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05館長の朗読日記 485

館長の朗読日記 485  (戦後65年06月25日 新規)
             

○千葉「わかば」の朗読レッスン

 昨日(6月24日)の午後1時30分から、千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスンを行なった。今回は、朗読ステップ5の8回目、レッスン台本・山本周五郎原作「蜜柑畑」の2回目のレッスンである。
 前回のレッスンでは、前半部分だけについて、素読みと私の解説を行なう予定であったが、時間が十分にあったので、予定を変更して、後半部分についても素読みと私の解説を行なった。
 そこで、今回は、前半部分について、かなりジックリと朗読表現に関するレッスンを行なった。
 このグループにおいても、レッスンの冒頭で、日本語でもっとも一般的な助詞、主語につく助詞の「は」と「が」について、その内容的な意味の違いと、それに伴なうその強調の仕方の違い、および、助詞とその前後のつなげ方の違いを、少しくわしく説明した。
 レッスンの中で、来年の朗読発表会の台本を深沢七郎原作の『楢山節考』に正式に決定した旨を伝えた。

○八千代「花ことば」の朗読レッスン

 昨日(6月24日)の午後6時00分から、八千代朗読サークル「花ことば」の朗読レッスンを行なった。今回は、朗読ステップ6の6回目、レッスン台本・宮沢賢治原作「セロ弾きのゴーシュ」の6回目である。また、今回は「セロ弾きのゴーシュ」の仕上げの通し読みをする日でもある。
 会員の皆さん全員で、この「セロ弾きのゴーシュ」を読み継いでいくのだが、一人ひとりの朗読を聴いていて、次のような事実が実に明瞭に現われていたことがとても興味深かった。

①「語る語り口」が身についていくプロセスとして、先ず「セリフ」表現から身についていくこと。
②「セリフ」表現において「語る語り口」が身についてくると、次に「セリフ」の直後にある短い「地の文」が「語る語り口」で表現できるようになること。
③そして、それが段々と長い「地の文」に波及していき、さらに「セルフ」から離れた「地の文」にも波及していって、やがて台本全体を「語る語り口」で表現できるようになっていくこと
④「語る語り口」が身についていくに従って、共通語的なイントネーションが苦手な人も、見違えるように共通語的なイントネーションに近くなっていくこと。
⑤共通語的なイントネーションに基づいた「語る語り口」が身についてきた人でも、今ひとつ「日常会話の語り口」になり切れていない部分が残っているが、その部分を最後のダメ押し的に改善するためには、やはり、日本語における助詞の役割などといった言語学的あるいは文法学的な知見が必要であること。

 そこで、このグループにおいても、通し読みの後、私から通し読みの講評を行なう前に、日本語でもっとも一般的な助詞、主語につく助詞の「は」と「が」について、その内容的な意味の違いと、それに伴なうその強調の仕方の違い、および、助詞とその前後のつなげ方の違いを、少しくわしく説明した。

 来年の朗読発表会の朗読形式については、結局、全員が1人1作品を朗読するという結論になった。

○主語につく助詞の「は」と「が」について

 これについては、現在執筆中の『朗読の上達法』にくわしく書き込むつもりだから、このブログではまだくわしくは触れない。しかし、私が朗読指導している朗読サークルのレッスンにおいては、全サークルに順次くわしく説明していっている。
 面倒なので、そのサークルがどの朗読ステップの段階にあるかを考慮せずに、全サークルに同じ説明をしていっている。本当は、これを説明するのに最適な時期というものがあると思うのだが、面倒なのでほぼ一律一斉に説明している。まあ、基本中の基本だから、どの朗読ステップでもそれなりに有益だろう、と漠然と考えているせいもある。
 助詞の「は」と「が」について説明しながら、会員の皆さんの反応を見ているのだが、やはり「語る語り口」が身についた段階で説明するのがもっともタイミングが良いのではないかとも思われる。もちろん、これは、会員の人となりによっても大きく異なってくるが。

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