような朗読」の表現力がある朗読者は、「読むような朗読」は簡単にできるし、その場合の「読むような朗読」はすばらしく上手に感動的になる可能性が高い。
 今回も、このグループに、レッスンの冒頭に、同じ話しをしたのである。
 第3に、今回は、レッスン台本「小さき者へ」の前半を、1人1ページくらいずつ朗読してもらいながら、その部分の解説をしていったのだが、会員はまったくの初読みであるから、自然と「読むような朗読」の表現になってしまっていた。ところが、その「読むような朗読」がなかなか聴かせるのである。このグループの会員は、まだまだのレベルではあるが、一応「語るような朗読」の表現力が身につきつつある。そういう表現力をベースに「読むような朗読」をすると、初読みであってもなかなか聴かせる朗読になっていたのである。つまり、図らずも、第2のところで私が話したことが、その直後に実証できたわけである。会員の皆さんは、自分の朗読は分からないながらも、仲間の朗読表現を聴いて、私と同じことを感じたようであった。

○朗読発表会『あの日夕焼け』の感想

 この日は、このグループの朗読発表会『あの日夕焼け』が終わった直後のレッスン日であったから、会員の一人一人に聴いて下さった知人友人の皆さんから聴いた感想を披露してもらった。
 大まかに言うと、今回初めて聴きに来てくれた知人友人と、昨年に引き続いて聴きに来てくれた知人友人とでは、受け止め方がかなり違ったようである。
 初めての知人友人は、ただもう感動感動で、なかには男のくせに泣いてしまい、泣き顔を見られるのが恥しいので、挨拶もせずに人目を避けて逃げるように帰ってしまった、という例もあったようである。
 2度目の知人友人は、かなり内容的な批評や感想を言ってくれたようである。
 私には、両方共、我が意を得たり、というところである。

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