館長の朗読日記1935/年賀状を書いている
館長の朗読日記1935 (戦後71年12月22日 新規)
○年賀状を書いている(1)
私は毎年12月になるとすぐに年賀状に取りかかる。しかし、今年はそれが大幅に遅れてしまった。年賀状に本格的に取りかかったのは12月14日(水)からだった。私の年賀状は3種類からなる。1種目は朗読サークルの会員宛のもの。2種目は会員以外の朗読関係者宛のもの。3種目は朗読関係以外の知人友人親戚宛のもの。
朗読サークルの会員宛の年賀状は、会員全員宛の文章をワープロソフトで作成しプリントアウトし、余白に会員1人1人の個人宛の短い文章を手書きする。会員以外の朗読関係者宛の年賀状は、昨年の朗読活動と今年の朗読目標を箇条書きしたものをワープロソフトで作成しプリントアウトし、余白に短い個人的文章を手書きする。
朗読関係以外の知人友人親戚宛の年賀状は、亡き母に書いてもらった「謹賀新年」と「元旦」の文字をかなり前にゴム版化し、絵具でゴム版刷りにして作成している。その余白に各個人宛の文章を手書きするわけだ。私の年賀状の枚数はそう多くはないが、これら3種類の年賀状を作成するためにはかなりの日数を要するのである。
○年賀状を書いている(2)
全体的に見て、年賀状書きはまだ半分も終わっていない。今日(12月22日)の午後に、千葉朗読サークル「わかば」の朗読レッスンをやったのだが、これが今年最後のレッスンである。朗読レッスンが全部終わると、やはりホッとする。これから12月26日(月)の投函を目指し、数日間は年賀状の作成に本腰を入れていく。
毎年、年賀状の作成と併行して、喪中の葉書が郵送されてくる。今年は気のせいか喪中の葉書が少ない。今のところ9通しかない。事前に喪中の葉書を郵送してくれた相手には、もちろん年賀状は書かない。その後、年賀状の作成から投函までの間に喪中の葉書を郵送してくれた相手にも、すでに書いた年賀状を破棄し投函しない。
問題は、年賀状を投函してしまってから喪中の葉書を郵送された場合である。一旦投函した年賀状は、もう取り戻すことができない。いろいろな事情で喪中の葉書を出す時期を逸してしまう場合はある。私にも、年末に親戚が急死したために、どうしようもなかったことがある。正月に届いた年賀状を、憮然と眺めるしかなかった。
○年賀状を書いている(3)
それやこれやで、毎年、年賀状書きには時間と神経を使う。しかし、一年を通して滅多に会うこともなく、手紙を書くことも少なくなった昔からの知人友人親戚に、年に1度くらい年賀状に短い文章を書くことを、私はどちらかといえば好いている。年賀状でもなければ、なかなか旧交をあたためるきっかけが掴めないからである。
朗読サークル会員以外の朗読関係者宛の年賀状の場合は、旧交をあたため直すために出す相手も確かにある。しかし、年間を通してかなり頻繁に交流を続けている相手もある。いずれの相手も、話題は「朗読」という共通したものになるから、手書きの短文は書きやすい。私も気持ち良く、楽しみながら書いているところがある。
朗読サークルの会員宛の年賀状の場合は、これは朗読レッスンに関する年1回の通知表のような役割もある。昨年1年間のその会員の朗読の上達ぶりや成果、あるいは、当面の課題などを短い文章にまとめなければならない。最も神経を使う年賀状である。ただ、毎回のレッスンで指導している内容でもあるし、楽しく書いている。
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コメント
東様、突然のコメント失礼致します。
以前、「『朗読の理論』に対する反響(その6)」という記事でご紹介いただきました、西村俊彦と申します。
先日、遅ればせながら『花もて語れ』を全巻読了致しまして、深い作品解釈と理論に改めて感銘を受けました。
作中で題材になっていた、夢野久作の『瓶詰地獄』、東様の解釈を参考に朗読いたしました。
特に、時折、手紙を読んでいる人物の視点に戻す、というのが新鮮で、刺激を受けました。
拙い朗読ではありますが、お聴きいただければ嬉しいです。
こちらのリンクから聴けますので、
よろしければ。
https://youtu.be/hVzDe2-H0BE
それでは、良いお年をお過ごしくださいませ。
西村俊彦
投稿: 西村俊彦 | 2016年12月23日 (金) 15時01分
西村俊彦 様
コメントをありがとうございました。
西村さんとは、何年か前に私の「講演と朗読の会」の終演後のロビーで短いお話しを交わして以来でしょうか。
さっそく夢野久作原作『瓶詰地獄』の西村さんの朗読を拝聴しました。
声出し、口跡、語り口、内容表現のいずれも素晴らしい朗読で、感服しました。これほどの朗読はなかなか聴くことができません。
朗読漫画『花もて語れ』では、この『瓶詰地獄』の内容的な解読をほとんど行ないませんでした。その理由については、いずれこのブログにくわしく記したいと思っています。
この『瓶詰地獄』における「視点の転換」は、ごく大まかにいえば、手紙を読んでいる読み手・研究所員の視点、手紙を書いているときの書き手・太郎の視点、手紙に書かれている場面の中に入りこんでいる登場人物・太郎の視点、の3つがあると思います。
それぞれの3つの視点と、2つの語り口(「語る語り口」と「読む語り口」)をどのように組み合わせるか、あるいは、細かく混合・融合させるか、が演出上の腕の見せどころだと思います。
その他、特に考えなければならない点は、登場人物・アヤ子のセリフの表現の仕方だと思われます。
これらは、どれが正しいか正しくないか、という問題ではなく、演出的な選択あるいは適否の問題だと思います。
それでは、どうぞ良いお年を。
投稿: 「日本朗読館」館長 | 2016年12月24日 (土) 12時23分
東様
はい、一度「講演と朗読の会」のロビーでご挨拶いただいて以来です。
覚えていて下さって光栄です。
また、年末のお忙しい中、『瓶詰地獄』聴いて下さり、暖かいお言葉をありがとうございます。励みになります!
『瓶詰地獄』に関する内容的解読、ブログ楽しみにしております!
『瓶詰地獄』の視点転換、読む語り口、をどう混ぜ込んでいくかに、色々と悩みました。
どうすれば臨場感を損なわずに、読みと語りを行き来出来るか、今後とも考えてみたいと思います。
アヤ子のセリフもそうですね。
アヤ子に寄り添っていくのかどうか、なかなかに悩みまして、今回は台詞として作ってみましたが…
東さんも、良いお年をお迎え下さいませ。
またどこかでお話伺えればと思います!
投稿: 西村俊彦 | 2016年12月27日 (火) 17時14分
西村俊彦 様
今後とも、私は朗読の研究を継続していきたいと思っています。
同時に、西村さんのように私より若い世代の方々が、私などをどんどん乗り越えて、日本の朗読文化の向上に寄与してくださることを大いに期待しています。
いずれどこかでなんらかの形で朗読的な交流ができたら嬉しいですね。
では、良いお年を。
投稿: 「日本朗読館」館長 | 2016年12月28日 (水) 09時07分