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05館長の朗読日記 447

館長の朗読日記 447   (戦後65年03月31日 新規)

品川「あやの会」と三鷹「さつきの会」の朗読レッスン

 
 
 昨日(3月30日)は第5火曜日だから、本来は品川「あやの会」も三鷹「さつきの会」も朗読レッスンがない日である。しかし、去る2月16日(火)のレッスンを、私が風邪で休んだため、その分を昨日にスライドしたわけである。        

○品川「あやの会」の朗読レッスン

 先ず、午前9時30分から、品川朗読サークル「あやの会」の朗読レッスンを行なった。
 今回は、朗読ステップ4の17回目、朗読発表会向けの台本・藤原てい原作『流れる星は生きている』のレッスンの5回目である。この台本は2部構成であり、今回は第3クールの前半の第1部を練習した。
 会員の皆さんは、皆さんとても熱心であり、自宅での一人練習や自主勉強会も着々と行なっている。そのためか、会員の皆さんはかなり「語りかけるような語り口」になりつつある。つまり、高く(上に)出る声出しなどができるようになってきつつある。
 しかし、まだまだ完全に自分の言葉で語っているというところまではいっていない。つまり、作品世界の表現主体の視点、心情、イメージを自分のものとして、それを自分の言葉で表現するところまでにはいっていない。
 その反面、ある程度は「語りかけるような語り口」になってきているので、語り手の視点や心情が透けて聴こえるようになってきている。それだけに、表現主体の視点、心情、イメージを完全に自分のものとしていなかったり、完全に自分の言葉で表現していなかったりすると、とても不自然に聴こえてきてしまうのである。朗読は、上達すればするほど、むずかしく厳しくなる、という側面があるのも事実なのである。
 緊急入院して五月の朗読発表会への出演が危ぶまれていた会員は、体調自体は順調に回復しているものの、やはり出演は無理のようである。そこで、その会員の分を他の会員全部でカヴァーする、というやり方をとることにした。今回、初めてその練習をやってみたのだが、会員の皆さんは自分の新たな追加部分を堂々と朗読していた。みんな上手になったんだな、と改めて感心した。
 このグループは、昨日の午後も、同じ会場で、自分たちだけの自主練習会を行なった模様である。

○三鷹「さつきの会」の朗読レッスン

 次に、午後6時30分から、三鷹朗読サークル「さつきの会」の朗読レッスンを行なった。今回は、最終の朗読ステップ6の15回目、朗読発表会向けの台本・三浦哲郎原作『忍ぶ川』の3回目である。この台本は、2部構成であるから、今回は第2クール目に入り、その第1部(前半部分)を練習することになる。
 このグループも、3人の新人の会員を含めて、ある程度は「語りかけるような語り口」になりつつある。それだけに、品川のグループと同じことが言える。つまり「語りかけるような語り口」になってきているその分だけ、語り手の視点や心情が透けて聴こえるようになってきている。それだけに、表現主体の視点、心情、イメージを完全に自分のものとしていなかったり、完全に自分の言葉で表現していなかったりすると、とても不自然に聴こえてきてしまうのである。
 特に、この『忍ぶ川』は、一般の文学作品であるから、作品世界を表現している表現主体の視点、心情、イメージは、複雑で微妙なところがある。その複雑で微妙な表現主体の視点、心情、イメージを的確に読み取り、そして、それを自分のものとし、さらに、それを自分の肉声を使って音声言語で表現することはむずかしい。
 朗読の場合は、表現する音声言語はごく当たり前の音声言語である。そういうごく当たり前の音声言語ならば、朗読の聴き手(観客)の方だって、皆、達人である。誤魔化しや間違いや不十分さは、全部、お見通しである。朗読する方はまだ朗読の修行中であっても、聴く方は日本語の音声言語のベテランぞろいなのだから、表現者としてこれ以上にキビしい条件はないと言って良い。。
 このグループは、自主練習会のパイオニアである。今回の朗読発表会に向けても、何回かの自主練習会を行なう計画のようである。

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