館長の朗読日記1472/朗読漫画『花もて語れ』の第111話&最終話
館長の朗読日記1472 (戦後69年07月29日 新規)
○朗読漫画『花もて語れ』の第111話&最終話(1)
一昨日の日曜日(7月27日)に小学館から『週刊スピリッツ』2014年35号が届いた。本号には朗読漫画『花もて語れ』の第111話&最終話「小さき者へ②」が掲載されている。この第111話&最終話は、主人公・佐倉ハナにが朗読コンクールで芥川龍之介原作「蜜柑」を朗読した6年後。エピローグの後半部である。
主人公・佐倉ハナが、新たな門出を記念する朗読会で、朗読漫画『花もて語れ』の最後の朗読作品となる有島武郎原作「小さき者へ」を朗読するシーンで終わるのである。これまで4年間つづいた連載が完結するのは寂しい。しかし、この朗読漫画『花もて語れ』は、全体的に引き締まった日本漫画の一傑作として完結したと思う。
私の「朗読の理論」の基本を土台とし、特にステップ1〜6という朗読の上達過程を主軸とした朗読的な展開。これをかなりキチンと描き込んでくれたので、拙著『朗読の理論』の副読本(解説書)としても読めるし、あるいは、これまでの日本になかった新たな「朗読の理論」の啓蒙書(普及書)としても読める内容となった。
○朗読漫画『花もて語れ』の第111話&最終話(2)
文学作品の朗読芸術は、クラシック音楽の演奏芸術と類似した側面がある。しかし、従来の日本の朗読芸術は、クラシック音楽の演奏芸術に比べて、あまりにレベルが低かったようだ。従来の日本の朗読芸術は、指導方法・指導内容・指導体制・鑑賞者その他の点で、クラシック音楽のそれに比べて、真に貧困な状況であった。
芸術としての内容を比べれば、朗読芸術はクラシック音楽の演奏芸術に優るとも劣らないものを有しているにもかかわらず、である。クラシック音楽の演奏芸術における理論(音楽理論)の蓄積に匹敵するような、朗読の理論の蓄積など、ほとんど皆無の状態であった。拙著『朗読の理論』などは、ホンの糸口に過ぎないのである。
拙著『朗読の理論』は、そして朗読漫画『花もて語れ』において描かれた朗読の理論は、ホンの糸口には過ぎないが、朗読の理論に向かう本道の確かな糸口にはなり得ていると確信している。今後、日本の朗読文化は、それらに展開された「朗読の理論」を避けては通れないとも確信している。私もその程度の自負心はもっている。
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