館長の朗読日記1513/第7回「東百道・講演と朗読の会」の朗読「燈籠」の自宅練習
館長の朗読日記1513 (戦後69年09月30日 新規)
○第7回「東百道・講演と朗読の会」の朗読「燈籠」の自宅練習(1)
9月27日(土)に八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読発表会『少年口伝隊一九四五』が無事に上演され、その後はしばらく朗読レッスンがないのでスケジュール的にはゆったりとしている。しかし、いろいろと気のもめることがあったため、第7回「東百道・講演と朗読の会」の自宅練習に集中することがなかなかできにくい。
しかし、集中できないといっても、放っておくこともできないから、まず「燈籠」の朗読練習をしながらその表現イメージを探ることを少しづつやっている。この「燈籠」は、かつてレッスン台本に使ったことがあるから、文字言語で表現された作品世界の認識イメージまでは、すでにある程度はできている。問題は表現イメージである。
文字言語で表現されている作品世界を、私自身の音声言語でいかに再表現していくか。その再表現の仕方を具体的に詰めていくのが表現イメージである。それが十分詰め切れていないのだから、自分の朗読に全く納得がいかない。しかし、逆に、実際に朗読してみないことには、表現イメージも詰め切れないから、我慢して朗読していく。
○第7回「東百道・講演と朗読の会」の朗読「燈籠」の自宅練習(2)
この「燈籠」は24歳という若い女性の独り語りという体裁をもった作品である。その独り語りを60歳代後半の男性である私が朗読するのだから、むずかしい。ひとつのアイデアとして、私という朗読者(=原作者)が、この作品世界を原作者の立場(視点とイメージと心情)に立って聴き手に語って聴かせるという朗読を考えている。
そうすれば、無理に24歳の若い女性の立場になり切って、無理な音声言語で表現する必要もない。しかし、その場合に課題となるのは、原作者の立場(視点とイメージと心情)でいかに作品世界の切迫感、切実感を表現するか、である。同じくまた、そういう表現で、聴き手にそういう作品世界をいかにイメージしてもらうか、である。
半ば読者、半ば原作者の立場に立って、その文学作品の作品世界を認識し、かつ、表現していく。これを舞台の上で高いレベルで実現しなければならない。どれくらい出来るかどうか分からない。しかし少なくとも、そういうレベルの表現を目指して、これからの70日間(2ヶ月と10日の間)自宅練習を積み重ねていくつもりである。
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