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05館長の朗読日記 472

館長の朗読日記 472  (戦後65年05月26日 新規)
             

品川「あやの会」の朗読発表会

 昨日(5月25日)は午後1時30分に開演ということで、品川朗読サークル「あやの会」の朗読発表会『流れる星は生きている』を行なった。会場は、品川区荏原文化センター・大ホールであった。
 これは朗読レッスンとしては、朗読ステップ4の21回目、朗読発表会向けの台本・藤原てい原作『流れる星は生きている』の9回目ということになる。
 午前9時30分に会場へ全員が集合し、舞台&会場の設営準備、記念写真の撮影、直前の最終ミニ・リハーサルを行なった。特に、今回は、直前において舞台の一部を変更したため、開場時間まで1時間を切ってしまうまで最終ミニ・リハーサルを念入りにやった。その1時間を切ったなかで、皆で昼食をとり、受付などの最終準備をしたので、かなり慌ただしかった。
 最終ミニ・リハーサルを念入りにやったのは、事情により急きょ出演できなくなった会員の朗読部分を、他の全員が細かく分けて朗読することでカヴァーすることにしていたのだが、その部分の舞台上の動きをちょっと変更したためである。
 今回の来場者数は大体200人くらいであった。昨年は250人を超えていたから、それに比べるとちょっと少ない感じであった。人数の割に少なく感じられたのは、この会場がの座席数437席というようにかなり広いことも影響している。もし、座席数300席くらいの普通の会場であったら、200人も入れば大盛況という感じになったと思う。
 会員の朗読表現は、まあまあので出来栄えではなかったかと思う。もちろん、一人一人の朗読を細かく見ていけば、いろいろと言いたいことはある。しかし、立ち稽古や舞台リハーサルのときの朗読表現に比べたら、格段に良くなっていた。
 まあ、観客はそういう過去の経緯はまったく知らずに、本番当日の朗読表現だけを聴いて、その出来栄えを判定する。だから、立ち稽古や舞台リハーサルに比べて良くなったということは、観客の立場に立った場合にはあまり意味がないかも知れない。しかし、朗読指導者としての私は、朗読発表会も大きくレッスンの一環として位置づけているから、その点がもっとも気になるところなのである。
 本番では、直前において舞台の一部を変更したところもスムーズにうまくいったし、照明関係(ホリゾントの照明と出演者に当てる照明)も、バック音楽(BGM)の音出しもかなりうまくいった。音声関係は少し音量が大きすぎたという意見もあったが、最後部の座席でモニターしていた家内によればあれくらいで良かったということであった。
 このグループは、会員数が多いのだが、会員数が半分くらいのグループに比べて、勝るとも劣らない上達ぶりを示している。これは、朗読レッスンは個人レッスンより集団レッスンの方が効果があるし、集団レッスンは20人くらいまでなら人数が多い方が効果がある、という私の持論を実証してくれている。私にとって非常に心嬉しいことなのである。
 ロビーで何人かの観客の方々とお話ししたが、その中で非常に嬉しかったことがある。それは、会員の知人で、近隣で朗読を教えている方が話してくれた内容である。その方は、昨年の朗読発表会『ホタル帰る』も聴きに来てくれて、こういう朗読公演のやり方もあるのかと非常に感動したという。そして、自分が朗読指導しているグループで、近々、同じようなスタイルの朗読会を開催するという。すなわち、先の大戦の悲劇に関するものを、全員で読み継いで朗読するという。
 私は、こういう形で、先の大戦の悲劇を朗読で語り継ぐスタイルの朗読会が、次々と広がっていくことは大歓迎である。スケジュールが合えば、是非、聴きに行きたいと考えている。

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