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館長の朗読日記1418/千葉「わかば」の朗読レッスン

館長の朗読日記1418  (戦後69年05月23日 新規)



○千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスン(1)

 昨日(5月22日)の午後1時30分から、千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスンを行なった。今回は第2期・朗読ステップ3の6回目、最初のレッスン台本・宮澤賢治原作「おきなぐさ」の6回目でもある。私の朗読レッスンは6回で1本のレッスン台本を修了する。従って、今回は最後のレッスン(仕上げの通し読み)である。

 レッスン台本・宮澤賢治原作「おきなぐさ」は内容は濃いが短い作品で、朗読時間は15分程度である。そこで、会員を3組に分け、各組4人づつで読み継ぎ形式での通し読みをしてもらった。3回の通し読みであるから、朗読時間は全部で45分〜50分。休憩を挟んだ残りの時間で、私から1人1人の朗読について講評を行なった。

 今回の通し読みを聴きながら、改めて会員の上達ぶりを感じた。もちろん、絶対的なレベルからいえば、まだまだなのであろう。しかし、1人1人の上達過程を知っている私からすれば、よくここまで上達したという感慨が湧いてくる。当面の目標が、普段の音声言語表現力を朗読の場で発揮することだから、当然といえば当然なのだが。



○千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスン(2)

 私が目指す「感動をつくる朗読」の表現力の土台は、①2音目をくっきりと上げること、②強調すべき言葉を的確に強調すること、③的確な《間》と《メリハリ》をとること、の3点に集約される。このことを、最近、とみに痛感している。①は単純であるから、集中的に練習すれば比較的身につけやすい。②と③はなかなかむずかしい。

 千葉朗読サークル「わかば」の会員だけでなく、私が指導している朗読サークルの会員(特に1期生)は、①と②はだいたい修得しつつある。ただし、①の重要性が理解できず、適当にやり過ごしてきた場合は、結果もそれ相応である。②は、文字言語の《内容的な意味》の的確な解読が不可欠だから、読解力の修得と裏腹の関係にある。

 ②を完全に自力でやり切るのはむずかしい。当人の読解力が弱い場合は、他からの助言が不可欠となる。最も修得がむずかしいのは③である。これは、作品世界の想像力&創造力が必要だし、それに加えて、それを自分の音声言語で再表現する芸術的な表現力が必要となる。朗読の場で、日常会話的な《間》を取ることさえむずかしい。



○千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスン(3)

 さらに、今回の仕上げの通し読みで、改めて次のことを痛感した。それは、朗読者の朗読レベルを判定する最も簡便な指標は、ダイナミックな動きを的確に表現できているか否かという点だ、ということである。残念ながら、今回の通し読みの中には、この点で合格点を与えられる朗読表現はなかった。これは非常に的確な指標でもある。

 シミジミとした感動を聴き手に与えるのは、朗読においては比較的簡単である。いわば「朗読で涙をとるのは簡単」なのである。逆に「朗読で聴き手の笑いをとることはむずかしい」とよく言われている。その中間に位置するのが、このダイナミックな動きを朗読で表現することではないだろうか。朗読の実力を測る的確な指標である。

 次回からは、新しいレッスン台本、森鴎外原作「じいさんばあさん」と夏目漱石原作「硝子戸の中(抄)」に入る。2本のレッスン台本を併行してやっていく。その方法について、会員の希望を聴いた。結局、会員を2組に分け、各組ごとに、2本の台本を3回づつ、交互にレッスンしていくことになった。レッスン回数は各6回である。


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