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館長の朗読日記1520/第7回「東百道・講演と朗読の会」における講演の自宅練習

館長の朗読日記1520  (戦後69年10月09日 新規)



○第7回「東百道・講演と朗読の会」における講演の自宅練習(1)

 昨日(10月08日)の午後に、久しぶりに第7回「東百道・講演と朗読の会」における講演の自宅練習を行なった。場所は自宅のピアノ室である。講演の練習は久しぶりだが、その間も講演資料の手直しは随時やっていた。その結果、講演資料の内容もかなり煮詰まってきた。講演は朗読以上に内容やイメージが勝負なのである。

 内容的にかなり煮詰まってきたので、昨日の練習を録音に入れてみた。その結果、講演時間は何と70数分に収まっていた。録音を試聴してみると内容的にも大きな過不足はない。すなわち、内容が煮詰まってくると同時に、内容の贅肉がとれて全体的に締まってきたものとみえる。講演時間が70分以内に収まる見通しがついてきた。

 もちろん、まだ完成したというわけではない。さらに内容を整理し、深め、全体の筋道をスッキリとさせていく必要がある。ただ、それにしても、もっとも懸念していた講演時間が70分以内に収まる見通しがついたことが嬉しい。朗読時間の方は、前の「燈籠」が20分、後の「姥捨」が35分、計55分というのはそう変動しない。



○第7回「東百道・講演と朗読の会」における講演の自宅練習(2)

 講演と朗読の実演時間が合計で125分(2時間05分)、途中の休憩(15分)その他で25分かかるとしても、全体で2時間30分以内に収めることが出来る。開演は13時30分だから、終演は16時00分。観客は家庭の主婦が多いから夕方はあまり遅くならない方が良い。その点でも、午後4時に終わればまあまあだと思う。

 もっとも懸念していた講演時間の見通しがついたので、後は朗読の仕上げに専念できる。ところで最近、特に痛感しているのだが、朗読というのは、講演にかなり通底しているのではないかと思う。先に「講演は朗読以上に内容やイメージが勝負なのである」と記した。朗読も朗読する文学作品の作品世界をトコトン理解する必要がある。

 文学作品の作品世界をトコトン理解し、その内容やイメージを自分のものにし、それを自分の言葉で聴き手に語りかける必要がある。その語り口は朗読者自身の自然な語り口で良い。作品世界がキチンと把握された朗読は、聴き手の頭と心のなかにスッキリと入って来る。そうでない朗読は、たとえ上手な朗読であってもスッキリしない。



○第7回「東百道・講演と朗読の会」における講演の自宅練習(3)

 講演の場合、講演者自身が自分の講演内容をよく理解していない場合、あるいは、講演内容の理路が曖昧で筋道が明確でない場合、聴いている側は「この講演者はいったい何が言いたいんだ!」と聴いていてイライラしてくるはずである。講演者の演技力や声出しも、全く関係ないとは言えないが、それでもその比重は明らかに小さい。

 朗読の場合は、講演よりも朗読者の演技力や声出しの重要性がかなり大きい。しかし、それでも演劇や歌唱の場合ほどには、それらの要素が決定的ということはない。朗読の場合は、演技力や声出しだけではなく、朗読している文学作品の内容を聴き手に明らかにし、その内容を聴き手の頭と心に訴えかける(説得する)要素が大きい。

 その場合、朗読者が聴き手の頭と心に訴えかける(説得する)内容が重要な問題となる。原作者が文学作品に表現しようとした作品世界を、朗読者がどれだけ深く、豊かに、さらには、創造的に認識しているか。この点が、大きな、そして、重要な要素となる。この点、朗読は、演劇や歌唱よりも、むしろ、講演の方に近いのではないか。







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