館長の朗読日記1553/千葉「わかば」の朗読レッスン
館長の朗読日記1553 (戦後69年11月28日 新規)
○千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスン(1)
昨日(11月27日)の午後1時30分から、千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスンを行なった。今回は第2期・朗読ステップ3の17回目。今回は、来年2月に開催する朗読発表会『ひとごろし』に向けたレッスンの5回目である。台本を前後に分け前半と後半を交互にレッスンしており、今回は前半のレッスンの最後の3回目である。
この山本周五郎原作の『ひとごろし』は落語ないしは講談のような面白さがある。セリフも面白いが、そのセリフと地の文との掛け合いも面白い。しかし、このサークルの会員の皆さんはとても真面目に朗読するので、その面白さが十分には朗読に表現できない憾みがある。落語家や講談師にような語り口の朗読に誘導するのだが、むずかしい。
例えば、これは前回も記したことだが、地の文のなかのセリフ的な部分を、いかに表現するかという問題もその一つである。地の文の内には鍵括弧「 」で表記したセリフ表現も混じっているが、鍵括弧「 」がついていないでも明らかに登場人物のセリフ(内心の声)と思われる部分もある。もちろん純粋に地の文として書かれた部分もある。
○千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスン(2)
さらには、地の文とは明確に区別するためにわざわざ行を変えて鍵括弧「 」で表記した、いわば純粋にセリフとして書かれた部分も当然ある。これらをそれぞれどのように読み分けるか(朗読的に語り分けるか)、という問題である。もちろん、内容や意味の展開によってケース・バイ・ケースで工夫しなければならないことは当然である。
しかし、一般的な、あるいは基本的な読み分け方法(朗読的に語り分ける方法)も実はあるのである。今回も前回同様、その一般的&基本的な3方法を指導した。そして、内容や意味の展開によってケース・バイ・ケースで工夫しなければならないところは、会員1人1人が自分の分担部分について、それぞれ工夫するように指導したのである。
それらの問題は、それを「語りかける語り口」で表現しないことには、総て「絵に描いた餅」になってしまう。しかも、その内容が面白いという心情、面白い話しを語っているのだという心情がないと、いくら上手に語っても、この作品の面白さが聴き手に伝わってこない。ふざけて表現するのではなく、内容を面白く表現するのはむずかしい。
○千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスン(3)
さて、2音目をクッキリと上げることができなくて、四苦八苦している会員がいる。一所懸命に練習すればするほど、出来なくなって悩んでいるという。自分だけが出来ないのではないか、さらには、自分には永久にできないのではないか、などと非常に悲観的になっている。実は今は楽々とできている1期生も皆、何年かは苦労したのである。
1期生の皆さんは、自分が過去に通ってきた道だから、その会員の悩みがよくわかるらしい。口々に、励ましたりアドバイスをしたりしていた。私は、1期生の皆さんが四苦八苦していた過去を知っているから、そういう光景が可笑しいやら嬉しいやらで、こういう場合はつい笑ってしまう。しかし、悩んでいるその会員はそれどころではない。
まして、その当人が、どうやって四苦八苦しているかを雄弁に訴えるその語り口が、見事なぐらい2音目がクッキリと上がっているものだから、なおさら可笑しさが増幅してしまう。ついには1期生ばかりか2期生までも、2音目がクッキリと上がっている事実を指摘するようになる。その事実に気がつかないのは、当人だけということになる。
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