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館長の朗読日記1349/朗読漫画『花もて語れ』の第94話/つづき

館長の朗読日記1349  (戦後69年02月22日 新規)



○朗読漫画『花もて語れ』の第94話/つづき(1)

 『週刊スピリッツ』2014年12号に掲載された朗読漫画『花もて語れ』の第94話「瓶詰地獄④」の中には、朗読する場合の心構えとして、とても大切なことが語られている。そこで前回のつづきとして、改めてその点について触れておきたい。それは、五十土園子が佐倉ハナに以心伝心で語りかけるセリフとして表現されている。

 曰く「朗読では自分の裸が出てしまう。朗読で表現するのは作者の気持ちや登場人物の気持ち。でも、自分の中にない気持ちは表現できないから、朗読には読み手の人生経験や精神性がすべて滲み出る。それは聴き手の前で隠せない。朗読は怖い。でもあなたはもう裸になれる勇気がある」。この点が朗読の心構えとして極めて大切なのだ。

 私の先生は、よく「朗読は素っ裸の気持ちでやりなさい」と指導していた。私が指導する相手は中高年の女性が多いから、とてもそんな表現はできない。そこで、たとえば「朗読では総てを曝け出すつもりでやってください」というようなコメントをしている。漫画では実際に朗読者を裸にしている(さすがに絵をぼかしてはいるが)。



○朗読漫画『花もて語れ』の第94話/つづき(2)

 実は、朗読の場合は、朗読者がいくら綺麗に装ったつもりでも、聴き手にはその朗読者の正体がすべて露(あらわ)になってしまう。その朗読者が、綺麗に装ったつもりになっている心性そのものを含めて、その人間の総てが露になってしまう点が、真に恐ろしいのである。それを承知の上で、開き直って朗読できるか否かが問われる。

 開き直って、いわば自分を正直に曝け出して表現する朗読には、聴き手の心を底の底から感動せしめる可能性が開けてくる。これはあくまで可能性が開けるだけである。自分を正直に曝け出して表現すれば、必ず聴き手の心を底の底から感動せしめるというわけではない。当然、その心構えに、朗読の演技力が伴なわなければならない。

 逆に朗読の演技力が高まってくればくるほど、その朗読者の心性がより明確に露になってくる。朗読が上達すればするほど、朗読する心構えが誤摩化せなくなってしまうのである。すなわち朗読が一定のレベルに達した後は、その朗読者の人間力が問われてくることになる。朗読という芸術の真の恐ろしさと魅力は実はこの点にこそある。


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