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05館長の朗読日記 541

館長の朗読日記 541  (戦後65年10月03日 新規)



○八千代「こちの会」の朗読レッスン

 昨日(10月02日)の午後2時00分から、八千代朗読サークル「こちの会」の朗読レッスンを行なった。今回は、朗読ステップ5の9回目、共通レッスン台本・山本周五郎原作「蜜柑畑」の3回目である。

 今回は、この台本の前半部分の朗読練習を行なった。1人1ページ弱を朗読してもらいながら、私の方からかなり細かいダメ出しをしていった。

 朗読ステップ5の今頃の段階になると、会員の皆さんは、高く上に出ることや、高止めて次を盛り上げること、すなわち「語るような語り口」はかなり出来るようになって来ている。

 しかし、われわれが日常会話で行なっているような「表現主体的な語り口」を、朗読の場で再現するまでにはいたっていない。つまり、自分の視点で、自分のイメージと心情を、自分自身の言葉として、自在に表現する「語り口」になっていないのである。

 そこで、①自分の意志で語るということ、②強調すべきところをもっと強調して表現すること、を重点的に指導した。

 ①の重点ポイントは、2音目(あるいは1音目)をクッキリと上げて表現することである。②の重点ポイントは、かなり意識して演技的に強調して表現することである。



○「こちの会」の朗読発表会は「風野又三郎」に決定

 八千代朗読サークル「こちの会」の来年の朗読発表会の演目が、宮澤賢治原作「風野又三郎」に決定した。もう一つの候補作は新田次郎原作「芙蓉の人」であった。

 この「芙蓉の人」の原作はかなり長いのだが、これを推薦する会員が、自分で朗読時間が2時間になるようにカットしてきていた。そのカットがなかなか良いのである。

 全体の山場である、富士山頂で越冬しながら気象観測をつづけているところを、とても的確に摘出して2時間の長さにまとめていた。

 ただ、この時代における富士山頂での越冬気象観測がどういう気象学的な意味をもっていたのか、また、主人公たちのそういう決死的な行為の後日談、などが台本に入っていると、なお一層良かったと思う。

 今回は、そういう意味では、若干、時間切れというところもあった。今後も、この「芙蓉の人」の台本化を継続してもらって、また機会を見つけて上演するという含みをもたせ、今回は宮澤賢治原作「風野又三郎」を上演することに決定した。

 この「風野又三郎」は、通常知られている「風の又三郎」の異稿であり、厳密にいえば、一部の原稿が欠けている未完成作品である。

 「風の又三郎」の方は、有名であり、映像化や絵本化もされているし、朗読としても上演されている。しかし、異稿である「風野又三郎」の方は、知る人ぞ知るといった比較的無名の存在であり、映像化や絵本化はもちろん、朗読されたという話しもほとんど聞かない。

 「風野又三郎」の主人公・又三郎は、完全に風の化身であり、話の内容も風の生態(?)をくわしく語ったもので、非常にダイナミックで面白い。この作品を、読み継ぎ形式の朗読で上演する価値は十分にあると思われる。

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