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05館長の朗読日記 488

長の朗読日記 488   (戦後65年07月02日 新規)

○船橋「はなみずき」の朗読レッスン

 昨日(7月01日)の午後3時から、船橋朗読サークル「はなみずき」の朗読レッスンを行なった。今回は、朗読ステップ5の5回目、朗読レッスン台本・有島武郎原作「小さき者へ」の5回目である。
 今回は、このレッスン台本の全体について、会員1人当たり2頁半くらいづつ、朗読してもらいながら、コメントやダメ出しを行なっていった。
 今回は、このグループも徐々に力がついてきていることを実感した。そして、このレベルになると、一人一人だ自分なりの課題をもって自宅練習をしてきているようである。ポイントが絞られているから、その点に関する上達も早く的確になる。自然な声出し、自然な語り口、自然な心情表現、助詞の自然なつなぎ方、その他の点で、段々と良い方向へ向かっていくのである。
 逆に、たまたま用事が重なって、自宅練習をやらないままにレッスンに出てくると、その練習不足の様相がはっきりと現われてしまう。ある程度の朗読レベルに達した場合、練習不足でその自分の朗読レベルにとどかない朗読表現をレッスンの場でされると、こちらでもダメ出しやコメントの仕様がない。
 まだ、朗読レベルが低い段階では、注意すべき点が多々あるし、基本ができていないから基本的なことを何度も繰り返して指摘する意味もある。しかし、ある程度のレベルに達している場合に、今さら基本的なことを指摘しても意味が無い。もっと自宅練習をしてくるように、という言わずもがなのコメントをするくらいが精々なのである。逆説的にいえば、この場合には、ダメ出しやコメントをしないことが、最大のダメ出しであり、コメントなのである。

 今回のレッスンは、第3回「東百道の朗読館」の翌日だったから、会員の皆さんの話題も自然とそのことになっていく。幸いなことに、皆さんに大変なご好評をいただいた。
 マリンバとピアノの生演奏は大好評であった。また「狸」と「兎」も好評であった。特に「兎」のセリフ表現は参考になったようである。また、会員の一人からの「眼をつぶって聴いていたら、台本の存在が感じられなかった」というコメントが、とても私の印象に残った。
 改めて考えて見れば、朗読というものは、落語や民話語りのように、完全に観客に語りかけているわけではない。しかし、台本を読んでいる、というわけでもない。語っているのではないが、語りかけてくるような音声言語が空間を通して朗読者から聴き手の心に直接語りかけてくる。確かに、朗読というものは、ちょっと不思議な音声言語芸術なのである。
 会員の皆さんは、自分の朗読表現の参考にしようという耳で聴いているから、そういう点でもかなり有益であったようである。私が普段のレッスンで色々と話していることが、改めて良く分かった、ということであった。

○習志野「茜」の朗読レッスンは他日にスライド

 本来なら、昨日(7月01日)の午後6時30分から、習志野朗読サークル「茜」の朗読レッスンを行なうはずである。
 しかし、今月は、7月31日(土)の「朗読おさらい会」のために、前日の7月30日(金)にリハーサルを行なう。したがって、7月の2回のレッスンは、この「朗読おさらい会」とそのリハーサルにスライドされるから、通常のレッスンは2回とも休止なのである。

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