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館長の朗読日記1550/第7回「東百道・講演と朗読の会」に向けた練習と準備

館長の朗読日記1550  (戦後69年11月25日 新規)



○第7回「東百道・講演と朗読の会」に向けた練習と準備(1)

 12月09日(火)に開催する第7回「東百道・講演と朗読の会」まであと2週間となった。講演と朗読の練習および講演資料その他の準備もいよいよ最終段階に入っていく。講演の方は、練習と資料の最終校正を併行して進めている。講演内容も講演資料も、ようやく煮詰まってきたという実感がある。近々に講演資料を制作する。

 朗読の方は、この1週間くらいは、練習を録音して、それを聴きながら修正を図る、という作業を繰り返している。今回の「燈籠」と「姥捨」は、両作品とも途中に若い女性が叫ぶようにセリフをいうところがある。叫ぶようにいうセリフだから、そこはやはりある程度高い音域の声を使う必要がある。その他の音域をどうするか。

 特に「燈籠」は全文が主人公の若い女性の独り語りでなっている。叫ぶセリフ意外の若い女性の独り語りを、どういう音域の声で朗読するか。色々と音域を変えながら試している。今は、意識的にごく低い音域を使おうかと考えている。低い音域を使うと、棒読みになりやすい。低い音域で十全な心情表現をしなければならない。




○第7回「東百道・講演と朗読の会」に向けた練習と準備(2)

 講演の方は、ある程度は仕上がってきたというか、煮詰まって来たという実感が心の中に湧いてくる。それは、逆に、今の段階ではここまでしか講演できない、という限界を感じることなのかも知れない。また、これ以上の展開は、次回以降に廻そう、次回以降に廻さざるを得ない、ということを考えているということでもある。

 この「太宰治の文学とその航跡」シリーズは、今回を初回として今後4回(4年間)かけて上演し、仕上げていくわけだから、当然、そういうことになる。それに対して、朗読の方はそれぞれの作品が1回限りである。今回の「燈籠」と「姥捨」を次回にまた朗読するわけでは決してない。しかも、朗読表現の工夫には際限がない。

 これまでも、朗読表現そのものが仕上がったとか煮詰まったとか実感したことは一度もない。いつも不満だらけである。逆にいえば、もっともっと感動的に表現できるはずだという想いが、いつまでもつきまとっている。そこで私は、本番で朗読する気構えを、観客の皆さんと共にこの作品を楽しむ方向に転換することにしている。




○第7回「東百道・講演と朗読の会」に向けた練習と準備(3)

 このように、朗読については仕上がったとか煮詰まったとかいう実感は全く得られない。しかし、練習を重ねると、朗読時間が安定してくるという段階はある。その作品を何回朗読しても、その朗読時間がほぼ一致してくる段階である。自分の朗読に不満があるが、それが、今の段階ではこれが自分の限界だと自覚する瞬間である。

 現時点で、私の朗読時間は「燈籠」が23分前後、また「姥捨」が37分前後と安定してきている。あと2週間あるので、今後も多少は変わるかも知れない。また、本番では、実際の観客を前にして気合いが入るから、そこでも多少は変わるかも知れない。しかし、そろそろ自分の限界に近づいてきているらしいという想いはある。

 講演時間は、出来るだけ無駄を省いて話すと71分、少し油断してアドリブを加えても75分には収めるられるようになった。本番でも75分と計算すると、朗読時間は2作品で60分となるから、途中の休憩時間を15分とっても全体で150分である。開演は13時30分だから、終演は16時00分までに収まることになる。


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