館長の朗読日記1509/第7回「東百道・講演と朗読の会」の朗読「姥捨」の自宅練習
館長の朗読日記1509 (戦後69年09月25日 新規)
○第7回「東百道・講演と朗読の会」の朗読「姥捨」の自宅練習(1)
昨日(9月24日)は、12月に開催する第7回「東百道・講演と朗読の会」に朗読する太宰治原作「姥捨」の自宅練習をした。原作をいく分かカットして、朗読時間を35分にした台本で練習している。もう1つの朗読作品「燈籠」が20分なので、両方の朗読時間が55分になる。講演時間70分と合わせ125分ということになる。
第1部の講演と第2部の朗読の間に15分の休憩をとるから、合計で140分ということになる。午後1時30分開演だから、終演は午後3時50分の予定である。ただし、講演時間が70分を超えてしまう場合もあるし、2本の朗読の間に数分の間をとらなければならないから、実際には午後4時00分頃になってしまうかも知れない。
観客の多くは家庭の主婦だから、できれば余裕を持って午後4時前には終わりたい。講演時間は70分に抑えるのがやっとだから、朗読時間を縮めるしかない。両方の台本から少しづつカットして、朗読時間の合計を50分に抑えることも考えている。そういうことを考えながら、当面の朗読練習を行なっている。仕上げはまだ先となる。
○第7回「東百道・講演と朗読の会」の朗読「姥捨」の自宅練習(2)
つくづく「姥捨」の朗読はむずかしいと思った。何せ、パビナール中毒を根治するために精神病院に入院していた夫が、入院中に妻に不倫をされ、すべてを清算するために夫婦で心中を図るという内容である。そういう経験がないどころか、そういう立場にある夫の心情などまったく見当がつかない。想像すらむずかしい心情なのである。
昨日の自宅練習においても、我ながら表面的な語り口であり、空疎な声出しであった。しかし、この「姥捨」は高校時代から20歳代の10数年にわたる自身の死闘の総体を、太宰治が文学的に総括した作品である。その意味で、今回の「東百道・講演と朗読の会〜太宰治の文学とその航跡(前死闘期)〜」に不可欠な作品なのである。
経験がないだの、原作者の心情の見当がつかないだのと御託をならべている場合ではない。認識イメージを深めることはもちろん、その認識イメージを聴き手にどう表現するかという表現イメージの工夫をさらに深めていかなければならない。その意味で「燈籠」よりもさらに取り組み甲斐のある作品である。そのプロセスこそが楽しい。
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