« 13館長に寄せられた感想・意見 38 | トップページ | 05館長の朗読日記 496 »

05館長の朗読日記 495

館長の朗読日記 495  (戦後65年07月18日 新規)
             

○八千代「こちの会」の朗読レッスン

 昨日(7月17日)の午後2時00分から、八千代朗読サークル「こちの会」の朗読レッスンを行なった。今回は、朗読ステップ5の4回目、共通レッスン台本・有島武郎原作「小さき者へ」の4回目である。
 今回は、共通レッスン台本・有島武郎原作「小さき者へ」の後半部分について、かなり丁寧な朗読練習を行なった。会員の一人一人に順番に1頁ちょっとづつ朗読してもらいながら、ダメ出しなりコメントなりをしていった。
 特に、主語につく助詞の「は」と「が」に対応した朗読表現について、一人一人の会員が朗読したところの一部を、私が実際に表現してみせた。直前に朗読した当人に聽かせるというよりも、周りで聴いている他の会員の皆さんに、両方を聴き比べてもらって、その違いを実際に、自分の耳で感じて欲しかったからである。
 人間というものは、理論として聴いても、ただ単に見本を聴かせても、なかなか本当には違いが分からない。実際に、聴き比べて初めて、その違いが分かる。ただし、ただ違いが分かっただけでは、なかなか自分で実行できない。自分で実行できるようになるまでが、また、大変なのである。
 レッスンの最後に、少し時間を取って、朗読ステップ6が終了した後のことについて、かなりまとまった話しをした。私がイメージしている朗読サークルのあるべき姿、第2期の目的とレッスン概要、第1期から第2期に移行する場合(あるいは移行しない場合)の想定されるいろいろなケース、などについての話しである。
 その後で、来年の朗読発表会でやる原作選びについて若干の話し合いがもたれた。私は、次のレッスンが控えているので、途中で退席したが、このグループの場合も、やはり選定にはかなり時間がかかりそうである。

○千葉「風」の朗読レッスン

 昨日(7月17日)は、午後5時30分から、千葉朗読サークル「風」の朗読レッスンを行なった。実をいうと、今回も10分ほど遅刻をしてしまった。八千代朗読サークル「こちの会」における来年の朗読発表会用台本の原作選びに関する話しが長引いて、退席するのが若干遅くなってしまったためである。
 今回は、朗読ステップ6の16回目、朗読発表会に向けた1人1作品(自由課題)の朗読レッスンの4回目である。
 朗読発表会に向けた自由課題は、毎回、それぞれの台本の3分の1づつをレッスンしているので、レッスン3回で1クールが終了する。今回は4回目であるから、毎回出席している会員は、前回で第1クールが修了し、今回から第2クールに入る。
 さすがに朗読ステップ6の段階ともなると、第2クールくらいには会員の皆さんはそれぞれかなり仕上げてくる。仕上がってくると、私のダメ出しやコメントも乗ってくる。われながらなかなか気の利いた説明も飛び出してくる。そうすると、それが分かる会員は、実に嬉しそうな顔をして聴いてくれる。そうすると、私もつい嬉しくなって、ますます良い指導がしたくなる。そういう良循環が生じてくるのである。
 また、新規入会の会員には、今回は、私が指定した台本・芥川龍之介原作「蜜柑」を読み継いでもらう。この台本は、朗読ステップ1でレッスンしたものである。この段階の新規入会者には、とりあえず次の2点に重点を置いて指導している。一つは「視点の転換」とそれに伴なうイメージをつくってもらうこと。二つは、朗読表現を高く(上に)出るような「語り口」に取り組んでもらうこと。この2点は、朗読ステップ6段階にある先輩会員たちは皆修得しているから、良い見本が周り中にある。その良い見本から、十分に学び取って欲しい。

○グループレッスンの良さを十分に活かして欲しい

 私が指導しているグループレッスンの場合には、自分の朗読表現だけにかまけていてはあまりにももったいない。他の会員の朗読表現、および、それを指導している私のダメ出しやコメントや説明などを、自分に引き寄せて自分事(わがこと)として、全身で聴いて学び取って欲しいのである。
 たとえば、自分が朗読する順番が来た時だけは熱心にレッスンに向き合うけれども、他の会員のときには他の会員の朗読表現には無関心でいて、内心では自分の朗読表現のことだけを考えていたり、あるいは、隣の会員と私語雑談などをしていたのでは、なかなか自分勝手な朗読から抜け出せない。上達の速度もなかなか上がっていかない。まさに、時間をドブに捨てているようなものなのである。
 また、朗読表現のあるべき姿を学びとる場合においても、自分の頭の中だけで考えて練習したのでは、自分勝手な方向に突っ走ってしまい、なかなか本当の上達には結びつかない。朗読表現のあるべき姿やその見本などというものは、それそのものが空中に浮かんで存在しているわけではない。現実に生きている個々の人間の朗読表現という形でしか、この世に存在していないのである。
 しかも、自分自身の朗読表現は、自分ではなかなか分からない。そこで、グループレッスンの場において、他の会員の朗読表現、および、それを指導している私のダメ出しやコメントや説明などを、自分に引き寄せて自分事(わがこと)として、全身で聴いて学び取ることが、きわめて有効になってくる。
 他の会員の朗読表現の中から、良い朗読表現を見つけ出し、それから学び取る(真似び取る/盗み取る)わけである。それをしないと、同じような試行錯誤をただ繰り返すだけで、まるで二十日鼠が車輪のなかで同じところを一所懸命に走っているように、なかなか前進することができない。

|

« 13館長に寄せられた感想・意見 38 | トップページ | 05館長の朗読日記 496 »

05館長の朗読日記(戦後65年/西暦2010年)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 13館長に寄せられた感想・意見 38 | トップページ | 05館長の朗読日記 496 »