館長の朗読日記1526/「朗読くらぶ『満天星』」の第3回Liveを聴いた
館長の朗読日記1526 (戦後69年10月23日 新規)
○「朗読くらぶ『満天星』」の第3回Liveを聴いた(1)
一昨日(10月21日)に開催された「朗読くらぶ『満天星』」の第3回Liveに対する講評を依頼され、終演後に行なわれた打上げ会に参加した。この「朗読くらぶ『満天星』」の7人のメンバーとは、すでに丸々11年のお付き合いである。メンバー同士はもちろん私ともお互いの気心が分かっているから、和気藹々としている。
この日は午前中に品川朗読サークル「あやの会」のレッスンがあった。そこで会場に直に駆けつけたのだが、残念ながら開演時間にはかなり遅れてしまった。朗読はようやく3番目の途中から聴くことができた。終演から打上げ会までの間に、聴きそびれた朗読の録音を聴いたが、なんとか1番目の朗読を聴くだけの時間しかなかった。
朗読会そのものは大盛況であった。観客は180人くらいであった。前回も観客が多くて大盛況であったが、今回の観客数はそれをさらに上回っていた。すごい観客数だねと感心したら、それなりの努力をしているという応えが返ってきた。来場者名簿に住所を記入してくれた人全部に、案内状を郵送しているという。なるほどと思った。
○「朗読くらぶ『満天星』」の第3回Liveを聴いた(2)
個々のメンバーの朗読について、それなりに講評をした。ただし、台本なしで聴いたので、あまり具体的な内容には言及できなかった。かなり辛口の講評をしたが、私の辛口に慣れているだけでなく、満天星の普段の勉強会ではもっと厳しい相互啓発をしているせいか、皆、平然と聴いていた。さすが朗読歴11年目のベテランたちである。
第1回目と第2回目にも、朗読レベルをグッと上げたメンバーがいたが、今回の3回目にもそういうメンバーがいた。そのメンバーは、11年前に全くの初心者として入会してきたばかりではなく、身体がかなり不調だった。声が弱々しく、自分で署名もできなかった。それが、今回は会場全体に響き渡るような声でセリフ表現していた。
ただし、その他のメンバーの朗読表現は、前回に比べて目立った伸びが感じられなかった。普段の勉強会では、かなり厳しく相互啓発を図っているそうだが、多少、基本が疎かになっている気配を感じた。基本とは、高く上に出ていく語り口のことである。ベテランになると、いろいろなことをしたくなって、基本が疎かになったものか。
○「朗読くらぶ『満天星』」の第3回Liveを聴いた(3)
どんなにベテランになっても、どんなに朗読や舞台に慣れてきても、肝心な基本を疎かにすると朗読表現が雑になってしまうと注意した。観客に心から訴える気持を込めて、精一杯に語りかける朗読を忘れてはならない。満天星にはそういう人はいないが、プロを自称する朗読者は上から目線で朗読する場合がある。そうならないように。
今回は、詩の朗読があった。詩の朗読の場合には、視点の転換、イメージの転換、心情の転換、要するに詩を表現する側の認識の転換が大切である。そういうことを吉本隆明の言葉を引用しながら強調した。心から観客に語りかけ、訴えかけて、そのような表現する側の認識の転換を観客に共有してもらうような表現が必要である、と。
また、セリフ表現がとても上手なメンバーに対しても、そのセリフ表現をさらに際立たせるために、また、作品全体としての感動を深めるためにも、地の文の表現が大切であることを強調した。さらにいえば、セリフ表現と地の文の表現の組み合わせ方、統一のさせ方が大切である、と。ま、打上げの場には相応しくない講評ではあった。
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