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05館長の朗読日記 450

館長の朗読日記 450   (戦後65年04月07日 新規)

品川「あやの会」と三鷹「さつきの会」の朗読レッスン

 
 
       

○品川「あやの会」の朗読レッスン

 昨日(4月06日)の午前9時30分から、品川朗読サークル「あやの会」の朗読レッスンを行なった。
 今回は、朗読ステップ4の18回目、朗読発表会向けの台本・藤原てい原作『流れる星は生きている』のレッスンの6回目である。この台本は2部構成であり、今回は第3クールの後半の第2部を練習した。
 会員の皆さんは、平均的には、かなり「語りかけるような語り口」になりつつある。しかし、前回のときにも記したが、まだ完全に自分の言葉で語っているというところまではいっていない。
 つまり、作品世界の表現主体の視点、心情、イメージを自分のものとして、それを自分の言葉で表現するところまでにはいっていないのである。その反面、ある程度は「語りかけるような語り口」になってきているので、語り手の視点や心情が透けて聴こえるようになってきている。それだけに、表現主体の視点、心情、イメージを完全に自分のものとしていなかったり、完全に自分の言葉で表現していなかったりすると、とても不自然に聴こえてきてしまうのである。
 幸い、この『流れる星は生きている』は、総ての地の文の表現主体が、原作者であり、また、主人公でもある藤原ていさんである。さらに、作品の中で、主人公である藤原ていさん自身のセリフがふんだんに出てくる。そこで、この台本の地の文を、すべて、藤原ていさんのセリフと全く同じに表現するように指導してみた。
 結果は、藤原ていさん自身のセリフを度々表現しなければならないので、それにつられてその近辺の地の文も同じように表現しやすくなったようである。その部分の地の文を、あたかも主人公として「語るような語り口」で語ることができるようになってきた。つまり、この方法は、かなりの効果があったということになる。
 しかし、今のところは、地の文がしばらく続くと、また元のような表現に戻ってしまうようである。今後、全部の地の文を藤原ていさん自身のセリフとして語ってくれるようになれば、全体の朗読水準は格段にアップするのだが。
 レッスンの前に、6月に開催する「東百道の朗読館」のチラシを配って、会員の皆さんはもちろん、知人友人の皆さんにもチラシを配って誘ってもらうように依頼した。

○三鷹「さつきの会」の朗読レッスン

 次に、午後6時30分から、三鷹朗読サークル「さつきの会」の朗読レッスンを行なった。今回は、最終の朗読ステップ6の16回目、朗読発表会向けの台本・三浦哲郎原作『忍ぶ川』の4回目である。この台本は、2部構成であるから、今回は第2クール目の第2部(後半部分)を練習することになる。
 このグループも、3人の新人の会員を含めて、平均的には、ある程度「語りかけるような語り口」になりつつある。それだけに、品川のグループと同じことが言える。
 つまり「語りかけるような語り口」になってきているその分だけ、語り手の視点や心情が透けて聴こえるようになってきている。それだけに、表現主体の視点、心情、イメージを完全に自分のものとしていなかったり、完全に自分の言葉で表現していなかったりすると、とても不自然に聴こえてきてしまうのである。
 幸い、この『忍ぶ川』も、総ての地の文の表現主体が、原作者であり、また、主人公でもある三浦哲郎である。さらに、作品の中で、主人公である三浦哲郎自身のセリフがふんだんに出てくる。そこで、この台本の地の文を、すべて、三浦哲郎のセリフと全く同じに表現するように指導してみた。
 結果は、品川朗読サークル「あやの会」と同じであった。この台本も、三浦哲郎自身のセリフを度々表現しなければならないので、それにつられてその近辺の地の文も、同じようにセリフ的な表現がしやすくなったようである。その部分の地の文を、あたかも主人公として「語るような語り口」で語ることができるようになってきた。
 このグループもレッスンの前に、6月に開催する「東百道の朗読館」のチラシを配って、会員の皆さんはもちろん、知人友人の皆さんにもチラシを配って誘ってもらうように依頼した。

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