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05館長の朗読日記 463

館長の朗読日記 463   (戦後65年05月07日 新規)

○船橋「はなみずき」の朗読レッスン

 昨日(5月06日)の午後3時から、船橋朗読サークル「はなみずき」の朗読レッスンを行なった。このグループも、いよいよ今回から朗読ステップ5に入った。
 先ず、先日(4月20日)行った朗読発表会のことが話題になった。
 当日、会員の一人が、録音技術のある友人に依頼して録音してもらったCDを、全員に配布してくれた。他の会員が、公民館からラジカセを借り出してきたので、レッスン会場でその録音の一部を全員で聴いてみた。
 その後、会員の皆さんから、当日、来場してくださった知人友人の方々から聞いた感想や意見を紹介してもらった。予想通り、良かったとか、感動した、涙が出てきた、などということを言われたらしい。なかには、それなりに厳しいことを言われた部分もあるようだが、概ね好評だったようだ。
 一般的に、朗読発表会を聴く場合には、大まかに二つの聴き方がある。一つは、批評家的な聴き方である。自分でも朗読をやっているような人が、他人の朗読を聴くときには、意識するとしないにかかわらず、どうしてもこの聴き方になってしまう。二つは、鑑賞家的な聴き方である。初めて本格的なステージ朗読を聴くというような人の場合には、この聴き方になってしまう。
 このグループの朗読発表会のような場合には、観客の半々がそれぞれの聴き方で聴いたのではないかと思う。すなわち、観客の半分くらいは、私が朗読指導している他の朗読サークルの会員が占めていたし、他の半分くらいは、初めて本格的なステージ朗読を聴いたような人たちではなかったかと思う。
 なかには、昨年に引き続いて聴いてくださった方々もいて、この方々は昨年と比較しながら聴いてくださったようである。この方々は、昨年と比べて随分上達したとほめてくださった反面、朗読表現についていろいろと的確な感想や意見を言ってくれたようである。このような方々には、来年も是非聴いていただきたいと思っている。この方々は、上記の二つの聴き方が両方できる立場にあるように思うから。
 次に、私から、朗読ステップ5の目的(狙い)とレッスンのポイントを説明した。
 その次に、最初のレッスン台本・有島武郎原作「小さき者へ」の前半のレッスンに入った。会員1人当たり、1頁強づつ、素読みしてもらいながら、その素読みした部分の朗読的解説を私が行なっていった。
 この作品は、全編、原作者=主人公の有島武郎が表現主体として、自分の三人の子ども宛に記した手記という体裁をとっている。しかも、内容がかなり感動的である。したがって、朗読ステップ5のレッスンにふさわしいだけではなく、当面の課題である「語りかける語り口」を身につけるための台本としても最適だと思われる。一つ、十分に、自宅での一人練習に励んでもらいたいと思っている。
 最後に、6月30日に開催する第3回「東百道の朗読館」の前売りチケットを販売した。一人で複数枚買ってくださる会員もいた。昨年と今年の朗読発表会を聴いた友人が、この一年間の会員の上達ぶりに驚き、そういう指導をする先生本人の朗読を聴いてみたいからと、前売りチケットの購入を依頼された、という事情を語って下さった会員もいた。これは、私には、非常に嬉しい話しであった。

○習志野「茜」の朗読レッスン

 昨日(5月06日)の午後6時30分から、習志野朗読サークル「茜」の朗読レッスンを行なった。
今回は、朗読ステップ2修了記念「おさらい会」用の台本(自由課題)の2回目のレッスンである。この2回目は、各会員ごとの台本(自由課題)の、真ん中の3分の1の部分のレッスンを行なった。前回お休みした会員の場合は、もちろん、初めの3分の1の部分のレッスンをやる。
 各会員ごとの台本(自由課題)をレッスンする場合は、全員が違った台本を朗読するので、作品の内容を細かく具体的に解説する時間もないし、また、そうする意味もあまりない。いきおい、私のダメ出しやコメントは「語り口」の方に集中しがちである。
 このグループは、現在、朗読ステップ2を辿っている最中であるから、まだ「語りかける語り口」が十分にできていない。もちろん、会員によって違いはあるが、ほとんどは「語りかける語り口」をどのように理解してもらい、朗読の場で実現してもらうか、という点に私の指導は集中する。
 なかには、ある種の「読み癖」が身についてしまって、なかなか矯正できない会員もいる。そういう会員は、自分でも自分の「読み癖」が分かっており、一所懸命に直そうとするのだが、直そうとすればするほどその自分の「読み癖」に囚われてしまう、というジレンマに陥りがちである。もがけばもがくほど、それが絡まってくるわけである。
 客観的には、その「読み癖」は着実に直ってきているのだが、残っている部分を指摘されると、焦ってしまって、せっかく直っていた部分までがおかしくなってくる。こうなると、泥沼にハマったようなもので、短時間のレッスン中には直らなくなってしまう。
 こういう場合には、焦らずに、自分の周囲の人たちの日常会話を意識して素直に聴き、その「語り口」を学ぶ(=真似る)のがもっとも良いのだろうが、それには時間がかかるのである。
 このグループは、私が指導する朗読サークルの中では最も後発のグループである。現在は、朗読ステップ2の最後の方であるから、他の先発グループの朗読発表会もいろいろと聴いて耳も肥えてきている時期である。それだけに、他人だけでなく、自分自身の朗読表現の欠点や不十分性が分かってくる時期でもある。しかも、自分自身の朗読表現の欠点や不十分性はかなり分かるけれども、それがなかなか直らないというもどかしさも感じ始める時期である。
 この時期になると、一見、単純かつ簡単に思われる朗読が、意外に奥深いだけでなく、意外にむずかしいことが分かってくる。当面は、自分自身の日常会話における表現力(音声言語の表現力)を朗読の場で発揮する(回復する)ことが中心になる。それが出来るようになれば、今の日本の朗読水準からすれば、それだけで立派な朗読家として通用する。したがって、日本で生まれ育った成人ならば、誰でもその水準に到達できることは確実なのである。
 そのための基本が、現在やっている「語りかける語り口」を理解し、朗読の場で実現することなのである。したがって、この時期を乗り越えられるか否かが勝負となる。是非、頑張っていただきたいものだと思っている。

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