館長の朗読日記1561/千葉「風」の朗読レッスン
館長の朗読日記1561 (戦後69年12月07日 新規)
○千葉朗読サークル「風」の朗読レッスン(1)
昨日(12月06日)の9時30分から千葉朗読サークル「風」の朗読レッスンをやった。今回は、第2期・朗読ステップ5の第3回目。レッスン台本・三浦哲郎原作「みちづれ」の第3回目でもある。朗読ステップ5は、文学作品の文字言語で表現された作品世界を認識しつつ、それを朗読者の音声言語で表現する段階である。
文学作品の文字言語で表現された作品世界を認識する場合は、主観的な想いよりも、先ず言語の法則性に則った文字言語の客観的な認識方法を修得する必要がある。朗読者が認識した作品世界を自身の音声言語で表現する場合も、主観的な想いよりも、先ず言語の法則性に則った音声言語の客観的な表現方法を修得する必要がある。
最近は、その言語の法則性の一端として、日本語の助詞「が」「は」あるいは「を」の言語的あるいは朗読的な意義を指導している。2期生には、その内容を理解することを主目的に、1期生には、その内容を修得することを主目的にレッスンしている。1期生は、そろそろ、そういうことができる実力がついてきたと考えている。
○千葉朗読サークル「風」の朗読レッスン(2)
このサークルは朗読に対して熱心に取り組んでいる会員が多いし、いろいろな意味で積極果敢な会員が多い。その反面、自己中な独り合点でことを進める会員も多い。ただし、自己中にも善い面と悪い面がある。釈迦の天上天下唯我独尊も一種の自己中だし、利己主義も一種の自己中だ。善い面を生かし、悪い面を抑えるのが大切。
今回のレッスンでは、その悪い面が出た。他の会員が朗読している最中、あるいは、私がダメ出しやコメントをしている最中に、2人の会員が長々と私語していたのである。しかも、その2人の会員とも1期生であるばかりか、朗読的にも年齢的にもサークルのリーダー格の存在なのである。そういう場合、私は遠慮なく注意する。
レッスン中に私語することが、いかに周りの人間に迷惑なものかを察知できないようでは、視点の転換(他人の視点で物事や心情をイメージすること)も十全にはできない筈だから、朗読には不向きである、などという辛口のコメントも加えたりする。家庭や世間では尊敬されている筈の会員が、レッスンでは幼児に返るようだ。
○千葉朗読サークル「風」の朗読レッスン(3)
私の朗読レッスンでは、レッスン歴が10年近い1期生と、レッスン歴がまだ数年という2期生が混在し、しかも同じレッスン台本を使ったレッスンをしている。1期生は、自分の朗読を上達させるためばかりではなく、いずれは朗読指導者になるために、私が2期生を指導している指導方法を理解&修得して欲しいと願っている。
ただ、そのような混在状態のため、私の方も、過去に1期生だけに話したことを、すでに2期生にも話してあるように錯覚してしまうことがある。2期生に「2音目をクッキリと上げる」という大切なことを修得してもらうために、日本の歌曲や歌舞伎のセリフ廻しでもって解説することも、すでにやったと錯覚した一例である。
他のサークルで、そういう解説を2期生にはまだしていなかったことが判明したため、その他のサークルの2期生にもそういう解説を順次していくことにした。今回もこの解説をやったが、分かりやすいと好評だった。1期生でも、解説中に私語したり、欠席したり、忘れた会員もいるから、同じ解説を再び聴くのも良いだろう。
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