館長の朗読日記1519/品川「あやの会」の朗読レッスン
館長の朗読日記1519 (戦後69年10月08日 新規)
○品川朗読サークル「あやの会」の朗読レッスン(1)
昨日(10月07日)の10時00分から、品川朗読サークル「あやの会」の朗読レッスンを行なった。今回は第2期・朗読ステップ3の8回目。レッスン台本は夏目漱石原作「硝子戸の中」と森鴎外原作「じいさんばあさん」の2本を併行してレッスンする。会員を2組に分け、2本の台本を1組ごとに3回づつレッスンしていく。
今回から、レッスン時間を10時00分〜12時00分と30分づつ後にずらすことにした。それぞれの台本は2回目だが、会員のはかなり練習をしてきていた。このグループの会員は、皆さん大変に熱心であり、また大変に個性的でもある。今回は1人1人の朗読に対してかなり丁寧にダメ出しやコメントをしたので、時間がかかった。
このグループにも、認識イメージと表現イメージの違いを改めて説明した。どのサークルの会員も、自分の台本に細かい字でメモしているが、その内容は主に認識イメージに対応している。実際の舞台で朗読する場合には、目立つように大きくカラーでメモしないと役に立たない。本番用のメモの内容は主に表現イメージに対応している。
○品川朗読サークル「あやの会」の朗読レッスン(2)
このサークルの会員は皆さん大変に熱心で、レッスン日には毎回のように午後も同じ施設内で自主勉強会を予定している(レッスン時間を30分づつ後にずらしたのもそういう条件があったから)。そういう熱心さは、正直に朗読に反映されてくる。毎回のようにみられる1人1人の会員の上達ぶりに、レッスンする方も手応えを感じる。
体調を崩して休会していた会員が復帰した場合、肩の力が抜けたようにスッと良い朗読に変ることが多い。以前から不思議に思っていたのだが、今回もその不思議な現象を体験した。私の朗読指導は、当面は「自然な語り口」を目指しているが、そのことに関係があると思う。休会している間に、自分の朗読を見つめ直すのではないか。
朗読における「自然な語り口」とは、その人間が朗読台本の表現されている言葉(文字言語)を認識し、その作品世界(場面と心情)を自分事(わがこと)として自分自身の言葉(音声言語)で再表現する場合の「語り口」のことをいう。単純化していえば、その人間の普段の「語り口」のことである。心境が変わるだけでかなり出来る。
| 固定リンク
「05館長の朗読日記(戦後69年/西暦2014年)」カテゴリの記事
- 館長の朗読日記1577/朗読でご縁のできた方々へこの1年の感謝(2014.12.31)
- 館長の朗読日記1576/年の瀬にいろいろとやっている(2014.12.30)
- 館長の朗読日記1575/ついに年賀状を総て投函した(2014.12.27)
- 館長の朗読日記1574/年賀状を書いている最中である(つづき)(2014.12.25)
- 館長の朗読日記1573/「佐藤久成 ヴァイオリン コンサート」を聴きに行った(2014.12.24)


コメント