« 館長の朗読日記1430/船橋「はなみずき」と習志野「茜」の朗読レッスン | トップページ | 館長の朗読日記1432/新しいカテゴリー「館長の朗読研究月誌」欄を構想中 »

館長の朗読日記1431/「舞踊集団菊の会・物語シアター合同公演」を観に行った

館長の朗読日記1431  (戦後69年06月07日 新規)



○「舞踊集団菊の会・物語シアター合同公演」を観に行った(1)

 昨日(6月06日)の16時00分に開演の「舞踊集団菊の会・物語シアター合同公演」を観に行った。会場は菊の会スタジオである。この公演は2部構成で、第1部が朗読劇「物語シアター」第9回公演『山椒大夫』、第2部が舞踊集団菊の会公演日本のおどり『ふるさと囃子』という構成である。全体にとても素晴らしかった。

 私が観に行った当初の目的は第1部の朗読劇の方であった。朗読劇の一般的なスタイルは、朗読と演劇の融合ということで、文学作品の「地の文」を朗読者が朗読し、併行して「セリフ」のところは役者が演劇する、というものである。私は好奇心もあるが、出不精でもある。これまでは、出不精の方が勝って観に行かなかった。

 今回は、品川朗読サークル「あやの会」の会員である馬場圭介さんが山椒大夫の次男「二郎」役で出演するというので、観に行った。この機を逃しては、自分の出不精をおして朗読劇を観に出かけることはおそらく2度とあるまいと考えたのである。生憎、季節はすでに梅雨に入っており、昨日は一日中土砂降りに近い雨だった。



○「舞踊集団菊の会・物語シアター合同公演」を観に行った(2)

 朗読劇の舞台は、上手側に尺八(と横笛)と三味線の弾き手が舞台中央に向かって正座し、下手側に朗読者が客席に向かって椅子に座る。舞台中央の奥には箱状のものを3つほど置き、腰掛けや小船などの象徴的な舞台道具に使うだけで、他には何もない。全体にシンプルな舞台構成であった。私は最前列の上手側の端で観劇した。

 今回の朗読劇は、文楽(人形浄瑠璃)の舞台を連想させるものであった。違いは、人形の替わりに人間が演劇し、浄瑠璃の詞章(ししょう)の「セリフ」部分を太夫ではなく人形替わりの人間が分担する点であった。原作が「山椒大夫」という平安時代の物語のせいもあってか、全体の雰囲気は文楽(人形浄瑠璃)のようであった。

 お目当ての馬場圭介さんは、人さらいの船頭(宮崎三郎)と山椒大夫の次男(二郎)の2役を上手く演じていた。注目していた朗読者(文楽でいう太夫)の朗読はとても良かった。いわゆるナレーター調ではなく、観客に自分の言葉で語りかけるような「自然な語り口」に基づいた朗読なので、安心して聴いていることができた。



○「舞踊集団菊の会・物語シアター合同公演」を観に行った(3)

 私にとって意外だったのは、第2部の日本のおどり『ふるさと囃子』がとても楽しかったことである。私はこの方面には疎い人間だから、日本の舞踊の舞台は初めてであった。それをとても楽しく観ることができたのは、私にとって望外の収穫だった。私は舞踊の門外漢だが、踊り手はかなり自在に踊っているように感じられた。

 終演後、地下の会場から1階の出口にいくためにエレベーターに乗った。中堅的な立場で踊っていた若い踊り手の1人が同乗してくれた。その間、その女性と以下のような短い会話を交した。「素晴らしい舞台でした」「ありがとうございます」「踊りは何年やっているのですか」「2歳のときからやっております」「そうですか」

 会話は短かったが、その間、私の胸中にはたくさんの想いが宿っていた。終演後の達成感のためか、眼をキラキラさせていたその若い踊り手の胸中にも、おそらくたくさんの想いが籠っていたに違いない。2歳の頃から修練を積んできたからこそ、たとえ若く(20歳代?)てもあれだけの自在な舞踊を舞台で実演できたのだろう。



○「舞踊集団菊の会・物語シアター合同公演」を観に行った(4)

 40歳代で朗読を始めた私の想いは、いささか複雑であった。それにしても私は「自然な語り口」を基にした朗読をめざして良かった、とつくづく思い直してもみた。私の「自然な語り口」は、現実生活で私自身が駆使している音声言語表現に基づいている。そういう音声言語表現なら、私は生まれた瞬間から修練してきている。

 また、私は真っ当な言語論(時枝誠記→三浦つとむ)とその流れの文学論(吉本隆明)を踏まえた朗読をめざして良かった、とつくづく思い直してもみた。これらの言語論や文学論は、現実の日本の言語や文学に真に学問的に取り組んだ成果であり、私は20歳代から独学してきている。すでに40年は独学してきているのである。

 さらに、私は文学作品の解読を土台にした朗読をめざして良かった、とつくづく思い直してもみた。文字言語の解読なら私は20歳代から独力で修練してきている。文学分野ではないが、いくつか論争を追跡した経験もある。一方では執筆者の立場から論文を読み、他方では論争相手の立場から同じ論文を読む、という経験である。



○「舞踊集団菊の会・物語シアター合同公演」を観に行った(5)

 この文字言語を解読する修練、特に、複数の論争者の論文を互いの立場から読み込む修練は、文学作品を解読する上で、とても役立っている。文学作品は、原作者の立場から表現された「地の文」と複数の登場人物の立場から表現された「セリフ」から構成されている。その表現の解読は、論争を追跡していくのとかなり似ている。

 さらにいえば、文学作品は、人間や社会のあり様を直接のテーマにしている。現実社会における人間や社会のあり様なら、生業として会社勤務を30余年の永年にわたって続けてきた私なら、その善し悪しを含めて嫌というほど経験している。文学作品を的確に解読するには、その人の人生経験が永く複雑な方が役に立つのである。

 そういう意味では、朗読は、年少者よりも年長者の方に適している芸術かもしれない。それは単に芸歴が長い方が良いといった意味ではない。それは、通常の芸術は歳を重ねると始めること自体が不利になるものだが、朗読の場合は逆に有利に働く、といったような意味なのである。以上、エレベーター内での私の想いを記してみた。

|

« 館長の朗読日記1430/船橋「はなみずき」と習志野「茜」の朗読レッスン | トップページ | 館長の朗読日記1432/新しいカテゴリー「館長の朗読研究月誌」欄を構想中 »

05館長の朗読日記(戦後69年/西暦2014年)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 館長の朗読日記1430/船橋「はなみずき」と習志野「茜」の朗読レッスン | トップページ | 館長の朗読日記1432/新しいカテゴリー「館長の朗読研究月誌」欄を構想中 »