館長の朗読日記1555/八千代「新・みちの会」の朗読レッスン
館長の朗読日記1555 (戦後69年11月30日 新規)
○八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスン(1)
八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスンは、毎月の第2土曜日と第4土曜日である。しかし、今月(11月)の第2土曜日に私が八王子セミナーハウスの「古代史セミナー〜古田武彦先生を囲んで〜」を受講するため、その分を第5土曜日にスライドしてもらった。今月は第4〜5土曜日と2週連続のレッスンとなる。
したがって、昨日の11月29日(土)は第5土曜日であったが、先週にひきつづき2週連続のレッスンを行なった。ただし、レッスン会場はいつもの会議室が予約できず、同じ建物内の和室ということになった。畳の上に坐ることが辛い会員がかなりいた。そういう会員は、備えつけのマットを敷いて椅子を設置し、そこに坐る。
私は何とか畳の上に坐ることができるが、長時間の正座は無理である。胡座をかいたが、それでも時間が長くなると、腰のあたりが固まってしまい、すぐには動きにくくなってしまう。我ながら情けないとは思うが、今やすっかり椅子の生活に馴染んでしまった。私が小さい頃は、実家の全室が畳敷きだった。正に隔世の感がある。
○八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスン(2)
今回は第2期・朗読ステップ6の4回目、新しいレッスン台本・宮澤賢治原作「なめとこ山の熊」の4回目である。前回は珍しく欠席者がいなかったが、今回は4人も欠席者がいた。出席したなかで1期生はやはりそれなりの朗読をしていた。2期生もステップ1からの会員はなかなかの朗読をしていた。ま、そういうものである。
今回も、各サークルで説明している助詞の効用を解説した。より具体的にいえば「が」「は」「も」あるいは「を」の効用を、言葉の強調の仕方と関連づけて解説したのである。この言葉の強調の仕方と関連づけて、そういう助詞を使った原作者の表現意図、言葉の意味の流れ、作品世界のイメージの仕方まで遡っていくのである。
私のレッスンはいわゆるグループ・レッスンである。会員の1人1人にレッスン台本を少しづつ朗読してもらっては、その箇所における当人の朗読にダメ出しやコメントをしていく。ただし、その内容はその会員1人だけでなく、全会員の参考になるように工夫している。他人の朗読から学ぶことがグループ・レッスンの良さである。
○八千代朗読サークル「新・みちの会」の朗読レッスン(3)
今回は面白い一幕があった。レッスン台本のある箇所を読んだ1期生の1人に、前回と全く同じ解説をしてしまった。直後に気がついて、前回と同じ解説をしてしまったというと、その1期生は初めて聴いたと断固主張する。すると、隣の1期生が、前回は私がそこを朗読したが、たしかに同じ解説を聴いた、と証言したのである。
グループ・レッスンの場合は、自分が朗読した箇所だけではなく、他の会員の朗読やそれに対する私の指導もすべて自分事(わがこと)として聴くようにくり返して注意している。しかし、会員によっては、他の会員の朗読やそれに対する私の指導を上の空で聴いている場合がある。それで自分が大損をしていることに気づかない。
その会員が前回の私の指導を聴き逃したのは、たまたまうっかりしていたのか、あるいは、どこか体調が悪かったかであろう。しかし、朗読の上達は、毎回のレッスンや練習の積み重ねだから、そういう少しのことが後になって大きく影響してくる可能性は高い。良い指導を聴き逃すのも一種の「馬耳東風」「猫に小判」である。
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