館長の朗読日記1437/八千代「新・みちの会」の朗読レッスン
館長の朗読日記1437 (戦後69年06月15日 新規)
○八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスン(1)
昨日(6月14日)の13時30分から、八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスンを行なった。今回は第2期・朗読ステップ5の第15回目。9月の朗読発表会に向けたレッスンの3回目。前回は「少年口伝隊一九四五」をやったが、今回は「凧になったお母さん」の2回目をやった。前回より朗読は滑らかになった。
しかし、肝心な心情とイメージがまだまだ十分には伴なっていない。多少は朗読が上手くなっても、作品世界にふさわしい心情とイメージが伴なっていなければ、聴き手に感動をつくってもらうわけにはいかない。この「凧になったお母さん」は短いので、文章に沿ってかなり細かく具体的に心情とイメージを解説していった。
解説しながら、私は文字言語に書かれていることしか解説していないのだが、と思わず皮肉を言ってしまった。また、いくらこんな解説をしても、自分の言葉で語りかける語り口を身につけていない限りは朗読に反映できないのだが、と痛感したりもした。そういう語り口の目安は高く上に出ることと、2音目の上げ方にある。
○八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスン(2)
毎度のレッスンで私が強調していることだが、自分の言葉で語りかける語り口(=自然な語り口)の基本中の基本は、総ての言葉を高く上に出ることと、2音目(あるいは1音目)をクッキリと上げることである。この語り口を身につけなければ、聴き手の心に語りかけ、訴えかけ、説得するような朗読は、到底できないのである。
この基本中の基本をいい加減に考え、しっかり身につける修練を怠っていると、何年レッスンを続けていても聴き手に感動をつくる朗読はできない。もちろん、それは基本であって、それだけでは足りない。肝心なのは作品世界にふさわしい心情とイメージを朗読者の心の中に創り上げることである。その両方が朗読の基本である。
その両方が身についているか否かは、今回の「凧になったお母さん」のような切迫&緊迫した作品世界の朗読においてはっきりと顕われる。この短い台本を仕上げる過程において、この朗読表現の基本中の基本を改めて修得する点に、徹底的にレッスンの焦点を絞り込むことにしよう。会員の皆さんが応えてくれることを期待して。
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